すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

駐車場で立ち話。話が長過ぎて冷えました^^;


今日のこと。

買い物に行こうと駐車場に向かう途中で
同じマンションに住む顔馴染みとバッタリ。
「久しぶり~、元気だった?」と声を掛け合った。


🚶‍♀️

彼女とは、お互いの子どもたちが同じ幼稚園の頃からしばらくの間、仲良くしてきた。

小学校PTAのバドミントンクラブに同時期に加入し
自分たちでも市民体育館のコートを借りて自主練。
お互いの家を行き来し、お茶を飲み、呆れるほど長い時間お喋りした。
夫の事、子どもの事、実家や義実家の事、ご近所さんの事、健康の事などなど
話題は溢れんばかりに湧き出た。

ほとんど毎日、顔を合わせていたと言える。
そんなふうに数年を過ごした。


その後、夫の転勤で2年間ほど地元を離れた。

戻って来た時、彼女は既に仕事に就いていて
私もすぐ仕事を始めた。
彼女の仕事は朝から晩までの激務。
私はそれほどでもないパート仕事だったが
時間の隙間を縫うようにバドミントンの練習。
それぞれ忙しい日々を送る中
ゆっくり話をすることはおろか、顔を合わせることがほとんど無くなり
気がついたらずい分と疎遠になっていた。

考えたら、そうなってから20年以上経っている。


それでも、
同じマンションに住んでいるので、たまに会うこともある。
ゴミを捨てに行った時とか離れた場所から見かけるとか。

そんな時も、
「久しぶり~、元気~?」と当たり障りのない挨拶を交わし、すれ違う。
そんな感じだ。


どうしてこうなったんだろうと寂しく思うこともあった。
何か彼女の気に障ることを言って避けられてる?と不安になったり。

忙しいだろう彼女の足を止めて、以前の様に話し込むことが憚られたのもある。
彼女も私にそう感じていたのかもしれない。


🚶‍♀️🚶‍♀️

それが今日、いつものように当たり障りのない挨拶を交わした後
彼女が足を止めてくれた。

お出かけの格好をしている彼女に「今もお仕事してるの?」と訊くと

「もう辞めたの。○○さんは?」

「私も仕事してないよ」

お互いどうやら時間の制約も無さそうと
そこからすっかり話し込んでしまった。


話題は、親の介護、子どもの結婚、孫の事、遺産相続、自身の老後の事と
以前とかなり様変わりしたが、次々と溢れ出てくる。

話しながら、昔とちっとも変わらないことが心の中でくすぐったかった。

交流が途絶えた年月、彼女も自分もいろいろあった。
大変な時期を身近で励まし慰め合うことは出来なかったかもしれないが
今、こうして思いを伝え、その思いを受け止めるお互いでいられることが嬉しかった。


ようやく切り上げて「じゃあね」と別れた頃には体が芯から冷えていた。
この次は久しぶりに我が家にでも来てもらい
温かいものを飲みながらゆっくり話そうと思った。
今の私たちには時間がたっぷりある。


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コンサートで最前列の席に座ったことがある?


テレビを観ていたら
「コンサートで最前列の席に座ったことがある?」
と視聴者に問いかけていて

47%が「ある」の結果に、スタジオの芸能人が「えー⁉こんなにあるの?」と驚いていたけど

私も ある!


