すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

こんな事になろうとは…続

 

地元の診療所で見つかった心臓の異常。

精密検査をお勧めされ、それでも多分大丈夫だろうとふんわりとした気持ちで総合病院へ行ったのは先週のこと。

想定外の検査を次から次へとこなす流れとなり、思いがけず長い長い一日となった。

とりあえず、緊急且つ最悪の事態は免れたが、心臓の疾患は確かなものとなり、さて手術となるか経過観察か。

 

その判定を先日聞いてきた。

 

「………よって、手術をお勧めします」

 

出た。お勧め…。

お勧めされ続けていよいよここまで来たか、の心境。

 

「もちろんお決めになるのはご本人です」

そうか… 有無を言わさずやるぞというわけではないのか、な?

 

ただ、前記事の最後にも書いたように、手術となったらすっきりお願いしようと決めていた。

夫もそれでいいんじゃないかと言ってくれていた。

同居する末娘は思い切ってやった方がいいと言っていた。

「疾患をずっと抱えたままでは不安。もし異変が起きてもおかーさんのことだから大したことないなんて考えて、危機感を持ってすぐ対応出来ないと思う」

だそうだ。

それらの言葉に後押しされるように「お願いします」と言った。

 

正直言うと、「すっきり」とはいかなかったかな。何とか言えた感じ。

やっぱりショックだった。

予め心を決めていたから言えた。

ブログにも表明してしまったし(;^ω^)

 

私の返答を受けるや否や、サンプラザ先生(※前記事参照)から術前のいくつかの検査と診察の日程が次々と示される。

手術までの日々は意外と忙しいんだな。

そういうものなのかと、初めて知った。

 

……………

 

「手術」と聞いた日はさすがにちょっと凹んだ。

成功する確率は高いと聞いたが100パーセントではない。

何より「心臓」にメスが入るというのがどうしたって怖い。

いいのか?それ、と何処かから聞こえてくる。

心の中はざわざわしっぱなしだった。

 

それでも、一晩寝て起きるとざわざわが少し落ち着いた。

能天気なくせに心配性でつい脳内でいろいろ考えてしまうところがあるので、立ち止まり考え込む時間が無いようにとにかく体を動かした。

そのうち、己の気持ちが次第に開き直っていくのを感じた。

信じようと前向きな覚悟も。

 

万が一ということもある。

心残りが無いように、などと言うと悲観的、縁起が悪いと言われそうだが

そうではなく、あくまでも前向きに、今やるべき事をやろうと思っている。

 

 

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こんな事になろうとは…長い長い一日に

 

ここ数年、年に一度の市の特定健診を市内の病院や診療所で受けている。

夫が働いていた時は会社の福利厚生で私も人間ドックを受けられたが、リタイアしてからは高額な費用を惜しんで、無料の健診と市のがん検診に移行した。

人間ドックと全く同じとはいかないが、主なものは網羅している健診・検査内容であるし、何よりがん検診の費用が格安なので、十分満足している。

 

そういうわけで、30年近く毎年体のチェックをしてきた。

直近では昨年の12月。地元の小規模な診療所で特定健診とがん検診を済ませた。

その診療所の患者は地元の高齢者が多い様子で、その為かスタッフが皆親切で丁寧。

高齢者の不安をゆっくりと穏やかに聞き取ってあげていて、心が和む。(他人事の様に言っているがもちろん私も高齢者の一人)

総合病院の様にひどく混んで待たされることが少ないのも気に入り、3年続けてこの診療所で健診を受けている。

 

年が明けて今年2月、健診結果を聞きに行った。

今までの2回は他の病院から来ている若い医師が結果を説明してくれていたが、今回は診療所長のベテラン医師。(敬意を込めて大先生と呼ぶ)

血液検査、尿検査、胃・肺・大腸のがん検診など、特に問題は無かったが、もう20年来、毎回指摘されるのが心電図の低電位で、今回もそうだった。

ただ、人間ドックでも今までの特定健診でも「様子を見ましょう」と言われ、気にしないままずっと来た。

(激しい運動をしている人によくみられる、いわゆるスポーツ心臓とも言われ、バドミントンを熱心にやっていたのでそういうものかと)

