すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

確かにそこに、私たちと共に

 

テレビドラマの話題が続いて恐縮ですが

先週日曜日は舟を編む~私、辞書をつくります~』の最終回でした。

リアルタイムで観られなかったので録画。

それを今日、観たのです。

 

その中での言葉にハッとしました。

 

私の死後、あなた方が言葉を潤沢に、巧みに使い、私の話をしてくれる

その時私は、確かにそこに、あなた方と共にあるのです

 

まさに、今の自分に言ってくれるようでした。

 

……………

 

一昨日は高校時代のバスケットボール部の仲間との食事会でした。

2年前に病気で亡くなったキャプテンのお墓参りに、昨年10月皆で行って以来。

今回は、結婚しオーストラリアに住むメンバーの帰国に合わせてでもあります。

 

キャプテンの彼女が亡くなった時、自分の何かがもぎ取られたようで本当に悲しかった。

やがてその悲しみに次第に慣れていくようだったけど、何かの折に感じる彼女の非存在への寂しさは逆に増幅するようで。

今回もバスケットボール部の仲間と喋り、笑い、美味しいものを食べながら、今ここに彼女がいないことが心底寂しかった。

「○○がここにいたらなあ…」と呟くだけで泣けてきました。

 

でも、

 

彼女は確かにそこにいたんですね。

 

私の死後、あなた方が言葉を潤沢に、巧みに使い、私の話をしてくれる

その時私は、確かにそこに、あなた方と共にあるのです

 

私たちが彼女の話をした時に、彼女の姿は確かにそこにありました。

きっぱりと強くて、少しばかり自分勝手で、惚れっぽくて、食いしん坊で、お金と時間に厳しくて、世話焼きで、優しかった。

一人一人の思い出に彼女は確かに現れて、息づいていました。

 

寂しさはきっとこれからも感じるのだろうけど

また、皆で彼女の話をしようと思います。

 

 

岸辺さん役の池田イライザさんと馬締さん役の野田洋次郎さん、好演でしたね~

野田洋次郎さんは、以前、映画『キネマの神様』に出演された時も非常に印象的でした

 

 

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『虎に翼』が面白い

 

NHK朝ドラ『虎に翼』が面白い。

毎朝の楽しみとなっていて、前日の朝ドラが終った時点で、翌日の朝がもはや待ち遠しい。

 

女性が自由に生きられなかった時代。

「女のくせに」と屈辱的な扱いを受け「女だから」と生き方を狭められる世の中に敢然と飛び込み、己の夢を掴まんと奮闘する主人公寅子。

伊藤沙莉さん演じる、明るく歯切れの良い寅子が実に愉快で魅力的であると同時に

彼女の言動から現れるその人間性にも大事なことを教えられた気持ちになる。

 

例えば、

 

弁護士を目指す仲間の一人、よねさんの辛い過去をよねさんではない人が話そうとした時

「よねさんの話をよねさんのいない所でよねさんではない人から聞くのは違うと思うの」

と言った寅子。

 

よねさんは己の過去を話したいのだろうか

よねさんの了承無くして自分はよねさんの過去を聞いていいのだろうか

そんな大切な話ならばこそ、自分はよねさんの納得のもと、よねさんが話してくれて初めて聞くことを許される

 

そういう状況は、実際、身の回りでもよくある。

以前、ある友人がその場にいない別の友人に関する深刻な話を教えてくれようとしたので

「本人が話してくれるなら、その時聞くからいい」と断ったら怪訝そうな顔をされたことがある。

 

寅子の言葉に、やっぱりそうだよねとホッとした。

 

社会で差別されながら闘わない女性たちに「愚かだ」と言い放つよねさんに

「闘わない女性、闘えない女性を愚かだと一括りにしてはいけない」と寅子。

 

弱音を吐いたところで何も解決しないけど、受け入れることは出来る。

「せめて弱音を吐く自分を、その人を、そのまま受け入れることの出来る弁護士に、居場所になりたい」

 

闘うオーラを振りまき、常に嫌な感じのよねさんに

「よねさんはそのまま、嫌な感じでいいから」と寅子。

「思ったの。怒り続けることも弱音を吐くのと同じぐらい大事だって。だから私たちの前では好きなだけ嫌な感じでいて」

 

公平で、偏見が無い

既成概念に囚われず、目の前の人や状況をありのままに受け入れる

相反する相手にさえ敬意をもってフラットに接する

 

寅子の資質は確かに裁判官に相応しいと感心する。

 

