お題「記憶に残っている、あの日」
この歳になれば次々と浮かんで、どれにしようかと迷うところ。
せっかくだからより強く残っているものは?と考えるけど、
どれもそれぞれに自分の人生に影響を与えている気がして、
いや、それほどでもないような気もする。
この歳になるとついさっきのことは忘却の彼方。
反対に、数十年前のことはありありと残っている。
「この前ね」と話し出すことがもはや数年前の出来事であったりして、
時間の経過がぐにゃぐにゃである。
………………
前置きが長くなりました(;^ω^)
今日は泣いても笑っても東京オリンピック2020の開会式。
せっかくなのでオリンピックに関する「記憶に残っている、あの日」
1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、6歳になる前だったこともあり、あまり記憶にありません。
開会式の様子だとか、バレーボールで日本女子チームが金メダルをとった瞬間とか、おそらく後の映像を見たからか、知ってはいますが。
それより鮮明に残っているのは、その4年後のメキシコオリンピック。
多分、自分の中で最初にリアルタイムで記憶されたオリンピックです。
同じ社宅内のお宅に皆でお邪魔して、当時そのお宅にしかなかったカラーテレビで開会式を観させていただいたのでした。
もちろん開会式も素晴らしかったけど、子どもだったんですね。まずはカラーテレビの色鮮やかさに興奮したのを憶えています(;´Д`)
そして、遠いメキシコという国をテレビ越しとは言え目の前で感じたことも、日本しか知らない小学4年生には何気にカルチャーショックだったかな。
合わせて6家族の大人と子どもがわいわいと、それはもう賑やかでキラキラと楽しい時間でしたね。
その4年後のミュンヘンオリンピックでは男子バレーボール。
東京、メキシコとメダルの色を上げ、さあ次はミュンヘンで金メダルをと。
松平康隆監督のもと、横田、森田、大古、猫田、中村、南、木村、嶋岡といった各選手の活躍に夢中になりました。(私はクールで職人肌の木村選手のファンでした)
決勝で東ドイツに勝った時には飛び上がって大喜びしたものです。
忘れもしないのは『ミュンヘンへの道』。
1972年(昭和47年)4月からミュンヘンオリンピック開幕の8月まで、金メダル獲得に向けて取り組む日本男子バレーボールチームをアニメーションと実写で同時進行で描くものでした。
結果、見事目標を叶えて、そんなサクセスストーリーに日本中盛り上がりましたよね。
その後もオリンピックにおける多くの「記憶に残っている、あの日」があります。
挙げればキリが無い(笑)
最近で特に印象深いのは北京オリンピックのソフトボールです。(最近と言っても13年前^^;)
上野由岐子投手が準決勝、3位決定戦、決勝と一人で投げ抜いたその数、413球。
信じられないほどの精神力でひたすら投げ続ける彼女の姿にどれほどの勇気と感動をもらったことでしょう。
決勝で最後の打者を打ち取った時、テレビのこちらで号泣でした。
今回、39歳になった上野由岐子選手。
昨日のメキシコ戦で「39歳をリアルに感じた」と語った彼女が、若い力と共にどのように戦っていくのか、見届けたいです。
冬季オリンピック、ソチ大会での浅田真央選手。
最後、滑り終えたポーズのまま、目を閉じ身体を震わせ泣いた彼女の姿も忘れられません。
うーーん、やっぱりキリが無い(苦笑)
東京オリンピック2020
どのような記憶として残るのでしょうか……。
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