著名人(主に芸能人)の学生時代の友人が今どうしているのか訪ねるテレビ番組があります。
友人がどうなっているのかをゲストと共に観ながら
そのゲスト自身の来し方や人となりも垣間見えて、興味深く楽しんでいます。
その中で、ゲストと友人との記憶がくい違っていることがけっこうあり、あるゲストの回はまるで正反対。
自分が相手に想いを寄せられていた、とずっと思っていたが
相手には、「自分のことを好ましく想っていたようだ」と言われた
ゲスト曰く、そう言われてしまうと真偽は不明。
何れにしても人は己の都合の良い様に記憶を塗り替えるのかもしれない、と。
確かにそんなとこ、有るかも。
又、片方は鮮明に憶えている出来事を、もう一方は全く記憶に無いという場面も度々あって
そんなことってあるのかなと一瞬不思議にも思いますが、きっと有るのだなぁ。
した方は憶えていないが
された方、してもらった方は憶えている、ということ。
困った時、何気なく助けてもらった親切が有難かった。
悲しかった時、何気なく寄り添ってくれた優しさが嬉しかった。
何気なくかけてもらった言葉で救われ、勇気づけられた。
何気なくした方は、何気なくだから忘れてしまうのかな。
けれど、してもらった方はそれが自分を変える大きなキッカケになったり
その優しさが自分の心に温かく沁み渡った感覚を覚えていて
だからいつまでも忘れないのではないかと、そんなふうに思います。
転じて、
このことは例えば“いじめ”にも通じるのかもしれないと思いました。
した方は憶えていないが、された方はずっと憶えていて忘れられないでいる、ということ。
そのトラウマで苦しんでいる人もいらっしゃると聞きます。
無意識に、何気ない言動で人を傷つけないようにと改めて思います。
自分では忘れてしまって、或いは気づいてさえいないのかもしれないけれど
今まで傷つけてしまった人たち、ごめんなさい。。
これからは
押し付けがましくなく、何気ない言動でも人に温かい気持ちになってもらえるような
出来うるならば、そんな人を目指していきたいです。