当然、寅子のキャラクターは脚本によって作られているのだけど

モデルとなった三淵嘉子さんの実際のお姿を映像で拝見すると、屈託の無い笑顔で周囲を温かく包んでおられて

伊藤沙莉さん演じる寅子そのままのようなお人だったのかなあと思ったりする。

 

……………

 

ところで、

物語では、男子学生が寅子たちを侮辱したり、社会の中でも男性が女性を虐げたり軽んじたり、といったシーンが登場する。

その度、じんわりとムカつき、はらわたが沸々する私。

遠い昔の話、今はこんなこと許されないとわかっている。

昭和30年代生まれの私自身もそこまでの女性差別を受けた覚えはない。

なのに、自分の中に形のはっきりしないトラウマが蘇る感じで、(ったく、男って!)と内心憤慨してしまう。

心の内で済むならまだいいが、隣で観ている夫にも何だか怒りの矛先が向かいそうになる。

夫は夫で、それを察してか、至って神妙にしている。

 

私が成長過程にあった頃、男女平等が謳われ、学校の中では男子も女子も平等(だったはず)。

しっかり者の女子にいい加減な男子がどやしつけられる、なんて光景も普通にあった。

それが家に帰れば、母(妻)は父(夫)を立て、父(夫)は当然の様に母(妻)の上にいる、という構図が依然としてあった。

経済的にも精神的にも、母(妻)は父(夫)に従った。

過激な事を言ってしまえば、

働いて家族を養って(やって)いるのだから俺に感謝しろ、俺は偉い、という父(夫)の言葉が黄門さまの印籠の様にまかり通っていた家庭も少なからずあっただろう。

 

男女同じ様に学び、卒業し、就職したはずの場所でも男女差別は普通にあったと思う。

 

私たちの時代。

戦後、男女平等が謳われ、そのように教育を受けてきたはずが、家に帰れば、社会に出れば、当然の様な顔で存在する男女差別。

やがて、目に見える男女差別は次第になくなっていっても、男性、女性、それぞれの心の内にある意識には大きな隔たりが残り続けたと思う。

その隔たりに悔しい思いをした女性は多かったのでは。

それを差別と言うのならそうなのかもしれないし。

 

そんな中途半端な男女平等の時代を通過してきた私である。

男女平等と言いながら、結局何かに押さえつけられ、自らもそれに甘んじて来た。

結婚してからは、親の世代にあった男性優位や夫唱婦随といった価値観に、自分で自分を縛って来た。

 

誰のせいでもない。

よねさんの言葉を借りれば、闘わずして自分でそうして来たのだ。

 

勝手な話だが、そこの部分の燻ぶった感情がドラマを観ながら怒りとなって蘇るのかもしれない。

 

男性が男性というだけで大手を振っていられた社会で、理不尽な差別をされていた女性たちが立ち上がり闘うストーリー。

 

“夫婦で朝ドラ”がこんなにヒリヒリするのは初である。

 

……………

 

既にネット上では賛否両論らしい。

女性差別の表現に現実味が無く有り得ないとか、極端な男尊女卑にモヤモヤするとか。

 

確かに、今の時代の人たちには到底有り得ないことだろう。

私も、果たして今の人たちに理解し共感してもらえるかしらと思ったりしている。

ピンと来ないだろうな

有り得なさ過ぎて笑っちゃうんじゃないかしら、と。

 

でも、そういう時代は間違いなくあったのだ。

 

 

両手におにぎりとふかし芋を掴んで満足げな孫娘。あなたが大人になる頃には「男だから」「女だから」ってますます無くなるんでしょうね(^^)

 

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見頃を過ぎても美しいあなたたち

 

暖冬と言われていた今年でしたが、先月のぶり返す寒さで、結局、当地方では例年より遅めの桜開花に。

同じマンションに住むオヤジ達のお花見も、今年は蕾のままの樹の下で催されました。

(まあ、桜が咲こうが咲くまいが、皆で酒を呑めればいいのでしょう(笑))

 

開花が遅れた分、入学式にも桜はまだ咲いていて、それっていつぶりだろうと思うのです。

ここ数年、いや十数年?入学式の頃には桜は既に散っているのが通常で。

桜の花を背景にピカピカの新一年生。きっと素敵な写真が撮れたことでしょうね。

ちなみに、自分が小学生の頃(半世紀以上前)は入学式や始業式に桜が咲いていたと記憶しています。(名古屋市でしたが)

 

先週末は満開を迎え、しかもお天気も上々だったので、たくさんの人がお花見を楽しまれたようです。

 

