すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

雨の日、独りを満喫

 

今日は朝から雨。

今週のお題は「もう梅雨入り⁉」ですが、私が住む辺りはまだ。(だと思う)

今年は全国的に、梅雨入り、梅雨明けが「平年より早い」との予想だそうです。

既に梅雨入りした地方からは大雨のニュースも聴こえてきています。

今日の天気予報は広範囲で大雨。天気図では雨雲が日本列島を横断していました。

突然の豪雨や延々と降り続く長雨で、今シーズン、また大きな被害が出なければいいなと祈る気持ちです。

 

とは言え、雨も必要ですからね。

先ほど夫が隣県の実家に向かいました。しばらく独りを満喫です。(夫も)

窓から見える雨がやや激しくなってきましたが、今日は何処にも出かけないので、そんな光景もゆったりと見ていられる。

(ちなみに、外出時の雨はくせ毛が収拾がつかないことになるので、俄然テンション下がる私です)

亡くなった母が昔、雨が降ると、「家の窓からずっと雨を見ているのが好き」と言っていました。

当時の私は、雨を見るのが好きと言う母の心境がわからなかったけど、今はわかる気がします。

落ち着くんですよね。そして癒される。

頭の中も心の中もぼんやりと虚ろ。そうしてリセットされる感覚もあります。

母もそうだったのかな。

いつも前向きで思い煩うことなどないような母だったけど、癒されてリセットしたい思いがあったのかな。

 

それにしても、こんな呑気なことを言えるのも、昨日たくさん洗濯出来たからだな。

本格的な梅雨になり毎日雨となれば、窓から見える雨が恨めしくなるに違いありません。

とにかく今日はゆっくりしよう。

一昨日たっぷり作ったミートソースがまだある。

自分の好きなものを好きなように食べてダラダラしようと思います。

 

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紫陽花の便りをあちらこちらのブログで拝見するようになりました。当地方はもう少し先かと。↑こちらは2012年6月3日。すごーく古い写真で恐縮です(~_~;)

 

 

ところで、下の孫の手術、無事終わりました。

コロナ禍でお見舞いに行けず、退院後もまだ会っていませんが、元気に帰ってきたようです。

いつ会えるかわかりませんが、頑張ったご褒美に大好きな「はたらくくるま」の本を買ってきました。

ボクのは?と当然上の孫も言うと思うので、「ウルトラマンシリーズ」の本。

それと「いきものずかん」。上の孫は生きもの大好きですから。

すっかり元気になり遊びに来るのを待って本棚に並べておきます。

見つけて「あーーー!」とふたりが喜ぶ顔を想像するとこちらもワクワクします。

 

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ゆだん(油断)ってなあに?

 

昨日は上の孫と公園に出かけました。

じいじの車にチャイルドシートを付け替えて、じいじとばあばと3人で。

ママが一緒じゃないお出かけは初めてです。

弟もまだ少し鼻水が出るのでお留守番。手術に備えて体調を整えておかなければいけないので。

ママと離れてのお出かけ、大丈夫かな?と少し心配はありましたが、朝お迎えに行くとリュックと水筒を抱えて飛んで出て来ました。

ボクも行くーー!と泣き叫ぶ下の孫を残して出発。

弟のことを気にして「どうして〇〇は行かないの?手術だから?」と理由もわかっていました。

コンビニのおにぎりが大好きだと娘が言うのでコンビニに寄ると、「ボクはサケのおにぎり。〇〇にもおにぎり買ってあげて」と言います。

しょっちゅうケンカしているのに、一緒に公園に行けない弟が可哀想と思うのか、そんな優しいことを言うのです。

かと思うと、

ばあばが「今〇〇ちゃんにおにぎりは買えないけど、帰りに何かお土産を買って帰ろう」と言うと、「〇〇はマック(マクドナルド)が好きだよ」とニヤリ。

マックのポテトが大好きなボクは弟にかこつけて買ってもらおうとしているのが見え見えで、ちょっと笑っちゃいました。

 

公園ではブランコや滑り台、それとアスレチックで遊びました。

小学生くらいのお子さんが遊ぶような、孫には少し難しいかなと思うようなアスレチックでしたが、果敢に挑戦。

落ち着きが無いけど注意深く慎重なところもある孫なので、吊り橋も一歩一歩上手に渡ります。

「上手上手。でも油断しないで」と言うと、「ゆだんってなあに?」と尋ねます。

「全然平気と思って注意しないことだよ」

意味が伝わったのか、最後まで油断しないで渡り終えることが出来ました。

 

