すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

誰でもない誰かとして


こころを 温かくとかすのは
誰かのこころなんだね

えがおが 思わずこぼれるのは
誰かのえがおを 見たからだね

ことばは危ういものだけど
誰かのことばで 救われる人がいる


あの大震災から5年
「心の復興」が語られる中で
そんなことを 改めて
そんなことを なおいっそう

人は、
何という何でもない
そうとは気づかない
あまりにも些細な
誰でもない“誰か”との関わりによって
生きる力を取り戻していくのでしょうか

それはもう
人である私たち自身が想像する以上に


だとすれば
あの大震災を忘れないでいること
彼の地の人たちを忘れないでいること
そんな関わりを届け続けることが
誰でもない“誰か”として
まずは 
せめて
できることなのでしょうか