すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

頭のいい女が幸せになるためには?はて??~『虎に翼』

 

4月1日から始まったNHK朝ドラ 『虎に翼』

 

画像はお借りしましたm(__)m

 

日本初の女性弁護士にして女性裁判官になった三淵嘉子さんがモデル。

 

朝ドラでは定番とも言える子役による子ども時代がなく

第1週目から、主人公・寅子を演じる伊藤沙莉さんの歯切れの良いセリフ回しに、物語がテンポ良く進んでいく。

納得のいかないことを見逃さず「はて?」と疑問を呈す寅子。

少し(いえ、かなり?)ドスの効いた沙莉さんのハスキーボイスが、目の前の相手や物事に対し、立て板に水が如く理路整然と自分の考えを述べるシーンに胸がすく。

その度、彼女は「女だから」と阻まれ、「女のくせに」と蹴散らかされるのだけど。

 

第1週目のあらすじ(公式サイトより引用させていただきました)

昭和6年。女学校に通う猪爪寅子(伊藤沙莉)は、父・直言(岡部たかし)と母・はる(石田ゆり子)に次々とお見合いをさせられる。女学校を出たら結婚し、子を産み、家庭を守るべし。そんな考えに納得できない寅子は、猪爪家の下宿人・優三(仲野太賀)が通う大学で、法律に出会う。明律大学女子部法科。教授・穂高小林薫)の言葉から、女性が法律を学ぶ場所があると知った寅子は、母の反対をよそに、弁護士への道を歩み始める。女性初の弁護士、のちに裁判官となった女性とその仲間たちの物語がいよいよ始まります!

 

娘の幸せを願い、それこそが幸せだと信じ、お見合いを進めて来た母・はる。

寅子の優秀さを分かった上で、それでも法科進学に反対し、放った言葉がすごい。

 

あなたは法律家にだってもしかしたらなれるかもしれない

でもなれなかった時は?

なれたとしても上手くいかなくてやめなくてはいけなくなった時は?

夢破れて、親の世話になって、行き遅れて、嫁の貰い手がなくなって、

それがどんなにみじめか、想像したことある?

今行こうとしている道であなたが心から笑えるってお母さんは到底思えないの

どう進んだって地獄じゃない

頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの

だからあなたは新しい綺麗な振袖を着て、出来るだけあなたに見合った素敵な殿方とお見合いをするんです

 

ここまで決め付けて押し付けてあからさまに言ってのける母親って、今なら「毒親」と認定されそう。

しかし、そんな親と子ども、特に娘との関係が当たり前にあった時代だったろう。

しかも、当時の憲法では、婚姻状態にある女性は家事に関して夫の代理人と認められる以外、多くの点で「無能力者」(なんて酷い!)と定められていた。

そんな時代に妻となり母となったはるさんが、我娘が一人で進まんとする道の先に希望を思い描くことなど、到底出来ないことだったのだろうと思う。

 

……………

 

それにしても、

頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの、とは…

 

ドキッとした。

令和の今でも、社会の中でこうして生きている女性、いるんじゃない?

職場で、地域で、ママ友仲間で。

賢い女性ほどそうしているかもしれない。

 

自分の能力をありのままに発揮し評価されることで生じる周囲のやっかみ。

そして出る杭は打たれるが如く、叩かれる。潰される。

そうした圧力は男性からのみならず、同性である女性からも。

それから逃れる為、爪を隠す能ある鷹。

 

ということは、母・はるさんの一見独断的とも思える理屈が、そうとも言えないということか?

実は真理をついている?

 

ネガティブな状況だけでなく、

例えば無用な軋轢を生まないようスムーズに事を進める為、というポジティブな意図もあるだろう。

頭の悪い女のふりをしながら、したたかに欲しいものを手に入れる策略であるかもしれない。

それもまた、爪を隠す能ある鷹たち。

 

……………

 

うーん、でも何だろう。

 

「頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかない」というのは、すごく気持ち悪い。

 

頭の悪い女のふり、っていうのがね。

そこまでしなきゃ女は幸せになれないってか?