🎸

高校に入学してすぐの新入生歓迎大会で
3年生の先輩方が歌う井上陽水というアーティストの「傘がない」「東へ西へ」に痛く衝撃を受けた。

今から始まろうとするピカピカのはずの高校生活の初っ端に
先輩方が苦し気に悲し気に歌う「傘がない」や「東へ西へ」は

少し前まで中学生の、まだまだ子どもだった自分に大いに度肝を抜かせ
楽しい事ばかりではない大人への階段が目の前に現れたように感じたものだ。

その後、陽水氏のレコードを片っ端から聴き漁り
当時、自分の近くに彼の歌は常にあった。


大学生の時、通う大学の学園祭で井上陽水氏のコンサートが行われると知り
早速、大学生協でチケットを購入。
全て自由席で、チケット代も安かったと思う。

場所は神田駿河台、本校舎の講堂。

当日、友人を誘い向かうが、開演時間ギリギリとなり
それでも何とか間に合い、ホッとしながら会場に入ると、席は満杯。

かろうじて2席空いていたのが、最前列の右端だった。

観客は皆、陽水氏の歌を聴く準備万端。
今か今かと視線がステージに注がれる中
それを遮りながらバタバタと横切る私たちに、心の中で舌打ちする人もいただろう。

スミマセンと私もまた心の中で謝りながらようやく席にたどり着き
腰を下ろした途端、生ギターが鳴り、幕が上がった。


歴史を感じさせる古めかしい造りの
ちょうど良くこじんまりとしている講堂は、ステージと観客席が近く
右端とは言え、そこは最前列。
陽水氏の歌声がビンビンと体に当たり、感動と喜びで大興奮。

陽水氏はたった一人、いや、もしかしたらもう一人いたか?
いずれにしても、生ギター1本(いや2本だったのかな?)、マイク1本のアコースティックなライブだったが
かえって、歌声の美しさや音圧をひしひしと肌で感じ
彼の才能に圧倒されるばかりだった。


最前列で井上陽水氏の“生”な歌を聴いたこと
本当にラッキーだったと今でも思う。


🎸🎸

最前列で、ということなら
娘たちが幼い頃に一緒に観たアンパンマン・ショーもそう。

地元の動物園の特設ステージで行われると聞き
家族で出かけて行った。

人気のアンパンマンだが、その日は観客は少なめ。
いつもなら少し後ろで観るところだが
せっかくだからと最前列、しかも真ん中に陣取った。


やがてアンパンマンが登場し、バイキンマンドキンちゃんもいたか。

MCのお兄さんが会場を盛り上げようと
「さあ、みんなでアーンパーンマーーンと大きな声で言いましょう」と言った。

さらに、アンパンマンの言い方もレクチャー。
「アーンは楽しそうに、パーンはちょっと悲しそうに、マーーンはすごく大きな声で」とか何とか(あまり憶えていない^^;)

そして「さあ、誰に言ってもらおうかなあ」と会場を見渡す。

そもそも観客はまばら。
そこで最前列、ど真ん中にあたかもやる気十分で座っている私たちにお兄さんのアンテナがビビッ。

ヤバい!と慌てて目を逸らし顔を伏せたが

「ハイ、そこのおかあさん。やってみましょう!」

(⊙_⊙;)


やる気なんか一切無いのに
最前列で陣取っていた私がイケナイのか。
指名して欲しそうな顔してたのだろうか。

娘たちの手前「出来ませ~~ん」と駄々をこねるわけにもいかず
渾身の「アーンパーンマーーン!」をやってみせた。

お兄さんは「ああ、はい。いいでしょう」と、苦笑いな顔。

(やる気ありそうな顔して、そうでもないな)と思われたかもしれない。
それもまた、ちょっと辛かった( ;一一)


後日談だが、
何と、ショーの会場に夫の友人家族もいたとかで
「奥さんのアーンパーンマーーンは完璧でした」と言ってくれたらしい。

それを聞いて、救われる思いがしたのだった。


「傘がない」井上陽水


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夫、カラオケで「津軽恋女」を歌う


夫とのひと悶着をブログに書いたのは半月程前だったか。

カラオケに行く行かないで
それぞれの言葉が上手く伝わらず
お互いの気持ちがすれ違ったのが原因だった。

今考えてもあまりにも些細な、超くだらない諍いだったが
そんなことでこんなことになるなら
そしてこんなことをこんなにも繰り返すなら
いっそ別居した方がいいかと思うほど、心が疲弊した。(多分、夫も)