ところが今回、大先生は「循環器専門の医師に診てもらうことをお勧めします」と仰る。

これまでと違う診断に戸惑いあまり乗り気じゃない私の様子を察してか、もう一度、こちらの目をじっと見て繰り返す大先生。

週に一度、診療所に循環器科の医師が診療に来ると言うので、その圧に押されるように診察の予約をした。

 

3月、循環器科医師の診察。(親愛の情を込めてポン太先生と呼ぶ)

心電図を診ながら「うーん、低電位は低電位だけど、ここの所がねぇ…ちょっと変だよねぇ…」と渋い顔。

心筋梗塞がどうとかちょっと怖いことも呟かれて。

「医療センターに予約を取るので、心エコーと心電図の検査して来て下さい」と言われた。

「まぁ心配はないでしょう。様子を見ましょう」と言われるのを勝手に予測していた私はポカン。

(え…?そうなの??)の顔をしていたと思う。

 

4月初め、医療センターで心エコーと心電図検査。

サクサクと終わり、気分良く帰宅。

何の根拠も無いのに、多分大丈夫だろうと何故か思った。

 

4月中頃、診療所でポン太先生から検査結果を聞く。

「低電位はね、まあ心配ないですけどね、心エコーがね、ちょっとね」

検査報告書を差し出され異常個所を説明される。(病名を書くと少々重いので暈す)

「僕は専門ではないのでアレですけど、治療となると外科手術になると思います。まあ、この感じだと経過観察かなあとも思いますけど」

心臓の外科手術⁈

多分大丈夫と無意識に思っていたので、またもや頭の中は(ええっ?何それ??)。

「何処かかかりつけの病院があれば紹介状書きますけど」

想定外の展開に思考はおぼろげ。顔はもしかしたら目が点だったかも。

「かかりつけは特に無いですが…逆に先生に紹介して頂けると有難いです」

とやっと言うと、市内の総合病院を二つ挙げてくれた。

決めきれず、ご家族と相談されてもいいですしと言われ、持ち帰ることに。

それでも、手術の二文字が受け入れ難く

「経過観察かなということは、病院に行くのもちょっと様子を見てもいいということですか?」

とアホなことを言う私に

「いえ、それはダメ。ちゃんと行ってください」とポン太先生は呆れるように苦笑いをした。

 

本当ならその場で決断し紹介状を書いてもらえば良かったのだろう。

持ち帰った後、うだうだと迷う時間を過ごし、ゴールデンウィークも挟み、結局紹介状を書いてもらったのはその三週間後だった。

多分大丈夫なんだけどなあとの根拠の無い思い込みが行動を遅らせた。

 

しかし、それからが速い展開となる。

 

5月中旬の週末、ポン太先生に紹介状を書いていただく。

「心臓血管外科ですから」と改めて言われ、何とも言えない気分になる。

週明け早々、病院に予約の電話を入れる。

なかなか繋がらず、その日の夕方ようやく繋がると、翌日午前10時40分の予約が取れた。

 

当日、予約時間の30分遅れで診察室に呼ばれる。

担当医師はハキハキとした物言いで時に笑い声も交えながらで、こちらの気分も明るくなる。

10分程の問診を受けた後、「とりあえず、もう一度心エコーと心電図をとらせてください」と言われ、ハイハイと診察室を出る。

慣れたものと検査を終わらせ心臓血管外科に戻ろうとすると、心エコーの受付で採血と採尿をお願いしますと言われる。

検査場所を移動し、採血と採尿を済ませ、心臓血管外科に戻る。

その段階で担当医師が変わりますと言われ、しばらく待つ。

午後12時半を回っていた。

 

午後1時少し前、診察室に呼ばれる。

変わったという担当医師もハキハキと検査結果を知らせてくれる。(サンプラザ中野氏にちょっと似ているのでサンプラザ先生と呼ぶ)