 

頭の悪い女のふりなどせず、寅子はきっと己の夢を掴み取っていくのだろう。

彼女の奮闘が今から楽しみである。

 

 

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中学生時代の友人と40年ぶりの再会

 

昨年40年ぶりに小学生時代の友人と再会したことをここで書きました。

60歳を機に年賀状をやめた私。

その数年後にふと思い立って暑中見舞いを出した友人の一人でした。

 

その際同様に出した中学生時代の友人と、昨日、これまた40年ぶりに会って来ました。

同じバスケットボール部だったもう一人の友人にも声をかけて、一人は兵庫県、一人は埼玉県、一人は愛知県から。

集合場所は三人の中間地となる愛知県に住む友人の地元。

今回はとりあえず日帰りということで、朝早い新幹線で向かいました。

友人が予約してくれたお店で、再会おめでとう!のランチ。

ランチ後はその友人のお宅にお邪魔して、更にひとしきりお喋り。

小学生時代の友人と再会した時もそうでしたが、40年というブランクがあっという間に何処かへ行ってしまうんですよね。

不思議なくらいするするとそこに在る空気感や心の中が馴染んでいく感じ。

中学校生活の思い出、同級生の消息、仕事のこと、親や夫や子どものことなど、話は次から次へと溢れ出て尽きません。

そんな中でも一番盛り上がったのが恋バナでした( *´艸`)

「○○君のこと、好きやった」という50年ぶりの告白に、共に高齢者の仲間入りした私たちが、中学生女子のように頬を赤らめ胸をときめかせるのでした。

今振り返るとちょっと笑っちゃうけど^^;

ちなみに、その○○君は還暦の同窓会でも実に爽やかでエエ感じだったそう。

 

……………

 

日程打合せの電話の中で、友人に

「自分がすごく辛かった時、○○○(私)に言ってもらったことで救われたんよ。憶えてる?」と訊かれ

「え?いや、ゴメン。何やろ?憶えてないわ…」と応えたら、友人に少しガッカリされたようで

その後もずっと何だったんだろう?と気になっていたんですね。

今回、会ってすぐそのことを尋ねました。

 

夏休みの間、毎日休まずバスケットボールの練習に参加していた友人。

ところが、夏休み最後の他校との練習試合に出場選手として選ばれなかった。

「それはいいの。自分はヘタだってよくわかってたし」

ただ、ほとんど練習に出てきてなかった子が、ちょっと上手というだけで選ばれたのがとても悔しくて悲しかった。

「その時、○○○(私)が先生に言ってくれたんよ。毎日練習に出てた△△さん(友人)が試合に出れなくて、ほとんど練習に出てない※※さんが試合に出れるいうんはおかしいです!って」

 

全然憶えてない!(⊙_⊙;)

ビックリでした。

そんなふうに先生に向かって偉そうに言ったことに。

呆れるくらい幼稚で青臭いなあと思って。さすが中学生(ーー;)

 

いや、でも…その内容としては、言いがちではある、かな?

正しいかどうかはわかりませんが、そういうふうに考えるとこ、今も自分の中にあるので(;^ω^)

(そういえば、ママさんバドミントンチームの部長をやっている時も、同じ様なことをコーチに進言してましたわ。あっさり却下でしたけど^^;)

 

それを言った時、※※さんはその場にいたのだろうか。

練習には出ず、だけど選手に選ばれた※※さんがその場にいたのかどうか不明だけど

もしいたとしたら、※※さんをひどく傷つけてしまっただろうなあ。

(いなかったと願いたい…🙏🙏)

 

友人は私の言葉で救われたと言ってくれて、それならそれで良かった。

でもまあ、50年前のとんがって且つ幼稚な自分自身が目の前に突然現れて、冷や汗をかきました。

 

さらに、

今でも、いい歳して幼稚で青臭い自分自身がちょいちょい面倒くさいわけだけど

それって50年前の中学生の自分とちっとも変わってないんだなあ。

そして多分、一生変わらないんだろうなあと思うのでした。

 

 

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こだわりを持たないことにこだわる~『舟を編む』より

 

NHKBSのドラマ舟を編む~私、辞書つくります~』が面白い。

 

原作は、2012年本屋大賞で第1位を獲得した三浦しをん氏の同名小説で、出版社の辞書編集部を舞台に、新しい辞書づくりに取り組む人々の姿を描いています。

映画化もされ、2013年4月に公開されました。

初公開から10周年となる2024年の3月に、35ミリフィルム上映を含む期間限定リバイバル上映されているそう。

 

