すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

『虎に翼』が面白い

 

NHK朝ドラ『虎に翼』が面白い。

毎朝の楽しみとなっていて、前日の朝ドラが終った時点で、翌日の朝がもはや待ち遠しい。

 

女性が自由に生きられなかった時代。

「女のくせに」と屈辱的な扱いを受け「女だから」と生き方を狭められる世の中に敢然と飛び込み、己の夢を掴まんと奮闘する主人公寅子。

伊藤沙莉さん演じる、明るく歯切れの良い寅子が実に愉快で魅力的であると同時に

彼女の言動から現れるその人間性にも大事なことを教えられた気持ちになる。

 

例えば、

 

弁護士を目指す仲間の一人、よねさんの辛い過去をよねさんではない人が話そうとした時

「よねさんの話をよねさんのいない所でよねさんではない人から聞くのは違うと思うの」

と言った寅子。

 

よねさんは己の過去を話したいのだろうか

よねさんの了承無くして自分はよねさんの過去を聞いていいのだろうか

そんな大切な話ならばこそ、自分はよねさんの納得のもと、よねさんが話してくれて初めて聞くことを許される

 

そういう状況は、実際、身の回りでもよくある。

以前、ある友人がその場にいない別の友人に関する深刻な話を教えてくれようとしたので

「本人が話してくれるなら、その時聞くからいい」と断ったら怪訝そうな顔をされたことがある。

 

寅子の言葉に、やっぱりそうだよねとホッとした。

 

社会で差別されながら闘わない女性たちに「愚かだ」と言い放つよねさんに

「闘わない女性、闘えない女性を愚かだと一括りにしてはいけない」と寅子。

 

弱音を吐いたところで何も解決しないけど、受け入れることは出来る。

「せめて弱音を吐く自分を、その人を、そのまま受け入れることの出来る弁護士に、居場所になりたい」

 

闘うオーラを振りまき、常に嫌な感じのよねさんに

「よねさんはそのまま、嫌な感じでいいから」と寅子。

「思ったの。怒り続けることも弱音を吐くのと同じぐらい大事だって。だから私たちの前では好きなだけ嫌な感じでいて」

 

公平で、偏見が無い

既成概念に囚われず、目の前の人や状況をありのままに受け入れる

相反する相手にさえ敬意をもってフラットに接する

 

寅子の資質は確かに裁判官に相応しいと感心する。

 

当然、寅子のキャラクターは脚本によって作られているのだけど

モデルとなった三淵嘉子さんの実際のお姿を映像で拝見すると、屈託の無い笑顔で周囲を温かく包んでおられて

伊藤沙莉さん演じる寅子そのままのようなお人だったのかなあと思ったりする。

 

……………

 

ところで、

物語では、男子学生が寅子たちを侮辱したり、社会の中でも男性が女性を虐げたり軽んじたり、といったシーンが登場する。

その度、じんわりとムカつき、はらわたが沸々する私。

遠い昔の話、今はこんなこと許されないとわかっている。

昭和30年代生まれの私自身もそこまでの女性差別を受けた覚えはない。

なのに、自分の中に形のはっきりしないトラウマが蘇る感じで、(ったく、男って!)と内心憤慨してしまう。

心の内で済むならまだいいが、隣で観ている夫にも何だか怒りの矛先が向かいそうになる。

夫は夫で、それを察してか、至って神妙にしている。

 

私が成長過程にあった頃、男女平等が謳われ、学校の中では男子も女子も平等(だったはず)。

しっかり者の女子にいい加減な男子がどやしつけられる、なんて光景も普通にあった。

それが家に帰れば、母(妻)は父(夫)を立て、父(夫)は当然の様に母(妻)の上にいる、という構図が依然としてあった。

経済的にも精神的にも、母(妻)は父(夫)に従った。

過激な事を言ってしまえば、

働いて家族を養って(やって)いるのだから俺に感謝しろ、俺は偉い、という父(夫)の言葉が黄門さまの印籠の様にまかり通っていた家庭も少なからずあっただろう。

 

男女同じ様に学び、卒業し、就職したはずの場所でも男女差別は普通にあったと思う。

 

私たちの時代。

戦後、男女平等が謳われ、そのように教育を受けてきたはずが、家に帰れば、社会に出れば、当然の様な顔で存在する男女差別。

やがて、目に見える男女差別は次第になくなっていっても、男性、女性、それぞれの心の内にある意識には大きな隔たりが残り続けたと思う。

その隔たりに悔しい思いをした女性は多かったのでは。

それを差別と言うのならそうなのかもしれないし。

 

そんな中途半端な男女平等の時代を通過してきた私である。

男女平等と言いながら、結局何かに押さえつけられ、自らもそれに甘んじて来た。

結婚してからは、親の世代にあった男性優位や夫唱婦随といった価値観に、自分で自分を縛って来た。

 

誰のせいでもない。

よねさんの言葉を借りれば、闘わずして自分でそうして来たのだ。

 

勝手な話だが、そこの部分の燻ぶった感情がドラマを観ながら怒りとなって蘇るのかもしれない。

 

男性が男性というだけで大手を振っていられた社会で、理不尽な差別をされていた女性たちが立ち上がり闘うストーリー。

 

“夫婦で朝ドラ”がこんなにヒリヒリするのは初である。

 

……………

 

既にネット上では賛否両論らしい。

女性差別の表現に現実味が無く有り得ないとか、極端な男尊女卑にモヤモヤするとか。

 

確かに、今の時代の人たちには到底有り得ないことだろう。

私も、果たして今の人たちに理解し共感してもらえるかしらと思ったりしている。

ピンと来ないだろうな

有り得なさ過ぎて笑っちゃうんじゃないかしら、と。

 

でも、そういう時代は間違いなくあったのだ。

 

 

両手におにぎりとふかし芋を掴んで満足げな孫娘。あなたが大人になる頃には「男だから」「女だから」ってますます無くなるんでしょうね(^^)

 

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