すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「あん」

 
『あん』 観てきました。
 
 

 

 

 
 
縁あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、どらやき粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく…
(『あん』公式サイトより)
 
 
原作は ドリアン助川さんです。
深夜放送のパーソナリティーとして若者たちの悩みを聞き続けていたときに、
「人の役に立つことが、生きる意味なんだろうか」と覚えた違和感。
それが小説を書くきっかけになったそうです。
 
裏を返せば、
「では、人の役に立たなければ、生きている意味がないのか?」
だったのでしょうか。
 
 
映画『あん』の公式サイトの中で、ドリアン助川さんの言葉です。
 
人はなんのために生まれてきたのだろう。どのように生きることが幸福なのだろう。
まるで少年の問い掛けのようではありますが、小説「あん」を書くにいたった直接の動機はそこにあります。
究極の逆境にあっても、生きることを捨てず、己の人生に花を咲かそうとした人々。
映画『あん』が創造されようとしているとき、今作にかかわるあらゆるスタッフへの感謝とともに、
厳しい運命のなかでも微笑みを失わなかった彼ら彼女らへの畏敬の念があらたに込み上げてくるのです。
 
 
ハンセン病患者として壮絶な人生を生きてきた徳江。
世の役に立たない人間は生きている価値がないという自身の思いから、
何度も死にたいと思った彼女が見つけた、自分の生まれてきた意味。
 
生きる意味とは何なのか。
 
映画でも小説でも丁寧に描かれています。
 
・・・・・
 
「あん」
私には小説の方がより深く心に届いたかもしれません。
 
人としての尊厳を奪われながら、徳江が見つけた、人として生まれてきた意味。
それとともに、
彼女の言葉や手紙、彼女が生きる場所を通して知らされるハンセン病に関する過酷な歴史の真実が、
文字になってより明確に、より深く、突き刺さった気がします。
 
作家の中島京子さんが解説で書かれています。
 
かつてこの国で何が行われていたのか、偏見をなくすには何が必要なのか。
読者一人ひとり、この国に暮らすすべての人が、知らなければならない。考えなければならないことだ。
私自身、この小説を読むまでは、療養施設で暮らす元患者らが、どんなふうにその長い時間を生きたか、どうやって自分自身の中にすらある偏見と向き合い、どうやって心の豊かさと尊厳を保って暮らしたかをまるで知らなかった。
徳江が、あん作りを学んだ療養所「製菓部」のエピソードは、著者のしっかりした取材に依拠しているという。
 
・・・・・
 
徳江は亡くなる前の最後の手紙で店長の千太郎に向けて語ります。
 
ハンセン病におかされた者だけではなく、きっと誰もが、自分には生きる意味があるのだろうかと考える時があるかと思います。
その答えですが・・・・生きる意味はあるのだと、私には今、はっきりわかります。
もちろん、だからといって目の前の問題が解決されるわけではなく、生きていくことは苦しみの連続だと感じられる時もあります。
 
 
徳江が見つけた生きる意味。( ごめんなさい。明らかにしませんが・・)
それはもしかしたら、
そうでも思わなければ生きていけなかった、
そんな切なく頼りないものだったかもしれません。
 
それでも、現実は、
徳江が作った「あん」は千太郎に受け継がれ、生きた証となってこれからもたくさんの人を幸せにするでしょう。
徳江のことは誰も知らなくても、
そんなことになっているのを徳江自身さえ知らなくても、
それこそがまぎれもなく彼女が生きた証。
見つけられなくても、
気がつかれなくても、
こうしてどんな誰にも生きる意味が存在するのだと。
 
そんなことを考えて、
そうだなぁ、
ああ、そうだなぁと・・。