それでNHKドラマ版のあらすじ

大人気ファッション誌の編集部員・岸辺みどり。

雑誌の廃刊が決まり、突如異動になった先は辞書編集部!そこは、ぼさぼさ頭で超がつくほどの生真面目上司・馬締光也を筆頭に、くせ者ぞろい。

みどりは、彼らに翻弄されながらも、一冊の辞書を作るために十数年間に及ぶ時間と手間をかける根気と熱意に触発され、次第に自らも言葉の魅力を発見、辞書編さんの仕事にのめり込んでいく。

辞書「大渡海」を完成させるまでの、辞書編集部員たちの奮闘物語。(NHK公式サイトより)

 

映画では馬締が主人公として描かれていましたが、ドラマでは辞書編集部の新入り・岸辺みどりの視点で描いています。

 

誰もが一度は手にしたことのあるぶ厚い本、辞書。

一見淡々と言葉が敷き詰められたように見える辞書の裏には、「作り手」の想像を絶する情熱と心血が注がれています。
「ヤバい」に無数の意味を持たせ、込み入った会話は簡略化。空気を読み、雰囲気で済ませてしまいがちな昨今。

そんな時代だからこそ、言葉にこだわる辞書作りの魅力を通し、”言葉は誰かを傷つけるためではなく、誰かを守り、誰かとつながるためにある”という未来への希望を伝えたい。(NHK公式サイトより)

 

物語の中で、一つの言葉が持つ様々な語釈を知れるのが楽しい。

へえ…そんな意味もあったのかと感心することも度々。

一つ、或いはせいぜい二つくらいの意味でしかその言葉を使っておらず、それはつまり己のボキャブラリーの貧困に繋がっているんだなあ。

そんな意味があるならもっと様々に違う場所でも使えるじゃないの。

 

時代の変遷と共に本来の意味とは少し違うところで使われるようになった言葉もある。

言葉は生き物だろうからそれはそうとして、本来の意味を知っておくのは大切なんでしょうね。

と言うより、楽しい。

これまでの勉強不足ゆえでもありますが、はるか昔から変わらないその言葉の持つ本来の意味を知ることはちょっとワクワクします。

 

 

ところで、【こだわり】

 

俗用(本来の意味と違う使われ方が広まり、そちらの意味の方が一般的になったこと)では、“匠のこだわりの逸品”のように良い意味での使われ方をすることが多いが

本来、「こだわ・る」とは

心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける

など、悪い意味を持つ。

 

と馬締さんが言っているのを聞きながら、これって自分だわと思いました。

「心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする」

 

自分の周りにはこだわりの強い人間が多いと感じていて、だから自分のこだわりなんて大したことないと思っていたのですが

私、十分こだわる人間です。

そうか、これってまさに“こだわり”だったんだ。

 

その後、「こだわりを持たないことにこだわる」という台詞があったのですが

それも又、真っ直ぐに腑に落ちて。

 

こだわりを持たないようにあっけらかんとするのは長らく自分の信条(大袈裟^^;)ですが、それも確かに“こだわり”なのかもしれない。

 

「心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする」

そんな過剰な自意識やコンプレックスに囚われ、苦しくて仕方なかった頃。

こだわりを持たずあっけらかんとしていようと決めました。

 

そんな“こだわり”を必死に持ち続けています。

 

 

乗り物好きな三男孫、こだわり強め男子です(^^)

 

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まさに「三寒四温」、春はそこまで?

 

春はもうすぐとウキウキした「雨水」の日から3週間が経とうとしています。

春の到来を感じて冬ごもりしていた虫たちが土から出てくる啓蟄(3月5日)を過ぎ、奈良東大寺「お水取り」(3月12日深夜)も近い。

自分的には毎年「お水取り」のニュースを耳にすると、いよいよ春も近いかなと思うわけで。

 

いわゆる三寒四温という表現が当てはまるようなこのところの天気。

ちなみに、

三寒四温(さんかんしおん)とは、冬の時期に寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の言葉で、寒暖の周期を表しています。

もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられました。

(略)

日本では早春になると低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。

このため、日本においての「三寒四温」という言葉は、本来使われる冬ではなく、寒暖の変化がはっきりと現れる春先に用いられるようになりました。

(「weathernews」より)

 