その中で、やはり心エコーで同様に疾患が認められたこと、その影響が体内で生じているのが心配されること、なのでこの後MR検査CT検査を行いたいことを流れる様に伝えられた。

「今日はこの後、お時間ありますか?CTまでやると5時近くになりますが」と言われ

思わず「えっ!5時ですかあ⁉」と素っ頓狂な声を上げてしまった。

まるで検査の重要性を理解していないような私にすかさずサンプラザ先生は

「最悪の場合はこのまま即入院ということもあり得るんですよ。手術の可能性もあるし。そうなればご主人様にも一緒に話を聞いてもらわなければなりません」

と厳しい目で語気を強めた。

 

そうだったんだ… 最悪の場合、そういうこともあり得るのか…

ここに来て、ようやく我が身に起きていることに不安を抱くおバカな自分。

 

最悪の状況も覚悟し、MR検査とCT検査を受ける。その他にもいくつか。

緊急扱いとなったのか、意外なほどスピーディーに検査が進む。

広い病院内をあちらこちらへと歩いて回った。

5時になると言われたが4時には全ての検査を終えることが出来た。

再度、心臓血管外科に戻る。

 

あとは診断を待つだけだが、血液検査の結果が出るのが1時間ほどかかるので、それからの診察となると言われた。

待っている間、もし即入院となった場合のあれこれを考えたり、手術の話を一緒に聞いてもらう夫のスケジュールを確認したりした。

自分の病状を初めてしっかりと認識した時間だったかもしれない。

 

1時間より早く診察室に呼ばれる。

サンプラザ先生の声色がいくらか和やかになっている。

「MRとCTの結果ですが、心配されたものはありませんでした」

検査報告書には検査の詳しい所見と、脳血管障害無し、塞栓症無しの文字が記されていた。

心底ホッとして「わ~良かったです!」とまたまた素っ頓狂な声を上げてしまったが、サンプラザ先生の目はにこやかだった。

ただ、心臓の疾患が消えたわけではないので、その部分を手術するのか経過観察とするのかは少し考えて次回の診察でお話しますと言われた。

 

診察を終え、会計を待っている間、フロアの大画面テレビでは大相撲中継をやっていて、ふっと人心地つく。

朝出る時はこんな事になろうとは思ってもいなかったなぁと可笑しくもあり。

会計を済ませると5時を少し過ぎていた。

長い長い一日だった。

 

帰宅し、夫に事の顛末を一気に話す。

MRとCTを撮りたいと言われた時に「(終わるの)5時ですかあ⁉」と叫んだ私の様子、目に見えるようだと言った夫。

「俺だったら是非検査して欲しいって思うけどな」

不安が解消されず、結局様子を見ましょうでは納得できないだろう、と。

 

そうなのだ。

紹介状無しでは診てもらえない病院に、わざわざ紹介状を書いて貰い精密検査をしに行ったのだ。

きちんと検査せずにどうするという話だろう。

己の病状を心配する前に帰りの時間を心配するなど、つくづくおバカである。

サンプラザ先生にきつく釘を刺されるのも当然だった。

 

……………

 

今さらどの口が言うと呆れられそうだが

改めて強く思うのは、これだけ綿密な検査をしてもらえたことは本当にラッキーだったということ。

そして、緊急な問題が見つからなかったのもラッキー。

また、もし見つかったとしても、自覚症状が全く無い中で見つけられたのだから、それもラッキーと言うべきだろうし、即座に対応出来ただろうこともラッキーとなっただろう。

結果として、頭部のMR検査や冠動脈・心筋のCT検査で今のところ異常無しのお墨付きをいただけたのも、何気にラッキーである。

 

 

診療所の大先生やポン太先生にも感謝したい。

長年「様子を見ましょう」と放置してきた症状にきちんと向き合うことを勧めてくれたおかげで、隠れていた疾患が見つかった。

その疾患について精密検査を受けるよう背中を押してくれた。

それがなければ、自分はこの先もずっと様子を見続けていただろう。

そうしている間に突然何かが起こったかもしれない。

 