ひと悶着後、当初のスケジュール通り夫は隣県の実家へ行ったので
自ずと10日間の別居。

その空白がお互いを落ち着かせたのか

夫が自宅に戻った次の日、
「明日カラオケに行く?」と夫に言われ
私も「ああ、いいねぇ」と即答。
今回は無事カラオケに行く運びとなった。


末娘に「明日お父さんとカラオケに行くから」と言うと
一瞬呆れた顔をして、その後苦笑いで「まあ、喧嘩しないようにね」と言われた。

いくつになっても親の喧嘩は子どもにはストレスだろう。
バカな親で申し訳ない。


🎤

そのカラオケ。

夫は、今どきの歌やポップス系を上手に歌えるようになりたいと思っている。
その方が場が盛り上がるからと言う。

しかし、私が思うに
彼の歌声は演歌でこそ、その良さが輝き
お世辞でなく、演歌レパートリーのいくつかは“玄人はだし”。
それこそ皆が喜ぶのではと思っている。

まあ、若い人が歌うような今どきの歌をサラッと歌い
すごーいとか、わかーいとか、言われたいのだろうな( *´艸`)


🎤🎤

ところで、妻(私)的には夫の十八番だと思っている津軽恋女」

ちなみに、「津軽恋女」は新沼謙治さんの歌。(作詞:久仁京介 作曲:大倉百人)

歌詞の中で繰り返されるフレーズがある。

降りつもる雪 雪 雪 また雪よ
津軽には七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪


切ない旋律にのせられた
“七つの雪”を表す日本語ならではの細やかさと情緒性に
毎回胸が熱くなる。


つい先日、
太宰治が著書津軽の冒頭に
(東奥年鑑より)として、この七つの雪を書いていることを知った。

早速夫にも伝え、「へえーー!」と盛り上がったのだった。



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最強寒波来たる!/孫から寒中見舞い


「10年に一度」の最強寒波、来たる!!

昨日、いや一昨日?、いやいや先週??…からニュースが伝えています。

今日、同居する末娘は「行きたくないーー!」と半泣きで出勤。
「なるべく早く帰っておいで」と送り出しました。

私も大寒波に備えて一昨日には食料をたくさん買い込みました。
カレーとかおでんとか、数回食べられるメニューで。


ところが今日、当地方(関東)は思いのほか穏やかな日で、お昼には陽が差しポカポカと暖かい。
今日は不要不急の外出はしないと決めていましたが、何なら、お出かけ日和だった?と思うような。


しかーし、15時半頃から黒く厚い雲が広がり始めました。
強く冷たい風も吹き荒れ、我が家の年季の入ったサッシ窓はヒューヒューガタガタ。

いよいよ来るか⁈と不安を煽られます(⊙﹏⊙)


のん気な物言いで申し訳ありません(-_-;)

皆さま、どうぞお気をつけ下さいますように。


……………


孫から「寒中見舞い」が届きました。



長男孫が書いただろう「だいすき」の文字にキュンとしました。


今春には小学校入学の長男孫。
まだ字はよく読めないそうです。
「す」もくるりと丸が逆になってる^^;
字覚えたての小さい人あるあるですね(笑)


読むのも書くのも4歳の弟に先を越されそうで
でも、本人は全然気にしていなくて
そんなところも長男孫らしいなと、微笑ましくさえあります。

彼のペースで、ゆっくり一つずつ成長していってくれればと思います(*´ω`*)


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大学受験の思い出~母娘旅


今週のお題「試験の思い出」

大学受験の思い出……
今から46年前の話である。


周囲の仲間たちもほとんどそうだったように
コレといった明確な目的もなく
流されるように大学進学を決める。


本当は大学に行かずにやってみたい事もあったが
やりたい!とか、やってやる!というような強い意志が結局のところ無かったので
ぐずぐずしている間に、自分の前には受験しかなかった感じだ。


