今朝、いつも楽しみにお邪魔しているブログを読んでの事。
そのブログを知ったのは少し前なので、ブログ主さん(日本人女性)のプライベートな部分をあまり知らないのですが、内容から察するに多分70代でいらっしゃるかと。
お若い時に渡米し、アメリカ人の男性と結婚。
以来、ずっとアメリカで暮らして来られたようです。
仕事を持ち、息子さんと娘さんが生まれ、お孫さんたちが生まれ、文字通りアメリカ社会に溶け込んで生きて来られたのでしょう。
彼女のブログは温かく、親しみがあり、日本人ならではの真面目さも垣間見え、いつも心地良く染み入ります。
ご主人を始めとするご家族との楽しいやり取りや動物への優しい眼差しに癒される思いも。
これまで当然ご苦労はあったかと思いますが、今は本当にお幸せに穏やかに過ごしていらっしゃる。
そんな暮らしぶりを拝見するのが本当に楽しみなのです。
そんな彼女の今日のブログ。
私はアメリカの徴兵制度復活をいつも不安に思っています
それはそうでしょうと思いつつも、その瞬間私の中にそれほどの実感や切迫感があったとは言えず。
その後彼女が明かしてくれた事実に胸が潰れる思いがしました。
彼女が20代の頃、アメリカはベトナム戦争の真っ只中だったそうです。
戦争が激化すると21歳からだった徴兵制が18歳に引き下げられ、1969年には徴兵抽選制度が導入。
生年月日が無作為に抽選され徴兵される制度だそうです。
今の日本では徴兵制すら到底考えられないことだけど
徴兵が抽選で決まるという、何とも安易な、そこにそうしなければならないという真摯な理由も見当たらないような
人の生死に関わる運命が抽選で振り分けられるという事実にショックを受けました。
そして、
徴兵制が存在する国の若者たちは中身に多少の違いはあれど、詰まるところそのように招集されているのかもということにようやく考え至る己の愚かさ(平和ボケ)にも。
抽選制度が始まった年、大学生だったご主人に召集令状が届きます。
ベトナム戦争は激化。とても心配したけれど、近視で身体検査にパスせず、結局戦地に行かなくて済んだそうです。本当に良かった。
ちなみに、その後5年戦争は続き、58,221人のアメリカ兵と200万人~300万人のベトナム人が命を落としたとのこと。
さらに、2003年には息子さんが湾岸戦争に送られたそうです。
「帰ってこなかったら一生自分を許せなかったと思う」と言う彼女の母としての心中を思うと、どれほどお辛かったかと堪らない気持ちになりました。
もちろん彼女の心痛の大きさを私などが測り知ることは出来ませんが。
幸せで穏やかな“今”を送るブログ主さんのすぐ傍に戦争が存在していたという事実。
彼女と私には何の接点もありませんが、不思議なくらい身近に感じて胸が痛みました。
徴兵の不安やトラウマは今でも続いているそうです。
彼女が「孫の時代にはそんな心配をしなくてもいい世になっていること」を願うように、私もそのことを強く願わずにいられませんでした。
……………
昨年末、とあるきっかけで曾祖父母の代からの家系図を見ることとなりました。
その際、広島に嫁いだ祖母の姉(私には大伯母)の死亡日が昭和20年8月6日であることを知りました。
大伯母の子どもたち5人の死亡日も8月6日。
顔も知らない大伯母と幼い子どもたちがあの日原爆で亡くなったという事実に息を呑みました。
そして、あの惨劇が本当にあったのだと今さらのように突き付けられた気がしました。
その時、ブログに記しました。
そう言えばと思い出す。
原爆が投下された直後、祖母が広島に行ったという話を父から聞いたことがあった。
おそらく姉の安否を確かめに行ったのだろう。
残酷で悲惨な現実に祖母はどんなにか悲しく苦しかったことだろうか。
毎年「原爆の日」には自分なりに考え、祈り、文字にすることもあった。
だが結局のところ、遠いところにあったのかなと思い知らされている。
自分の近しい身内に原爆の犠牲者がこんなにもいたこと。
初めて原爆の痛みや悲しみをリアルなものとしてこの身に受けた気がするからだ。
戦争を知らない私たちが戦争の悲しみや愚かさをリアルなものとして受け止めるのは難しいのかもしれません。
でも、やっぱり知らなければいけないと改めて強く思います。
知ることで何が変わるのだと頼りなく思えても、戦争を防ぐ第一歩なのではと考えるからです。
その為に身近な事実や言葉に触れるのも重要なのかなと、自分自身の体験から思います。
今回、ブログ主さんにはお辛い経験をお伝えいただいて、心から感謝いたします。