今朝、6時過ぎだったか。
目を閉じたまま布団の上で微睡んでいると、鼻先に微かに漂う匂い。
これは………?と、やはり目を閉じたまま嗅覚に全集中。
玉子焼きだな
それもイイ感じに焦げて香ばしいやつ
こんなに朝早くからもう?と思ったけど
そういえば夫が現役の頃はこの時間には既に朝ごはんを食べて、6時半には家を出ていた。
とすると、
我が家同様、お隣のご主人はリタイア組でこんなに早く朝食は食べないだろうから
階下の現役バリバリのお宅から漂うものかしら
などと、思い巡らした朝だった。
我が家は集合住宅。
ベランダ側にあるキッチンの換気扇の排気口から吐き出される匂いで、よその家の献立事情がわかる。
特に網戸のシーズンは顕著。
風に乗って、或いは上昇気流に乗って、家の中に漂ってくる。
焼き魚、焼き肉、カレー、おでん
甘じょっぱい匂いがすれば煮物?
香辛料の効いた、いかにも辛そうな匂いの時は中華かなと推理する。
お隣さんの排気口は我が家との境付近にあるので
内情を覗き見るようで申し訳ないが、本当によくわかる。
いつも美味しそうな匂いが漂い、マメで料理上手な奥さんなのだろうなあと感心しているのだが
時々、尋常じゃないニンニクの匂いが我が家を襲うことがある。
何故だろうとずっと疑問だったが、尋ねるのも憚られ数年が過ぎた。
ある時、奥さんが「大量のニンニクを炒めてニンニク玉(とお隣さんは言った)を作っている」と他の人に言っているのを聞き
それかあ!と内心腑に落ちた。
元気になる薬らしい。(そういえば、母も昔作っていたな。家中が臭くなって最悪だった)
お風呂の換気扇の排気口は外の通路側にあり
たまたま通りかかった際に、石鹸の良い香りがしたり、ご機嫌な鼻歌なんかが聴こえたりする。
洗髪を嫌がるお子さんの泣き叫ぶ声が聴こえた時は、思わず苦笑い。ガンバレとエールを送りたくなる。
以前、我が家の長男孫がお風呂でじいじに叱られ狂ったように大泣きした時もさぞ響き渡ったと思うので
ご近所さんには心配かけたかもしれない(;^ω^)
ある年の真夏の夜には、夫の大イビキがお隣の奥さんを不安にさせたことがあった。
ある時、奥さんに
「ねえ、夜中にこまくささん家の下のお宅から変な音が聴こえた気がするんだけど、聴こえなかった?」
と真面目な顔で訊かれた。
聴こえた覚えが無く、一瞬考えて、すぐ真相がわかった。
「それって多分ウチの主人のイビキだわ」
「え?イビキじゃないと思う。もっと何か変な凄い音」
「じゃあなおさら主人のイビキだわ。間違いない」
その日の夜、夫が寝たのが網戸のすぐそばだったので、それはもうよく聴こえたんだろう。
真夜中の静寂に響き渡る大ボリューム。
お隣さんだけでなく他のお宅でも「あれはいったい何?」と大騒ぎだったかな。
それ以来、夫は網戸越しの窓際では寝ていない(;´Д`)
……………
「隣は何をする人ぞ」とは今でも時折耳にする言葉だが
正確には「秋深き 隣は何を する人ぞ」。 松尾芭蕉の句である。
秋も深まり、隣の人は何をしているのだろうか
秋が一層深まり一人寂しさも感じられる中
微かに聴こえてくる物音に、隣の人は何をする人だろうか、どんな人だろうかと
人恋しく思うような、物悲しいような
そんな味わいを詠んでいるのだろうか。
今は、顔も声も名前も知らない隣人との関わりの薄い生活を表す言葉として引用されたりする。
人恋しさとは別物の心情だろう。
隣人間の様々なストレスや問題を避けようとして、敢えて関わらないようにする現代の暮らし。
それも又仕方ないのかもしれないが。
今の集合住宅に暮らすようになって30年。
おそらくたいていの人が知っているような、それなりにメジャーな名前のつくマンションだが
ちっとも気取っていないところが自分の性に合うと思っている。
庶民的で開放的。一昔前の公団住宅のよう。
住民同士、何かと交わる機会が多く、今言われるところの「隣は何をする人ぞ」ということも無い。
当然、それが良い時もあれば、交わり過ぎてメンドクサイ時もある(^^;
でも、オープンな空気は悪くない。
オープン過ぎて、隣の晩ごはんやお風呂の時間が分かってしまうわけだけど(*´з`)
ああ、でも、よそのオヤジのイビキは聞きたくない。(ウチのオヤジのイビキも厳しいのに)
お隣の奥さんには本当に申し訳なかった(ーー;)