サンプラザ先生にも感謝である。

状況を理解出来ていないバカで失礼な患者を見捨てず、しっかりと調べてくれた。

そして最後には「安心」を手渡してくれた。

 

次回の診察日。

仮に手術と判断されたら「お願いします」とすっきり応えようと思っている。

 

 

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孫の初舞台

 

長男孫と次男孫はダンスを習いに行っている。

 

レッスンの参観に一度行ったことがある。

小学校に上がったばかりから就学前の一番年少のクラスに所属する孫たち。

参観の時には簡単な体操の様なダンスを緩い感じて見せてくれた。

ダンスというから今時の激し目のものを想像していたが、ちょっと違う。

一応振り付けがあるが、子どもたちはそれぞれに出来る範囲で手足を動かしている。

先生もそれ程厳しく指導することなく、楽しくやる事を優先していると思われた。

 

ダンスだけかと思ったら、途中お芝居の様に配役をしてセリフを練習する時間もある。

先生の口伝えで「はい、〇〇ちゃん言って」「次、☆☆ちゃんね」。

ウチの孫たちの様子を見ていると、ただただ先生の言葉のおうむ返しで、感情のこもったセリフには程遠い。

あれ?ダンスだけじゃないんだ、コレは何の練習?と不思議だった。

 

それにしてもウチの孫たちは、ダンスもセリフも今ひとつ。

というか、ふざけてちっとも集中しないので見ていてハラハラする。

やる気があるんだか無いんだか。

辛抱強く向き合ってくださる先生方に、申し訳ありませんと心の中で手を合わせるばかり。

 

それでも、広いフロアいっぱいに走り回り、大きな声を出し

何より孫たちが楽しそうなのが良かった。

 

ただ、

正直、このレッスンがその後何かの形になるとはその時はとても思えなかった。

8ヶ月程前の事である。

 

🕺

 

それが、

このゴールデンウィークにダンスの発表会があるというではないか。

どんなものかと期待と不安半々で観に行った。

 

それはなんと、ダンスだけでなくありセリフありのミュージカルだった。

あの時、セリフの練習をしていたのはこれだったのだ。

 

あんなにおふざけ野郎だったウチの孫たちも、みんなと息を合わせて踊っている。

ポジションチェンジもスムーズに出来ている。

セリフの順番も間違えずに出来ている。

シャイな長男孫は緊張気味だったが、セリフの間が良く会場の笑いを誘うと、はにかんだ笑顔を見せた。

次男孫はソロの歌の時に野太い大声を響かせ、やっぱり会場を少し沸かせた。

 

驚いた。

8ヶ月前の参観日の時の、あれがこんなに素敵な形になることに。

そして、あんなに頼りなかった孫たちの成長に。

先生方のご努力とご苦労に頭が下がり、感謝の思いでいっぱいになった。

 

同じ年少クラスでも最初から先生の指導にきちんと応えられるお子さんたちもいて、ウチの孫たちとの差は歴然だった。

だが、彼らにも引っ張ってもらいながら、孫たちは成長出来たのだろうとも思う。

そんな仲間と出会えたことも孫たちにはラッキーだった。

 

幼いながらも、舞台に立つ一人一人が自分の精一杯を発揮しようとする素晴らしいミュージカルだった。

 

いや、幼いながらも、は余計だな( ̄▽ ̄)

 

 

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「名作」と“おばちゃんち”の思い出


今週のお題「名作」


なんとまあ心躍るお題。

何の「名作」について書こうかと悩みます。

映画…?

映画ならやっぱりE.T.?それともライフ・イズ・ビューティフル?それとも…『フーテンの寅さん』シリーズ??

音楽なら、中島みゆきさんの「ファイト!」とか…?