そんなあやふやな人間に決して安くないお金を払ってまで大学進学など
今、自分が親なら即却下だが
当時はとりあえず大学へ行けばその後の人生は安泰みたいな風潮があり
自分の親も「とりあえず大学へ行きなさい」と言った。

そして自分は、そんな甘々なことを言ってくれる親に
「目的もなく大学へ行くなんて無意味だ」と突っ張りながらも
自分で道を切り開く意気地が無かったのだ。


そんなだから受験勉強に全く身が入らなかった。


私が受験した時代は現在のように共通テストといったものは無く
1~2月に私大、国立大学は3月上旬に1期校、下旬に2期校が受験できた。

建て前として、少しでも親の負担を減らそうと学費が安い国立が希望。

ただ、国立は試験科目も多く、勉強量が壊滅的に足りない自分には多分無理ということはわかっていて
かと言って、浪人して一年受験勉強に励むのも根性の無い自分には無理だろうと考えていた。


私立は2校受験することにした。

一つは万全を期して完璧なすべり止め、A大学。

更に、それでも不安だった母に「もう1校受けときなさい」と言われ、A大学より偏差値がやや高めのB大学。
A大学には受かる妙な自信があったので、難易度が少々上がってもいいと思った。


ところが、絶対大丈夫と思っていたA大学が初っ端不合格となり呆然自失。

ようやく“おし○”に火が点く。


B大学の試験科目は国語、英語、生物。

唯一得意科目だった国語と
授業が楽しくて真面目に取り組んでいた生物は何とかなる気がして
自分の場合、英語の成績が合否を分けると考えた。

とは言え、文法とか熟語とかはもう間に合わない。
とりあえず単語を憶えれば少しでも何とかなるかと
受験の日までひたすら英単語を頭に叩き込んだ。


果たして、B大学受験の日。

1限目の国語は思惑通りの出来。(よしよし)

2限目の英語は叩き込んだ英単語を引っ張り出しながら長文を読み解き、設問にも答えることが出来た。
終了後入ったトイレの中で(これはイケるかも)と思った。

3限目の生物も授業で勉強したところがそのまま出題され(ラッキー!)。


B大学の合格発表は国立1期校の試験期間と重なった。

中国地方の大学を受験する為に地元を離れた私の代わりに、父が発表を見に行ってくれることになった。

母はというと、何故か受験する私にくっついて来て、ちょっとした旅行気分。
旅館に着いて早速くつろいでいる。


そんな中、父から「合格しとったぞ」の電話が入り、私と母は大きな声で喜び合った。
とりあえず入学できる大学が決まったことで心からホッとした。
もうB大学でいいとも内心思った。

夕食の熱々の牛鍋をつつきながら、正直、翌日の試験に向かう気持ちが萎えていく私だったが
そんなことを口にしたら母に怒られると心に仕舞っていたら
母はよほど嬉しかったのか、それとも心配するのがもうイヤだったのか、「もうB大学でいいんやない?」と言った。

母も同じ思いだったことに一瞬驚きつつ、でもホッともして、いよいよどうでもよくなっていた。


本来、大学受験の深刻な旅だったはずが
上げ膳据え膳で美味しいもの食べて、二泊三日の母娘のんびり旅へと、いつしか主旨が変わっていた。


今思えば、母と二人だけの旅はそれが最初で最後だった。

私も私だが母も母だったなぁと懐かしく思い出す。


その後、母のお墨付きもあれば、そりゃ楽な方へ流れるのは怠け者の自分にとっては必定。

残りの受験勉強はますます身が入らなくなり
予想通り国立大学は1期2期とも不合格。

結局受かったのはB大学のみだった。


「もう1校受けときなさい」と言った母に
「どうせA大学受かるんだから必要ない」と啖呵を切り
「それでもとにかく願書出すだけ出しておきなさい」と食い下がる母に
「A大学受かったらB大学は受験しないからね」とエラそうに言い放った私。

後で自分のおバカを思い知ることになる。

願書出しておいて良かったと(心の中で)母に感謝したのだった。



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