すっとんきょうでゴメンナサイ

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ワクチン接種4回目/小学1年のBCGの想い出


ワクチン接種、4回目に行ってきました。

ファイザーファイザー→モデルナ→モデルナです。

副反応は接種箇所の痛みと発熱。
発熱と言っても36.9度が最高ですから、大したことはありません。

ちなみに、発熱は4回ともありまして
1回目は37度、2回目は37.8度、3回目は37.4度ですから、今回が一番楽なのかな。

解熱剤なども不要でした。


それより接種した腕の痛みの方が気になり

一応安静にと横になりゴロゴロするのだけど
接種した側の腕が下になるたび「痛たたた」。


仰向けで腕の痛みを感じながら、ふと思い出したことがありました。


💉


初めてBCGを接種した時のこと。

ツベルクリン検査で陰性になってのBCGだったから、多分小学1年生。
(その後はずっと陽性でした)

はんこ注射ではない時代で、普通の注射器でブスッと刺されたと思う。
腕に楕円形の痕が残っているのは同世代の方々ですよね。


とても痛かった覚えがあります。

落ち込んだ気分で学校から帰ったら
いつもなら「お帰り」と迎えてくれる母がいなかった。

痛みもあり、誰もいない家の中で心細かったこと。


じっと母の帰りを待っていたのですが
そのうち、接種したところから白い液体がジュクジュクと出てきたのです。


何これーーーー?!(⊙_⊙;)


自分の腕から訳のわからない物が出てくることが恐ろしくて
いったいワタシどうなっちゃうんだろうと
思わず外の縁側に飛び出し、大声で泣きながら何処にいるともわからない母を呼ぶ。


ただならぬ私の大絶叫に、お向かいのおばちゃんが飛んで来てくれて
私のことをなだめながら家に連れて行ってくれたのでした。


しばらくすると母が迎えに来て、開口一番
「あれ?あんた、どうしたん?」とかって、呑気な声で言うんですよね。


それで私が
「白いの出てきて怖かった!ママがいなくて怖かった!」と母を詰るように言っても

「へえ」とかって、ニヤニヤしながら言うからホント腹立ったこと、憶えてるなあ。


「ああ、ごめんね。怖かったね」とか何とか言ってくれたら
こちらの気持ちも慰められてホッとするのだけど

だいたい母は、まずそういうことを言わなかったなあ。


「たいしたことない」とか「ママのせいにしない」とかって
多分その時もそんなふうに言われたと思う。


確かに白いのが出て怖かったのは母のせいではないし
一目見てたいしたことないと母は思ったのだろうけど
小学1年生ですよ。
少しは慰めてくれてもいいんじゃないのと、今考えても思う。


代わりにお向かいのおばちゃんがいっぱい慰めてくれましたっけ。



ワクチン接種副反応の腕の痛みから
母の冷たさ(笑)を思い出したという話です(^▽^;)


……………


母は私たちを育てながら
どんな場合でも筋が通らないことは良しとしない姿勢を崩しませんでした。
おのれの不幸や失敗を他人のせいにしないというのもよく言われたこと。

確かにその通り。
母は私たちにそれを教えたかったし
そうして育てられたことは決して悪いわけはありません。


ただ、

時々、

母以外の人(主に父や祖母でしたね)から猫かわいがりされたり筋が通らなくとも許される
そんな体験にくすぐられるような嬉しさも感じたものです。


それはもしかしたら本当の愛情ではないと言われたりするのかもしれませんが
そういうのも自分には必要なことだったなぁと振り返って思うことです。


まあ、母に植え付けられた基本があったからこそ、でしょうが(^^;



念の為に。

母も間違いなく愛情深い人でした。

至極真っ当な愛だったと思います(;^ω^)



ムクドリの大群が賑やかです




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