と他人事のように言うのは、今年は毎年恒例のお花見をしていないのです。

夫婦共に花粉症があまりに酷くて、桜を観に出かける気分になれなかった。

そんな年もあると家の前の桜を窓越しに眺めて残念な気持ちを紛らわしていました。

 

それが昨日、一昨日と次女の依頼で孫たちを預かることになり、そこで思いがけずお花見が出来たのです。

一昨日は次男孫の遠足のお迎えに行った自然公園で。

昨日は長男孫と次男孫と遊びに行った地元の総合公園で。

共に県内では桜の名所。

満開を一週間も過ぎ、当然見頃を過ぎた感のある桜たち。

それでも風に舞う桜吹雪や池に浮かぶ花筏の美しさにいちいち感動する私です。

いつもは艶やかに咲き誇る満開の頃をめがけてお花見の予定をたてますが

こんな楽しみ方もあるのだなあと今さらながら知りました。

そして、

散りながらも、その命の輝きで最後まで私たちに感動を与えてくれる桜たちに感謝したい気持ちになるのです。

 

 

 

頭のいい女が幸せになるためには?はて??~『虎に翼』

 

4月1日から始まったNHK朝ドラ 『虎に翼』

 

画像はお借りしましたm(__)m

 

日本初の女性弁護士にして女性裁判官になった三淵嘉子さんがモデル。

 

朝ドラでは定番とも言える子役による子ども時代がなく

第1週目から、主人公・寅子を演じる伊藤沙莉さんの歯切れの良いセリフ回しに、物語がテンポ良く進んでいく。

納得のいかないことを見逃さず「はて?」と疑問を呈す寅子。

少し(いえ、かなり?)ドスの効いた沙莉さんのハスキーボイスが、目の前の相手や物事に対し、立て板に水が如く理路整然と自分の考えを述べるシーンに胸がすく。

その度、彼女は「女だから」と阻まれ、「女のくせに」と蹴散らかされるのだけど。

 

第1週目のあらすじ(公式サイトより引用させていただきました)

昭和6年。女学校に通う猪爪寅子(伊藤沙莉)は、父・直言(岡部たかし)と母・はる(石田ゆり子)に次々とお見合いをさせられる。女学校を出たら結婚し、子を産み、家庭を守るべし。そんな考えに納得できない寅子は、猪爪家の下宿人・優三(仲野太賀)が通う大学で、法律に出会う。明律大学女子部法科。教授・穂高小林薫)の言葉から、女性が法律を学ぶ場所があると知った寅子は、母の反対をよそに、弁護士への道を歩み始める。女性初の弁護士、のちに裁判官となった女性とその仲間たちの物語がいよいよ始まります!

 

娘の幸せを願い、それこそが幸せだと信じ、お見合いを進めて来た母・はる。

寅子の優秀さを分かった上で、それでも法科進学に反対し、放った言葉がすごい。

 

あなたは法律家にだってもしかしたらなれるかもしれない

でもなれなかった時は?

なれたとしても上手くいかなくてやめなくてはいけなくなった時は?

夢破れて、親の世話になって、行き遅れて、嫁の貰い手がなくなって、

それがどんなにみじめか、想像したことある?

今行こうとしている道であなたが心から笑えるってお母さんは到底思えないの

どう進んだって地獄じゃない

頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの

だからあなたは新しい綺麗な振袖を着て、出来るだけあなたに見合った素敵な殿方とお見合いをするんです

 

ここまで決め付けて押し付けてあからさまに言ってのける母親って、今なら「毒親」と認定されそう。

しかし、そんな親と子ども、特に娘との関係が当たり前にあった時代だったろう。

しかも、当時の憲法では、婚姻状態にある女性は家事に関して夫の代理人と認められる以外、多くの点で「無能力者」(なんて酷い!)と定められていた。

そんな時代に妻となり母となったはるさんが、我娘が一人で進まんとする道の先に希望を思い描くことなど、到底出来ないことだったのだろうと思う。

 

……………

 

それにしても、

頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの、とは…

 

ドキッとした。

令和の今でも、社会の中でこうして生きている女性、いるんじゃない?

職場で、地域で、ママ友仲間で。

賢い女性ほどそうしているかもしれない。

 

自分の能力をありのままに発揮し評価されることで生じる周囲のやっかみ。

そして出る杭は打たれるが如く、叩かれる。潰される。

そうした圧力は男性からのみならず、同性である女性からも。

それから逃れる為、爪を隠す能ある鷹。

 

ということは、母・はるさんの一見独断的とも思える理屈が、そうとも言えないということか?

実は真理をついている?

