すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「戦争を知らない子供たち」~声なき声に耳を澄ませて


中学2年の林間学校で、キャンプファイヤーを囲んで歌ったのが
その歌を知った最初でした。

仲の良い友達は既に知っているようで
それに合わせて歌い出すと
シンプルで馴染みやすいメロディはあっという間に歌えるように。


戦争を知らない子供たち


模造紙に書かれた歌詞
若い先生のギターに合わせて私たちは歌いました。


戦争が終って僕等は生まれた
戦争を知らずに僕等は育った
おとなになって歩きはじめる
平和の歌をくちずさみながら

僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たち


若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ

僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たち


青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕陽がかがやく小道を

僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たち
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たち


北山修氏作詞、杉田二郎氏作曲で1970年に発表


この歌を選択したのは若い先生方だったと思う。
今思えば、まさにこの歌の主人公である「戦争を知らない子供」たちだったのかな。
ひしと迫る実感と沸き起こる熱い思い。
そんな思いを抱えながら私たち生徒と歌ったのかなぁと。
すごく根拠の無い想像ですが^^;


私たち、いや、私はと言うと
突然のようにも思えた「戦争」や「平和」のワードに何だか戸惑った覚えがあります。


戦争を知らない子供たち

多分、反戦の歌なんだろうとぼんやり思ったあの時の私…。



その歌を、最近ふっと思い出したのですが

あれ?あの歌って結局何が言いたいんだろうとちょっとわからなくなったのです。


僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たち


「僕等の名前は戦争を知らない子供たち」と繰り返し歌い
何を伝えたかったんだろう、と。

今さらだけど。


それで、いろいろ考えて思ったのは

「僕等は戦争を知らない子供たち」だと歌いながら

それは自分の立場を説明しているわけではなく
ましてや「戦争を知らない子供たち」を謳歌しているわけもなく


これからもずっと「戦争を知らない子供たち」でいられるよう
未来の子供たちも「戦争を知らない子供たち」でいられるよう


青空と花びらと笑顔
きれいな夕陽がかがやく小道を
これからも誰もが一緒に歩いていけるよう


それを願う歌であり
それを訴える歌なのだなというところに落ち着いたのです。


つまり、やっぱり反戦の歌なのだと改めて思ったのでした。


……………


先日、NHKの特番『声なき声に耳を澄ませて 吉永小百合とともに』を観ました。


収録の会場となったのは 戦没画学生慰霊美術館 無言館

太平洋戦争で若くして命を散らした画学生たちの遺した絵を集めた美術館です。


絵のモデルとなった女性が、戦後50年が過ぎ、恋人であった画学生の絵に会いに。
彼は20代の鹿児島県の青年で、太平洋戦争に出征し27歳で戦死。

遺された絵と対面し美術館の感想文ノートに綴った彼女の想いを吉永さんが朗読しました。


無言館には以前訪れたことがあります。

komakusa22.hatenablog.com


その時、美術館に飾られる
こちらを見据えるかのような
悔しさを訴えるかのような
血の涙を流すかのような
そんないくつもの絵の前で動けなくなったことを覚えています。

鎮かな空間の中に、たくさんの悲痛な叫びが満ちているようでした。


今回、モデルとなった女性がノートに綴った想い。
残された者の悲しみもまた、深く、痛く、いつまでも消えることは無いのだと思わされました。



一枚の絵の裏側にある物語

それは知られることもなく
知ろうともされないできたのかもしれません。


声なき声に耳を澄ませて


戦争を知らない子供たち」の私たちだけど
かつてあった戦争を知ることを
いつまでも忘れてはいけないのでしょう。




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