誰も負けない社会は生きやすいけれど、
負けないために勝者にならないといけない世の中は生きにくい
by 山極寿一
一瞬 「?」でしたが、解説を読んで「ほお・・」
長年、アフリカでゴリラの調査をしてきた山極さんは、ゴリラには優劣の意識がないと言う。
喧嘩になっても仲裁が入り、対等なところで決着がつく。
だから力が劣っていても、強い者に媚びるところがない。
そんなゴリラと同科のヒトが、序列と上下関係に重きを置くニホンザルに近づきつつあると憂う。
「『サル化』する人間社会」から。
なんて高度な社会でしょう
喧嘩を仲裁できる知性があること
その仲裁を受け入れる理性や謙虚さがあること
まあまあ対等なところで決着がつけばそれで良し
どちらが優れているのか
どちらが正しいのか
どちらが勝者なのか
とことん突き詰めて明らかにしなければ気がすまないヒト
認めさせ
謝らせることで
自分は勝ったと心のどこかで思うヒト
ヒトの社会は優劣の意識に囚われているんだね
ゴリラの社会 イイなぁ
以前のブログに
お母さんゴリラが6頭、子どもたちが16頭の大家族を守るお父さんゴリラは
家族の危機には猛然と立ち向かい、貫禄ある統率力で頼もしい限り。
ですが、特に感動したのは家族のルールが実に心優しいことでした。
例えば食事の際、細い木に登って大好物の果実を食べるのは一番小さな赤ちゃんを連れたお母さんがまず優先される。
お父さんはお母さんと赤ちゃんを木の上で守りながら下にたくさんの果実を落として、残りの家族はそれを拾って食べる。
家族の中でより弱いものを配慮するルールです。
家族の中には、大けがで体が不自由になり母親とも死に別れた子どもがいて
当時、調査隊では多分生きていけないだろうと考えられていたのですが
お父さんゴリラの優しさで救われたというのです。
不自由な体ゆえにどうしても家族から遅れてしまうと
お父さんはいつも振り返りながらじっと待っていたそうです。
お父さんの優しい振る舞いはやがて他の家族にも波及し
その子への気遣いがごく当たり前のこととして浸透していったのだそうです。
そんな家族の中でその子ゴリラは生きて成長することが出来たのです。
その際、こんなことも書いていました。
心配し気遣うことは人間以外では類人猿しかできないと思うと調査隊の方がおっしゃっていました。
ゴリラ家族の優しい振る舞いは我々人間が持つ共感や同情といった他者をいたわる感情に通じるのではないかと
ナレーションも続きます。
ふと、気まずいような、後ろめたいような気持ちになります。
果たしてそうかしら・・?
ゴリラ家族の優しさを、我々人間と同様であると今や言えるのだろうかと
そんな思いが心の奥の方でちくちくと・・。
もう一つ、
相手をさりげなく思いやるのがゴリラ流なのだそうです。
弱いものに対して、つきっきりで手を貸すわけでもなく、いつもそばにいるわけでもない。
さりげなく何気なく気を配り、心を寄せて労わる感じ。
うーーん、心憎い!
大いに尊敬した次第です。
歩み寄ることは負けることとばかりに己の主義主張を並べ立て
地球上の至るところで紛争が起こり続けている。
そうでない場所にも争いの火種はくすぶり、燃え上がらんとしている。
今、ヒト社会にこそゴリラのような知性や理性や謙虚さが求められている気がしてなりません。
そして、
弱いものへの配慮やさりげない思いやりも。
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