確かに季節は暖かい方へ移っているようでもあり。

かと思うと、真冬のような寒さに引き戻される。

 

今週、当地方は2回も雪が降りました。

3月の終わりに「なごり雪」が降ったことはこれまでもあります。

ただ、

何となく中途半端なこの時期、しかも一日あけて2回降るというのはあまり記憶に無いなあ。

 

それでも、日中、暖かい陽が差し、雪はすっかり融けました。

顔を出した虫たちも、もう春?いやまだ冬なの?と悩ましいのでは(笑)

 

私はと言うと、

今週の初め、大きなクシャミを連発した朝に一気に本格化した花粉症。

しばらくの間、その症状に悩ましい日々を送ることになります(ーー;)

 

 

6シーズン目シクラメン、順調に咲いています(^^)

 

 

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ひなまつり/“寅さん”~まともじゃないのに正しい

 

昨日のひなまつり。

前日までの寒さと強風が収まり、暖かな好き日。孫たちが遊びに来た。

男の子三人の後の(待望の)女孫は1歳3ヶ月の可愛い盛り。

ヨチヨチと歩く姿がこれまた愛おしい。

男の子とは違う柔らかさや華やかさにじいじもばあばも癒されるばかり。

が、これでなかなか気が強く、ニイニたちにモノを取られまいと大声を張り上げる様は、近い将来、家族の中で女王様として君臨するのではとちょっと心配にもなる^^;

お雛様を出すことを怠けたので、ひなまつりと言ってもそれらしいものは無く、スーパーで買った桜餅が唯一の彩り。

それでも孫たちの賑やかな声が桃の節句を明るく盛り上げてくれた。

 

今日も朝から穏やかな晴れ。部屋の中に日差しが差し込んで暖かい。

心の中まで温められる、そんな思いになりたくてNHKBSで“寅さん”を観た。

 

やっぱり寅さんはあったかい。

そして最後にはセツナサと温もりの入り混じった涙がホロリ、だった。

 

……………

 

今から10年以上前のこと。

『寅さんの伝言』というタイトルで新聞に連載されていたコラムがある。

映画男はつらいよで寅さん(渥美清さん)と共演したマドンナたちをはじめ、
シリーズに出演したお馴染みの俳優さんたち。

それから山田洋次監督やスタッフ。さらに地方ロケで出会った現地の人たち。

そんな人々が寅さんとのエピソードや寅さんへの思いを語っていて、毎回楽しみにしていた。

 

当時、その中の一つのエピソードを取り上げてブログに書いた。

 

💻

ある回は、寅さんのいくつかのシリーズに出演した赤塚真人さんだった。

第38作『知床慕情』の際、
ロケ地で夕日を見ながら「俺は何のために生きているのかなあ」とつぶやいた赤塚さんに、渥美さんは言ったそうだ。

「何て言うかな、ほら、あー生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか」

 

「何のために生きているか」と考えた時、大きな何かを探そうとしたり、大きな何かが欲しくてモヤモヤしたり。

それが見つからないと生きている意味が無いと焦っちゃったり。

だけど、

生まれてきて良かったなと思うことが何遍かでもあるでしょ

そう思うために生きてるんじゃないの

そう言われたようで、自分も気が楽になると言うか、肩の力が抜ける気がしたものだ。

 

確かに寅さんはそうして生きている。

人生の哀愁を噛み締めつつ、生まれてきて良かったなと思えることに出会いながら、彼は旅を続けているだろう。

例えば大きな何かを成し遂げられなくても、何の役にも立てないと思えても、だ。

 

💻💻

寅さんの映画は、見るといつも泣けてきた。
寅さんの飄々とした物言いや、周囲とのハチャメチャがおっかしくて、
お腹の真ん中から笑っちゃうんだけど、
それを見ていながらの切なさも半端なくて、
ちょっと嗚咽しちゃうくらい泣かされることもあった。
古くさいけど鮮烈で、
まともじゃないのに正しい。
そんなことをいつも感じた。
そしていつも、温めてくれた。

 

古くさいけど鮮烈で

まともじゃないのに正しい

 

いつもそう感じて“寅さん”に魅了されている。

 

※この場合の「まとも」は常識的とか真面目といった意味合いで用いました(;^ω^)

 

 

ばあばの古いケータイがお気に入り。モシモシしてます(^^)

 

 

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