テレビドラマなら、倉本聰さん脚本の北の国からが名作と呼ぶのに相応しいかな?倉本さんなら『前略おふくろ様』も良かった。


いや~~絞れない💦決めきれない💦


ならば、

お煎餅の、その名も「名作」の思い出(^▽^;)


通っていた高校の裏門を出た所に、生徒たちが“おばちゃんち”と呼ぶお店がありました。

中年のおじちゃんとおばちゃんが営むこじんまりとした店で

パン類やカップラーメン、肉まん、あんまん、牛乳やジュース類、菓子類等が並んでいました。

お昼のお弁当だけでは足りない腹空かしの生徒の味方。

昼休みだけでなく、授業と授業の合い間や放課後にも多くの生徒が買いに行っていました。

店の奥にはテーブル2卓とイスが置いてあり、そこで食べるのも可。

日曜日の部活練習後に皆でおしかけ、テーブルに陣取り昼食を食べるのが常だった私たち。

練習後の疲れた心身を癒してくれて、いつも1時間以上は長居。

学校が休みで他に生徒はいなく、おじちゃんたちにすればゆっくり出来る日だったのかもしれないのに。

今考えればちょっと迷惑だったんじゃないかと。

それでも、いつも「お疲れさま」と優しく迎えてくれ、私たちの幼稚な話にもニコニコと相槌を打ってくれたおばちゃん。

おじちゃんはちょっとシャイだったけど、買ったカップラーメンにお湯を入れてくれるのはいつもおじちゃんだった。

ちなみに、私の定番はカレーヌードルに肉まん、そしてチェリオ

他のメンバーがニューフェイスのジュースに心変わりしても、安くて量が多いチェリオ一択を貫きました。

王冠の裏に当たりが出るともう1本でしたし(*´▽`*)


そんな“おばちゃんち”で売られていた「名作」

堅焼きの醤油味、美味しく大好きでしたが、少ないお小遣いをやり繰りする身にはいわば贅沢品^^;。滅多に買えなかった。

ある日、いつもの様に友だちとおばちゃんちに行くと同じクラスの男子がいて

気のイイ人だったので、ちょっとふざけて「名作、奢って~」と言うと「いいよ~」。

「え?⊙.☉」と逆に驚いてしまったけど、有難く奢って頂きました。

実は、その時一緒にいた友だちが彼のこと密かに好きだったようで(私は知らなかった)、ずい分と羨ましがられました。

あの時のとぼけたような彼と少し拗ねた友だちの顔を思い出します。


「名作」

2010年に製造していた製菓会社が廃業。幻の味となっていたそうです。知らなかった。

2022年、越後製菓が復活させ、今はやわらかタイプとなっているんですね。今度食べてみよう。

「名作」のロゴは変わっていないと思います。



今、BSでティファニーで朝食をを放送しています。

内容紹介に“ラブストーリーの名作”とあり、確かにこれは「名作」ですね。


……………


先日の、映画『オッペンハイマー』についての記事に
「戦争を知らない世代として何か感じ取れたら」と
我が子と同じ世代の方からコメントをいただきました。

ちょうど『オッペンハイマー』を観に行かれるとのこと。
自分の書いた内容が余計な影響を与えないことを強く願いつつ
いただいたコメントに、何か引き戻された様にハッとした次第です。


私は散々わかりにくいと書きましたが
それでもきっと、観た人は何かを感じずにはいられないでしょう。

それでいいのだと。


自分なりに感じて
そして、考えてみて

この作品は、監督の意図は、そういうことなのかもしれない。


その正体をすぐには見極められなくとも
そして私自身は未だに明確にはなっていないですが
受け取ったエネルギーはとても強かった。

一体何だったんだろうと考えてしまう。

それでいいのでしょう。



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『オッペンハイマー』~「原爆の父」と呼ばれた男


映画オッペンハイマー観ました



ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。
2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。


第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。(「映画.com」より)


第96回アカデミー賞(2024年)では同年度最多となる13部門にノミネートされ
作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞


「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマー

の名前は多分何処かで聞いたことがあったでしょう。

タイトルそのものとなった彼の、

何故原爆を開発することになったのか

どの様にして開発に成功したのか

どの様な過程で日本に落とすことに関わったのか

戦後、彼はアメリカ社会で「原爆の父」としてどう扱われたのか

そして、彼自身は原爆を開発し日本に原爆を落としたことについてどのように語ったのか

が知れる内容だろうと単純に想像し、観に行ったのですが

正直、とてもわかりにくいという印象を持たざるを得ませんでした。(自身の理解力不足もあるでしょうが)


