すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

久しぶりの面会、義母と


介護施設に入所している義母に、少し認知に問題が生じているのではないかということで、認知症検査を受けたのは1年ほど前。


komakusa22.hatenablog.com


30点中25点の優秀な成績で、認知症の疑いは無しと診断されました。

その後もきっと何かしらあったとは思いますが、施設のスタッフの方々に支えていただき、日々を過ごしてきた義母です。



そんな義母の様子がいよいよおかしいと夫に連絡があったのが3週間ほど前だったか。

共に入所している女性とのちょっとしたいざこざの際、明らかに違うことを言い張り曲げなかったそうです。

それどころか、そんなはずのない身体の箇所を痛いと言い続けたり。

それまでが頭のクリアな模範的なお婆さんだった義母の、意味不明の強情にスタッフは戸惑われたようです。



そのことがきっかけなのかわかりませんが、そこから2週間ほどの間に急激に義母は変わっていきました。

食事の際、手掴みで食べる。お皿を舐める。手を口の中に入れる。

家で介護している時、下半身が不自由で車椅子生活になっても手作業は達者で、綺麗な箸使いで上品に食事をする義母でした。

施設に入所してからも、自分で上手に食事が出来る義母は手がかからない存在で、「助かります」と言って貰っていたぐらい。



なので、義母の変貌ぶりを聞いた時、夫も私も非常に驚きました。

言い方は悪いですが、外面の良いところが多分にあった義母。(夫曰く、夫の実家の面々は皆そうらしい。つまり夫も)

家の中ではガチャガチャと大雑把に暮らしていても、一歩外に出ると上品な振る舞い。

そんな義母が他の人がいる前でお皿を舐めるとか、全く考えられないことだったのです。



食事だけでなく、いろいろなことがわからなくなっていきました。

テレビのリモコンやイヤホンの使い方。

それまでは自室でテレビを観るのが常でしたが、食堂に出てきて観るようになったそうです。

数の概念もぼんやり。

数字に強く、歳を取っても親しい人の電話番号を諳んじる義母でしたが…。

自分の思いを言葉に出来ず、どう言ったらいいのかわからない。

人が言っていることを理解する能力が衰えている。



今月の初め、施設のスタッフ同席で医師の診察を受け、認知症でしょうとの診断をされました。



今思えば、1年前認知症検査をし、疑い無しとの診断でしたが

あの頃から少しずつ兆候はあったのかもしれないと施設長は仰いました。


排泄に関するあれこれだけでなく

他の人の部屋を覗きに行くとか、他の人と一緒にトイレに入ろうとするとか

それまでに無かった行動が多々起こるようになったそうです。



そんな中で、夫のこともいつしかわからなくなったのか「弟が来た」と言っていたようです。

マスク越しであるので顔がよく見えないというのもあるのでしょうが


実は認知症の人には、我が子を兄弟や親と間違えることがよくあるのだそうです。

娘を「お母さん」と呼ぶ、というような。


それは、

認知症が進むと新しい記憶から消えていくそうで

つまり、その人の中により色濃く残るのは古い記憶なのだとか。


自分が子どもで、親や兄弟姉妹たちと共に過ごした記憶。


義母にとりたった一人の弟は、いつも自慢の、いつまでも可愛い弟でしたから

そんな弟が会いに来てくれることは義母にとり誇らしく嬉しいことだったのでしょう。



歳を重ね、義母はまた子どもに戻ったのかもしれません。


(そんな私たちにとっての叔父は今年の2月に亡くなって、今はいません。そして、そのことをまだ義母に伝えられていないのです)


……………



そんなわけで、

一昨日、義母に面会に出かけて来ました。



長引くコロナ禍で、リモート面会はあったものの、直接にはずっと会えずでした。

夫は実家に行くタイミングで施設を訪れ、入り口のガラス越しに会うことはありましたが

耳の遠くなった義母とのガラス越しの会話は困難で

また、意思の疎通が段々と難しくなってもいたようです。



遠方から久しぶりに面会に来たということもあったのでしょうか。

スタッフの方が配慮してくださり、10分程度、お互いマスクをして、施設の外で直に会うことが出来ました。



手を振る私に小さく振り返してくれて、ちょっと笑ってくれている。

義母の車椅子の前にしゃがみ、「久しぶり、元気だった?」と聞くと

いつになくにこやかに「大丈夫だよ」と応えてくれました。

施設の玄関先の椅子に座り、義母の車椅子を挟んで夫と交代のように話しかけますが

確かに、あんなにお喋りだった義母の口はすっかり重くなっていました。

それでも表情は柔らかく

意味が理解出来ているかは不明なれど「大丈夫」「うんうん」と、時折応えてくれる。



そのうち、ふと空の方を見上げながら私に向かって「こんな天気でねぇ」と小さな声で義母が言ったのです。

その瞬間とても驚いて、「ほんとだねぇ。雨が降ってるねぇ」と返しながら

元気だった時のように天気の話でちょいとコミュニケーションをとろうとする義母に胸が熱くなりました。


そういうとこ、変わらないな

そういうとこ、まだ残っているんだなぁ……と。



そして、こうも言うのです。

「いつ来たんだい?昨日来たの?」

あ、誰かと間違えているなと思いながら「ううん、今日来たんだよ」と言うと「そう」と笑顔の義母。

「○○の伯母ちゃんと思ってるのかな?」と夫と顔を見合わせ、ちょっと笑いました。



夫を弟と思い、私を姉と思ったとすれば

懐かしい記憶の姉弟が訪ねて来てくれて、義母はどんなにか嬉しかったことでしょう。


残念ながら、息子である夫や、まして嫁の私のことはもしかしたらチンプンカンプンなのかもしれないけれど

喜んでくれるのならそれで十分。



会いに行けて良かったです。


……………



少し違うかもしれませんが、

実の父も亡くなる前、兄のことを自分の「弟」と言っていましたっけ。

コロナ禍でやはりマスク越しだったので、目や眉毛の様子で勘違いしたのかなと思っていました。

父は最期まで認知症ではありませんでしたが

もしかしたら、痛みで意識朦朧の中、見えたのは確かに懐かしい弟の顔だったのかもしれないなあと。

晩年はちっとも仲の良くない兄弟だったんですけどね(;^ω^)




我が家の近くのひまわり畑



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