さて、お昼ご飯。

楽しみにしていたサケのおにぎり。

ベンチに腰掛け、ひと口ふた口ぱくついてちょっと下に置いたら、そこから地面に転がり落ちてしまいました。

ちょっとへこんだけど、じいじのコロッケパンを分けてもらいました。

食後、気を取り直してひと遊び。

飛び石を一つ二つと上手に飛んで「スゴイスゴイ」と褒められました。

そのうち、なんだかふらついてきたぞ、眠くなった?と見ていたら、足を滑らせ尻もちついて、そのまま水たまりにゴロン。

後頭部とシャツの背中とズボンのお尻が濡れてしまいました。

すっかり意気消沈して、お着替えしながら「おうちに帰る」とつぶやく孫でした。

 

ちょっと油断しちゃったね (;^ω^)

 

離れた所で羽を休めるトンボに「トンボさーん、バイバーーイ」と手を振ったり、

草むらで見つけた小さな蝶々には「そんなところでひとりぼっちでさみしくなあい?」と語り掛けたり。

いつもの様に可愛い姿を見せてくれた孫。

心配のあまり「油断しないで」なんて言っちゃうけど、失敗しながら大きくなるんだよね (❁´◡`❁)

 

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落ち着きがないって言われるけど、こういうのはボク慎重なんだ

 

 

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「今を生きる」って?

 

何度も取り上げさせていただいている糸井重里さんのエッセイ「今日のダーリン」

先日の書き出しはこうでした。

大人の人間が考えていること、やっていることのほとんどが、未来のための準備だ。未来になにか「目的」があって、それを実現するために必要なことを、いまやっている。 

確かにそう。

こうなりたい、こうでありたい、と思う未来のために、今必要なことをやってきたなぁ。

学生時代。社会人になってから。家庭を持ってから。子どもを授かってから。

「目的」や「理想」は変わっても、意識的に、或いは無意識に、ずっとそうしてきた気がする。

今やパワーダウンし、為すがままと少々開き直ったところはありますが、それでも今は今で、何年か先の理想の老後のために必要なことを準備していると言えるのかな。

お金や健康や家族(夫婦)のあり方?出来れば生きがいなんてのも見つけておきたい?

 

でもさ、って感じで糸井さん。

ぼくらのやっていることのほとんどが、つまりは、「現在(いま)」を「目的(みらい)」のために捧げている、ということになっているんじゃない。

なにかをよくしたい、ましにしたいと思って目的がある。だから、それを実現するのは、よいことである。

しかし、そのために「いま」が、ただの「材料」や、「手段」や「我慢」になってしまうとしたら、んん?それでもいいのだろうか?

 

「いま」がなにかの途中であるというのも、認めるよ。だけど、その「いま」がつまらなくてもいいのか?

いつかやってくる最高の「目的(みらい)」のために、いまが供物として捧げられているようなことは、ほんとはヘンだと思うのだ。

生きるということは、まさしく「いま」のことなのに。どうぶつや、幼い子どもは「いま」を生きているぞ。 

 

出た!「今を生きる」

素敵なフレーズ。

決して揶揄などではなく、自分もそうでありたい。そうであるべき。それが「生きる」ということであるとさえ思っている。

でも、常にそう出来たかと言うと、そうでなかったんだよね。

 

実は自分も何度も思ってきたことです。

願う「目的(みらい)」のためだとわかっているけど、どうしてこんなに「いま」が楽しくないんだろう。

遠い「目的(みらい)」のために、「いま」こうしていることが「いま」を犠牲にしているようでなんだか空しい。

理想の「目的(みらい)」を手にするためにしかないこの「いま」に、意味があるのだろうか、とか。

でも、結局「目的(みらい)」のために「いま」を捧げてきた。

そうすることで望んだ「目的(みらい)」を手に出来たこともあった。

だから、そのことはもうそれでいいと思っています。

 

若い頃の「目的(みらい)」には高みを目指そうとする純粋な思いや理想を実現させたいという瑞々しい意思がありました。

親になってからは我が子のためのより良い「目的(みらい)」をとの強い願いが。

だから「いま」を捧げられたのでしょう。

それはそれでいいのです。

 

ただ、それらの「目的(みらい)」には当然、欲望や虚栄心もあったはず。こんな自分でも。

この歳になり、果てしない欲望や浅はかな虚栄心の無意味さを知ると、すっかり身軽になりました。

身の丈以上を求める「目的(みらい)」も、今や無い。

「いま」を生きることが出来る幸せを大切にしたい。そう思うのです。

 

ところで、

「今を生きよう!」って前向きな気分で言ったりするけど、「今を生きる」とはどういうこと?