カラーとモノクロが行き来する映像

時系列があちこちに飛んで、カラーが現在でモノクロが過去なのかと思いきや、そうでなく

オッペンハイマーと原爆開発”“「原爆の父」としてのオッペンハイマー”が唯一の視点かと思いきや、うーむ、そうでもなく

もちろん、原爆開発プロジェクトが成功(日本人として言いにくい表現である…)に至るまでの流れは描かれているのだけど

それとはかけ離れた感のあるシチュエーションも随時差し込まれていて

スクリーンを観ながら何度も迷路に入り込んだ様な感覚に陥りました。(繰り返しますが、自身の理解力不足なのでしょう)


これはもう一度観ないとダメかなと思いましたが

帰宅後、ネットで解説を読んだり、それこそWikipediaを熟読し、物語の流れや脚色を理解した次第です(苦笑)

なんだ、そういうことかと腑に落ちましたし、自分が知れるだろうと思っていた内容も確かに描かれてあった。(Wikipediaを読んでようやく理解するというのも情けない話です^^;)


……………


ここからは全く個人的な、日本人としての偏りもある、しかも理解力不足人間の受け止めですが

日本人が日本のテレビや映画などで観てきたいわゆる「原爆もの」とはやはり違う。

原爆被害の悲惨さをきちんと描いたかと言うと、そうとは言えないのかもしれない。

日本人は今まで見てきたもの、学んだもので想像出来るけれど

果たしてこの映画を観た外国の、アメリカの観客でさえ、原爆被害の実情を知らないままの人は多いのだろうなと思いました。


実は、作品を鑑賞後、熟読したWikipediaにも「被爆地描写が無いことに関しての是非」について記されていました。

一部、批判や指摘が発生していることに対し、ノーラン監督や映画評論家の反論も紹介されていました。

その中で、実際の原爆被害者の方の言葉もありました。

長崎県被爆者手帳友の会会長の朝長万左男も前述の長崎での特別試写会において、
「原爆被爆者の映像が取り入れられていないことはこの映画の弱点かと思いましたが、実はですねオッペンハイマーのセリフの中に何十カ所も被爆の実相にショックを受けたことが込められていました。あれで僕は十分だったと思うんですよね」とコメントしている。(Wikipediaより)


日本人が既に抱く「原爆映画」とは違う

反戦」を描こうとしたわけでも、ない?

一体何を描こうとしたの?

鑑賞直後はそんな思いが沸きましたが

今、日にちが経過し振り返ると、浮かぶのはオッペンハイマーの苦悩の表情。

正しいとか過ちとか、一つ一つ明確にすることなく、オッペンハイマーの視点で淡々と描く。

それでも最後、究極の彼の言葉でしめた。


「我は死神なり、世界の破壊者なり」


それがこの作品の、監督の、意思だと思えば、ホッと胸をなでおろすような、そんな気持ちになりました。


……………


日本に原爆を落とし勝利したアメリカ。

祝勝パーティーのシーン、明るい笑顔で喝采する彼らは、その時、日本人の悲惨な状況など知らないのだろうなと思うと、心が傷つくのを感じました。

80年近くも前の、しかも映画の1シーンに、リアルで強烈な違和感(或いは嫌悪感)を覚えたのは正直なところ。

ただ、同時に、日本もそうして他国を破壊し他国の人々を傷つけ、万歳、万歳と祝ってきたんだよなと思うわけです。



※観た映画について書くのは自分にとって楽しい事ですが、今回『オッペンハイマー』についてどう書こうか、どう書けばいいのか、そもそもこの作品を自分は理解出来ているのか、とても悩みました。
もしかしたらきちんと理解出来ていないものを、記事にしていいのかとも思いました。
観ている最中の全く個人的な感情や感覚をただそのまま並べただけの内容。
客観的な考察や理解には至っていない中身。

ですが、この作品を観て、感じたことを忘れてしまうのは残念なので
そのまま残そうと思います。



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