すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

買い物かごぶら下げて


先月、福島の大内宿を訪ねた際、
のぞいた店先でこれを見つけ、
ふと懐かしい気持ちになって即買してしまいました。


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昔、私が子どもだったころ(ですから、昭和30~40年代)
主婦と呼ばれる人たちはこういった買い物かごをぶら下げて、
日常の買い物をしていたと記憶しています。
デパートではなく、近所の八百屋さんとか魚屋さんとか肉屋さんとか、ですけど。
母も同様に、毎日買い物かごをぶら下げて、
そうそうエプロンなんかもしたまま、近くの市場に歩いて出かけていましたね。
私も手を引かれ、時には4つ年上の兄も一緒に。
同じ社宅仲間のおばちゃんたちやその子どもたちも一緒にぞろぞろと行くことも度々ありました。
それこそ、おんなこどもの集団でワイワイと楽しかった。
(その当時はまさに高度経済成長期。夫は企業戦士となって家庭を顧みる余裕も無いっていうのがまあ普通な時代でしたね~)

市場には様々な種類のお店がギュッと詰め込まれるように並んでいて、
ここでお肉を買って、次にお魚買って、野菜を買ってと歩きながら買うものを選んでいきました。
そうして、買い物かごの中に次々と品物を入れていくのです。
トレーなんて無かったから、新聞紙でくるんだり、そのままだったり。
奥には豆腐やあぶらげ、こんにゃくなんかが売っているお店があって、
こんにゃくは「糸こんにゃくにしてください」と言うと、
おじさんが木の道具でエイっと突いてくれました。
くる~っと回ると乾物屋さん、それから今で言う日配品が並ぶお店。
即席ラーメンの袋を初めて見たのもそのあたりのお店だったと思います。
こじんまりと衣類や下駄、運動靴などを売っているお店もあり、
少しかび臭いお店の奥を覗くといつもおばあさんが座っていました。
母が市場の中を一回りしている間、私はお菓子屋さんでお菓子を眺めるのが楽しみでした。
主にチョコレートですが。
明治のストロベリーチョコレートに出会ったのもそのお店で、
初めて食べた時、チョコレートの中の苺のつぶつぶの食感にこの上なく感動したものです。
そんなに裕福でなかったせいもあるでしょうが、
母はそういった嗜好品をぱらぱらと買ってくれる親ではなかったので、
また、それを子ども心にわかっていたので、買ってもらおうなんてほとんどはなから諦めていて、
ですから、今考えると
買わないのにいつもいつもウロウロとお菓子を眺めている困った女の子、だったと思うんですよね~。
でもお店の奥さんはそれを放って置いてくれたんですね

それから、

親に言いつけられて市場で買い物をするのは、
子ども(少なくとも私)にはなかなかハードルの高いお手伝いでした。
今のように、白いトレーに大人しく載せられているお魚やお肉を選びレジでお金を払えば済むという、
つまり一言も発せなくともお目当ての物が買えるという、
人見知りの強い子どもに優しいシステムではなかったので、
おばちゃんたちに混じってお店の人に声を出して注文するということがすごくすごく大変なことでした。
不安丸出しのか細い声と間の悪さが重なって、いつになっても注文を聞き取ってもらえず、
泣きたい気持ちで店先に立ち尽くしていると、大抵、世話焼きのおばちゃんが助けてくれて。
まあそんな情けない子どもでしたね。

でも、それはそれで
子どもたち(少なくとも私)には良い経験であり、良い修行であったと思います。

今は、
時に親切過ぎるほどの便利さや気楽さ、簡単さを追い求めて、
手がかかることや気を遣うことを削ぎ落としてきた気がします。
それはそれで、もちろん良かったこともありますが、
手離してしまった大切なものもたくさんあるのかもしれませんね。

・・・・・

そんな時代から40年以上経ち、
その間、時代は様々な経験をし、様々な気づきがあり、
今、また
レジ袋ではなくマイバッグでお買い物が推奨される世の中になりつつあるわけで。
良いことだと自分は思います。

大切な資源を使って無駄な物をわざわざ作ったり、
無駄な物をわざわざ作ってそれを燃やす為に大切な資源を使ったり・・・
そのようなことが少しでも減るように。

それが無駄であるかどうか、
本当に必要であるのかどうか、
すぐにわかるのは難しいのかもしれませんが。