「今」を生きるんだから、なにか意義が必要?

「今」を生きるための、なにか明確な「目的」が必要?(出た!「目的」⁉)

いや、もういいでしょう。「目的」は。

まさしく「今を生きる」の権化、動物や幼い子どもはそんなこと考えてないでしょう。

「今を生きる」を大命題に生きるなんて、それこそしんどいぞ。

 

私は私なりの「今を生きる」。

誰と比べることもない。自分の過去や未来とも比べない。

「目的」や「意義」に縛られることもない。

「今を生きる」ことがそれほど楽しくなくたっていいわけで。

「楽しくないから今を生きられていない」と決めつけることはないでしょう。

とにかく、「いま」は「いま」として、自分の「いま」を大切にしてあげたい。

 

最後の一文は、朝ドラファンの糸井さんならではでした(笑)

「あすなろの木」は、明日でなくて、今日を生きているぜ。

 

“明日は檜(ヒノキ)になろう”とその名に意味を付けたのは人間?

案外「あすなろの木」は明日のことなど考えることなく、おのれの今日を存分に生きている。

そして明日になればなったで、その今日を生きている。

 

「今を生きる」のお手本は動物や植物や幼い子どもでしょうね。

 

 

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2013.5 さいたま市与野公園にて

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ガンバレ!やんちゃ坊主

 

鼻水が出て保育園をお休みした下の孫と娘が遊びに来ました。

お兄ちゃんは保育園。

やんちゃ坊主が一人なので相手するのも楽勝かなと思っていたら、いやいやとんでもない。

「今、めちゃ反抗期なんだよね」と娘。

我が家に着いて早速、ばあばを家の中に入らせまいと「通れませーーん」と手を広げて通せんぼします。

10月で3歳。やんちゃ度がここに来て急激にアップしています。

体の大きさに似合わない図太い声で唸りながらミニカー同士を過激にぶつけ合うのが今のブーム。

お喋りが上手になるのは良いけれど、覚えて欲しくない下ネタ(ウ〇コとかオ〇ラとか)を大声で連発してママに嫌がられたり。

小さい子って何故かそういうの好きですよねぇ。(え?好きなのはウチの孫だけ??(;^ω^))

今日はプラスチックのジョウロをばあばの顔の前で振り回しママに叱られました。

「危ないでしょ!」と注意されると「あぶなくないようにした!」と一丁前に言い訳。

「ばあばにゴメンナサイしなさい!」と言われても、ニヤニヤしながらばあばに抱きついて、結局ゴメンナサイを言わないまま。

お兄ちゃんもかなりやんちゃですが「ゴメンナサイ」は速かったなぁ。素直と言うか。(但し、口先だけの場合もあり(^-^;)

そういう意味では、弟くんはかなり頑固。

お兄ちゃんは言い方次第で親の思うように持っていけるけど、弟の方はどんなに言っても我を曲げないところがあって大変、と娘も嘆いていましたっけ。

表情や仕草はまだまだ赤ちゃんみたいなのに、心の内はなかなか厄介な男なんです。

 

いつもはどうしてもお兄ちゃんに先を越されたり力で負けたりして、自分の思い通りに出来ないことも多い。

でも今日はボクの天下だぞ!とばかりに、あれもこれもとおもちゃを引っ張り出して遊んだね。

じいじもばあばも独占出来たし、電車のDVDも特等席でゆっくり観られました。

 

 

実は、今日来たのは下の孫が来週手術することになり、保証人のサインを頼まれたのでした。

先週病院で診断を受け、来週早々の手術。

聞いた時には驚いてとても心配したけど、今日会った孫はすこぶる元気。

特に痛みなどがあるようでもなく、2泊3日の入院で済みそうです。

又、命に関わるものではないことも有難く、ただ、やはり手術なので無事終わるまでは心配です。

手術の日は顔を見て励ましてやりたいけど、コロナ禍の状況では付き添いは一人だけ。

入院も退院も娘一人で付き添うそうです。

夜は親も付き添えないので孫は一人でベッドに寝なければいけません。

ママと離れての初めての夜。しかも二晩もなんて、そんなこと出来るのかしら?とそれも心配です。

反抗期でママの言うことをますますきかなくなったけど、ママがいないとダメなのは相変わらずな彼ですから。

本人はそんな夜が来ることをわかっているのかわかっていないのかわからないけど、

いつもの様に屈託なく笑い遊ぶ顔を見ながら、もう既に可哀想でつい抱きしめてしまうばあばでした。

 

キミの頑固さは芯の強さでもあると思っているよ。ガンバレ!

