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親と子、我が家族の場合~「少年A」14歳の肖像、を読み終えて

前記事の続きです。 

komakusa22.hatenablog.com

 

では、私にとっての両親はどうであったかと考えると、兄とは異なってくる。
愛情深い人であったというのが私の抱く両親像である。

幼い頃から母の過干渉は私にも向けられ、大人になり家を出るまでそれはあった。
自立し結婚してからはさすがに減少したが、それでも根本は変わらない。
ふと現れる母の過干渉の言葉にうんざりすることはあった。
ただ、私は親にはっきりと意思を言ってのける子どもだった。
それは前記事にも書いたが、下の子の気楽さや甘えでもあっただろう。
どんなに母に言われても嫌なものは嫌とはねのけた。
後に母がよく言っていたのが
「あんたが小さい頃、怒って出て行きなさい!と言うと、本当に出て行きそうだったから言えなかった」
兄は多分そうではなかったと思う。
親の言うことに反発する術を知らず、ただ内に籠るしかない子どもだったのではと思うのだ。

それと、兄と私で決定的に違ったのは父の存在だった。
兄は父にとにかく男らしくあれと厳しく育てられた。
片や、父は妹の私には甘々だった。
母に叱られ口ごたえする兄を、父は男らしくないとさらに叱ることもあった。
片や、父は母に叱られた私を庇い、慰めてもくれた。
そんなふうである。

自分にとって両親は紛れもなく温かい、且つ甘く切ない心のふるさとである。
両親以外誰もしてくれないと思えるほどの愛情で守り支えてくれたと確かに思える。
両親が亡くなった今、兄が両親に対しどんな思いを持っているのか正確なところはわからない。
ただ、私とは少し違うのだろうなと感じる。
それを寂しいと思うのは私の勝手で、サバサバと割り切ったように長男の責任を果たす兄を見て、もうそれでいいと思う。
兄の思いはどうであれ、両親をきっちり見送ってくれた。
両親に言われ続けた「責任感のある人間になれ」という言葉が兄という人間を形作っていることを強く思うのだ。
それを誰よりも喜んでいるだろう父や母に「良かったね」と言ってあげたい気持ちだった。

 

父や母が特別に歪な親だったとは思わない。
だが、兄とは相性が悪かったのだろう。
血を分けた親子でも相性の合う合わないはあるのだと思う。
私にすれば我が子に対し愛情深い両親も、兄にはそう思えなかったのかもしれない。
父も母も間違いなく兄を、もしかしたら娘の私よりも濃密に愛していたが
その愛し方が兄には素直に受け止められるものではなかったのだろう。
それはやはり相性の良し悪しで悲しいかな起こる掛け違いといったものだったろうと思う。

また、
両親が私たちを愛する気持ちに違いは無くても、その表し方には違いがあったと思う。
男と女。長子と末子。
初めての子どもを育てる親の、肩に力の入った未熟さと
育児を経験した親の、適当に力の抜けたいい加減さ。
それらのことが少なからず親と子の立ち位置に影響を与え
同じ親に育てられた兄妹であっても、親子の間に流れるものは異なっていただろう。

 

そんなことを考えれば考えるほど、親子とはなんと難しい一筋縄ではいかないものだろうかと思うに至る。
ならば、もっと簡単に、素直に考えてみる。
そもそも、子は親の所有物ではないということ。
子は既に一つの人格であり、
子の真の幸福を、例え親といえども分かり得ないと謙虚に思うべきであるということ。
そして、親の出来ることと言えば、子を信じ見守ることだろう。
子が助けを求め振り返った時には温かく抱き締め、背中をそっと押してやることだろう。

ただ、それが難しいのだ。
何故だろう。


「少年A」14歳の肖像 に戻る。

「少年A」の母親が過干渉であったことを前記事で記したが
母親は「甘やかさず叱りつけ気味に育てた」とも話している。

彼がものごころつくかつかないころから、彼女は厳しい躾けをほどこした。少年Aを産んだ一年後には次男をもうけ、その時期をさかいにして長男を突き放すようにして育てた。排尿、排便、食事、着替え、玩具のあとかたづけなど、口やかましく徹底させた。この世に生まれ出てほんの数年しかたっていない、甘えることが生きている実感そのものであるかのような時期に、彼女はそれを許さなかった。父親は普段は無口でおとなしい生真面目な人物だったが、急に火が点いたように怒りだすことがあった。両親にたいして彼はけっして逆らわず、従順だった。無力な幼児には、そうするしかほかに道はなかった。(本文より引用)

次男が産まれた二年後には三男が誕生し、三歳の「少年A」は余計に突き放され自立を求められたという。

児童心理学が言う「母子未分化」あるいは「母子一体」の時期は、子供が子宮に宿り体外に生まれ出てから以後も二、三歳までつづく。幼子はへその緒でつながっていた母胎のやすらかな記憶から、なかなか離れられないでいる。母親と自分が別個の存在だということさえわからない。そんな時期に無理やり母親から引き剥がされたり、きびしく撥ねつけられたりすれば、幼子のこころは深く傷つき、雨の降りしきる無人の街路にたったひとりで放り出されたようになってしまう。(本文より引用)

精神鑑定では、「少年A」には「愛情への飢え」や「子宮回帰願望」が見られ、「幼少期の発達に問題があったことを示唆している」と指摘されている。

母に突き放され愛情に飢えた幼子時代を過ごした少年が
ようやく意思を持ち始めてからはその母に過干渉で縛られていく。
愛情という名のもとに。

「少年A」の悲痛が見える気がした。

 

親は余計なことをせず、ただ、ありのままの我が子を愛してやればいいのだ、
簡単なことだろう、と言われるのかもしれないが
それが難しい。

 

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