すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

給食の想い出

 
新聞の生活面
「記憶の食・給食編」に寄せられた読者の投稿の中に
脱脂粉乳鯨の竜田揚げなどのワードがあり
小学生だった当時のことが懐かしく思い起こされました。
 
脱脂粉乳の思い出を書かれていたのは60歳代の方、お二人。
ちなみに私は50代ですが小学2年生くらいまで給食に出ました。
白い液体がたっぷり入ったバケツから大きな杓子でお椀に注がれ
よくわからないまま牛乳と思って飲んでいたなぁ。
妙に生温かいソレを不味いと顔をしかめる子が多かったけれど
(これはこういうものだろう)と
ソレについての美味しさをたいして気にもとめなかったから
いつもきちんと飲み干していたあの頃の素直なワタシ。
ただ、
高学年の教室の窓の外には
その白い液体を外に捨てたと思われる痕跡がいくつもあり
おそらく先生の目を盗んでの仕業。
やはりあまり美味しいものではなかったのかもしれません。
 
給食を残すのは絶体にイケナイことだった時代です。
どうしても食べられないものをポケットやパンの袋にこっそり忍ばせて持ち帰ったこと。
牛乳が苦手でみんなに励まされながら少しずつ飲んだ友だち。
そんな思い出も記されていて
自分自身は好き嫌いが無く給食大好きな子どもだったから覚えはないのですが
涙ながらにそういった苦労や葛藤をしていたクラスメートの姿を思い出します。
 
戻りますが、
脱脂粉乳がどうしても飲めなかった思い出を投稿された女性。
隣の席の男の子が先生の隙をみて
自分の飲み干した容器と彼女の容器をさっと入れ替えて飲んでくれたそうです。
しかも「いつも飲んであげるからね」と言ってくれたのだそうです。
その男の子の顔は忘れてしまったけれど
彼がいなかったら学校に行けない子になっていたかもしれない。
どれだけうれしかったことか、と綴られています。
 
素敵な思い出に胸がキュン・・
思わずもらい泣きでした。
 
彼のさりげない優しさがどれほど彼女を救ったことかと我が事のように胸が熱くなり
(例によってちょっと大げさ・・?笑)
それから、少し切なくもなって・・。
 
 
 
思えば自分も
給食では何の苦労もなかったけど
楽しいばかりの学校生活ではなかったかな、と。
 
いや、正確に言えばほとんど楽しい。
ほとんど楽しいのだけど、
たまにやってくる悲しい瞬間
その後の切ない時間を本当はいつも恐れていました。
生まれ持った自分の障害を口にされた時
そして自ら口にしなければいけない時
平然を装いながら、心の中でどうしようもなく惨めでした。
 
そんな時
さりげなく助けてくれる友だちが自分にはいて
冷たく沈む心がどれほど救われたことか。
さりげなく明るくしてくれる友だちの気持ちに応えたくて
自分もまた明るくなれたのです。
 
友だちのさりげない優しさが本当に嬉しくて、有難かったな。。
 
 
 
過多な自意識で、ぜんぜん弱虫だった頃のことです
給食の思い出から逸れました。。