今日は盆の入り。
昨日、馴染みのスーパーの店頭には
お盆を迎えるための商品がどっさり並んでいた。
4年前に母、2年前に父を亡くした。
両親のお迎えは遠方にいる兄がしてくれているはずなので
私がやることは無い。
近ければお供えでも持ってお参りに行きたいところだが
今春に父の三回忌でしっかりお参りしたし、今はコロナ禍だし、まあいいかと
それもしないことにした。
仏花や果物、砂糖菓子などをあれこれと見繕っている人たちを所在無い気分で眺めながら
お盆だというのに両親のために何もすることが無い自分がちょっと寂しかった。
花でも飾ろうかと仏花を手に取ってみたけど
仏壇が無いのに何処にどう飾ればいいのか想像出来ず、やめた。
父と母と私、3人で写っている写真を飾っている。
そのそばに何か花を飾ろう。(仏花ではないものを)
食いしん坊だった母が好きな甘い物も添えて。
それで勘弁してもらおう。
……………
帰りの車の中でふと、父の三回忌の際に義姉が言っていた言葉を思い出した。
両親がまだ70代で、瀬戸内の島の高台に建つ家に二人暮らしをしていた頃。
母が車で家を出てすぐ、急な下り坂でハンドルを切り損ね
大きな溝に車ごと落ちたことがある。
ひっくり返り、頭が下になった状態で助け出されたそうだ。
そんな大事故を本当は内緒にしたかったようだが
ちょうど私が帰省するタイミングで、直前の電話で母から
「ちょっとな、車で溝に落ちたんや。たいしたことないんやけど顔に青タンやら黒タンやら出来てな。びっくりせんどってな」
と聞かされた。
車ごと溝に落ちた⁈
それでたいしたことないってどういうこと⁈
状況が掴めず、心配しながら帰省すると
確かに青やら黒やらの色がついた凄い形相の母が迎えてくれて
バツが悪そうに「お帰り」と笑った。
何があったのかと当然食い気味に尋ねるのだが
「いや~ハンドルがな、上手いこと切れんかった」と母。
「だけど、もう何十年もその坂を下っているのに?なんかあったん?」と訊くが
「いや、なんもないよ。ただ失敗しただけ」とのらりくらり。
高齢者がブレーキとアクセル踏み間違えるとか、咄嗟の判断が出来ないとか
そういうことなんだろうかと考えたり
いや、認知症が始まった?と内心焦ったり。
それを母自身認めたくなくて、敢えて呑気に構えて見せてるのかなと。
まあ、あまり追及するのも可哀そうかと、それ以上は聞かなかった。
その後、特に問題も無く事故も無く
島を出て兄の近くに引っ越すのを機に運転免許を返納した。
もう84歳になろうとしていた。
それで、
母が溝に落ちたことも遠い記憶のかなたになっていた、今春の父の三回忌での義姉の発言である。
「あの時お義母さん、お義父さんと大喧嘩になって、車の鍵掴んで飛び出したんだよね。カーッとなってたからハンドル切り損なったんじゃない?」
知らなかった……
そんな前段階があったんだと、呆気にとられた。
……………
どうして話してくれなかったんだろう
兄や義姉には言えたのにと、車を走らせながら思い巡らす。
父と喧嘩しカーッとなった挙句、大事故を起こしたのが恥ずかしかったのかな。
娘の前ではいつも理性的で温厚で常識的だったから。
後々、本来の母はそうでもないことを娘の私は見抜くのだけど
少なくとも母は、娘の前では母自身が思い描く理想の母や妻や女性であろうとしていたから。
そして娘の私にもそうであれと言ってきた。
子どもたちの前では一家の長としての父を立て、特別扱いも当然とばかりに大切にしてきた。
なのになのに、こんなことになって。
カッコ悪くて娘にゃ言えない。
そんなところだろうか。
あの頃、父との喧嘩が増え、帰省の度に心配していた娘(私)に
更に心配させるようなことが言えなかったのもあるかな。
にしても、
兄や義姉には言えたのに私にはどうして言わなかったのか微妙に気になる。
実の母娘の、それこそ微妙なところだろうか(;^ω^)
母に聞いたら何と答えるのだろう。
両親の家からはエンジェルロードが眺められました(*´ω`*)