 

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兄:これをこうするんだよね

弟:ボクもやりたい

兄:これがこうなんだよね

弟:ボクにもやらせて

(弟、無理やり実力行使)

兄:ダメ!

(弟、やめない)

(兄、パンチ)

(弟、泣いてママにチクる)

この光景が日に何度も繰り返されるのです( ̄▽ ̄;)
 

 

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「あすなろ物語」と“おめざ”

 

今週から始まったNHK朝ドラ『おかえりモネ』

主人公のモネこと百音(ももね)が、アスナロの木の名前の由来を教えてもらうシーンがありました。

アスナロはヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹。

ヒノキ(檜)のように独特な爽やかな香りがあり丈夫な材質をもつことが特徴で、さまざまな物に利用されている便利な樹木です。

「ヒバ」や「クマサキ」「アテ」など地方によって異なる名前で呼ばれています。

ヒノキ(檜)に似ているが材質はヒノキに劣る木が「明日はヒノキになろう」と成長する様を想像してアスナロ

漢字では「翌檜」「明日檜」と書きます。

 

それで思い出したのが、井上靖あすなろ物語

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中学生だったか高校生だったか、国語の教科書で出会ったのだったか。

ご存じの方も多いのではと思いますが。

天城山麓の小さな村で、血のつながりのない祖母と二人、土蔵で暮らした少年・鮎太。北国の高校で青春時代を過ごした彼が、長い大学生活を経て新聞記者となり、やがて終戦を迎えるまでの道程を、六人の女性との交流を軸に描く。明日は檜になろうと願いながら、永遠になりえない「あすなろ」の木の説話に託し、何者かになろうと夢を見、もがく人間の運命を活写した作者の自伝的小説。(新潮社サイトより)

 

「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。
でも、永久に檜にはなれないんだって!それであすなろうと言うのよ」

 

なるほど、それであすなろかと、痛く感心したものです。

あすなろ物語」の後、しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」の自伝的小説が発表されます。

(井上氏自身は「あすなろ物語」は創作で、「しろばんば」以降が自叙伝的小説と述べているそうです)

しろばんば」は幼少期、「夏草冬濤」は旧制中学時代、「北の海」は浪人時代を描いています。

読みやすく、次々と読み進めました。

 

しろばんば」では、初めて知った“おめざ”というワードにカルチャーショックを受けました。

 

「はい、おめざ」
おぬい婆さんは紙包みを洪作の手に握らせたり、布団の中へ突っ込んだりして、
「ごはんできるまでまだ間があるから寝とれや」
と言って、また階段を降りて行った。早く起きよとも、起きて顔を洗えとも言わなかった。ひねり紙の中味は大抵黒砂糖の飴玉だった。洪作はその黒玉を二つか三つしゃぶり終えるまで床の中にはいっていた。

 

なんて幸せな。そんなことしてもらえるのか、そんなことが許されるのかと目から鱗の思いで羨ましかった(笑)

 

……………

 

学生の頃、私のおめざはブルボンの袋菓子でした。

ルマンドとかホワイトロリータとかレーズンサンドとか…。

休みの日の朝、親が起きて来ないうちにそれを二階の自室に持って上がり、寝床の中で食べる幸せと言ったら。

漫画を読みながら一つ、また一つと手が伸び、全部食べ切ってしまうことも。

そうなるとおめざの域を超えていますが(苦笑)

そんな仕業を母は気づいていたはずだけど、次の休みの朝には又ブルボン達が補充されていて、それをこっそり持って上がるを繰り返していました。

親になると、時々思いついては「はい、おめざ」と飴やチョコレートを娘たちの口に入れてやりました。

娘たちはもちろん喜んだけど、そうすることに私自身もワクワクして幸せな気分になったのでした。

 

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今食べても美味しくて止まらない(^▽^;)

 

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