 

ネガティブな状況だけでなく、

例えば無用な軋轢を生まないようスムーズに事を進める為、というポジティブな意図もあるだろう。

頭の悪い女のふりをしながら、したたかに欲しいものを手に入れる策略であるかもしれない。

それもまた、爪を隠す能ある鷹たち。

 

……………

 

うーん、でも何だろう。

 

「頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかない」というのは、すごく気持ち悪い。

 

頭の悪い女のふり、っていうのがね。

そこまでしなきゃ女は幸せになれないってか?

 

頭の悪い女のふりなどせず、寅子はきっと己の夢を掴み取っていくのだろう。

彼女の奮闘が今から楽しみである。

 

 

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中学生時代の友人と40年ぶりの再会

 

昨年40年ぶりに小学生時代の友人と再会したことをここで書きました。

60歳を機に年賀状をやめた私。

その数年後にふと思い立って暑中見舞いを出した友人の一人でした。

 

その際同様に出した中学生時代の友人と、昨日、これまた40年ぶりに会って来ました。

同じバスケットボール部だったもう一人の友人にも声をかけて、一人は兵庫県、一人は埼玉県、一人は愛知県から。

集合場所は三人の中間地となる愛知県に住む友人の地元。

今回はとりあえず日帰りということで、朝早い新幹線で向かいました。

友人が予約してくれたお店で、再会おめでとう!のランチ。

ランチ後はその友人のお宅にお邪魔して、更にひとしきりお喋り。

小学生時代の友人と再会した時もそうでしたが、40年というブランクがあっという間に何処かへ行ってしまうんですよね。

不思議なくらいするするとそこに在る空気感や心の中が馴染んでいく感じ。

中学校生活の思い出、同級生の消息、仕事のこと、親や夫や子どものことなど、話は次から次へと溢れ出て尽きません。

そんな中でも一番盛り上がったのが恋バナでした( *´艸`)

「○○君のこと、好きやった」という50年ぶりの告白に、共に高齢者の仲間入りした私たちが、中学生女子のように頬を赤らめ胸をときめかせるのでした。

今振り返るとちょっと笑っちゃうけど^^;

ちなみに、その○○君は還暦の同窓会でも実に爽やかでエエ感じだったそう。

 

……………

 

日程打合せの電話の中で、友人に

「自分がすごく辛かった時、○○○(私)に言ってもらったことで救われたんよ。憶えてる?」と訊かれ

「え?いや、ゴメン。何やろ?憶えてないわ…」と応えたら、友人に少しガッカリされたようで

その後もずっと何だったんだろう?と気になっていたんですね。

今回、会ってすぐそのことを尋ねました。

 

夏休みの間、毎日休まずバスケットボールの練習に参加していた友人。

ところが、夏休み最後の他校との練習試合に出場選手として選ばれなかった。

「それはいいの。自分はヘタだってよくわかってたし」

ただ、ほとんど練習に出てきてなかった子が、ちょっと上手というだけで選ばれたのがとても悔しくて悲しかった。

「その時、○○○(私)が先生に言ってくれたんよ。毎日練習に出てた△△さん(友人)が試合に出れなくて、ほとんど練習に出てない※※さんが試合に出れるいうんはおかしいです!って」

 

全然憶えてない!(⊙_⊙;)

ビックリでした。

そんなふうに先生に向かって偉そうに言ったことに。

呆れるくらい幼稚で青臭いなあと思って。さすが中学生(ーー;)

 

いや、でも…その内容としては、言いがちではある、かな?

正しいかどうかはわかりませんが、そういうふうに考えるとこ、今も自分の中にあるので(;^ω^)

(そういえば、ママさんバドミントンチームの部長をやっている時も、同じ様なことをコーチに進言してましたわ。あっさり却下でしたけど^^;)

 

それを言った時、※※さんはその場にいたのだろうか。

練習には出ず、だけど選手に選ばれた※※さんがその場にいたのかどうか不明だけど

もしいたとしたら、※※さんをひどく傷つけてしまっただろうなあ。

(いなかったと願いたい…🙏🙏)

 

友人は私の言葉で救われたと言ってくれて、それならそれで良かった。

でもまあ、50年前のとんがって且つ幼稚な自分自身が目の前に突然現れて、冷や汗をかきました。

 

さらに、

今でも、いい歳して幼稚で青臭い自分自身がちょいちょい面倒くさいわけだけど

それって50年前の中学生の自分とちっとも変わってないんだなあ。

そして多分、一生変わらないんだろうなあと思うのでした。

 

 

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