昨日、今日と春の様な暖かさです。
明日は気温も低く雨の予報。
こうして暖かい、寒いを繰り返しながら春になっていくのかな。
これがいわゆる「三寒四温」?
ちょっと調べてみたら、「三寒四温」とは元は中国の冬の気候を表す言葉だそうです。
冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で強まったり弱まったりすることに由来するとか。
寒い日が3日くらい続くとその後に比較的暖かい日が4日続くという、寒暖の周期を表しています。
では、日本ではと言うと、日本の冬はそういった周期が現れることはほとんど無いようです。
その代わり、早春になると低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込み寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなる、といった周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなるそうです。
このため、日本においての「三寒四温」は本来使われる冬ではなく、寒暖の変化がはっきりと現れる春先に用いられるようになったということです。(参考:ウェザーニュース)
ウォーキング途中の公園でカモさんが気持ち良さそうに
カップル💕
オオバンくんも
サクラはまだまだ準備中。遠くに霞んで見えるのは色とりどりのお洋服を着てお散歩中の保育園のお友だち。
我が家の近くのウメの木はそろそろですよ
てっぺんにいるのはスズメくんでした
……………
「 ライオンのおやつ」読み終えました。
前回、“読み始めた途端に自ずと包まれていく温もりが心地よく”と書きました。
確かにそう感じながら読み進めて、けれど、それほど経たないうちにその感覚がかき消される言葉に出会うことになりました。
享年、三十三。
そうだった、そういう物語だったと、その瞬間、心が少し固まりました。
余命を告げられた主人公が瀬戸内の島のホスピス「ライオンの家」で過ごす残りの日々。
テーマは重いと言えば重いのでしょう。
それでも、全編を通して私が感じていたのはやはり穏やかな温もりでした。
どのように生きるかは、どのように「死」を受け入れこの世と決別していくか
同時に、どのように死ぬかは、どのように自分らしく生を全うするか
主人公を初め登場人物の姿を通して問いかけられます。
悲しいだけじゃない、苦しいだけじゃない。
最期まで自分らしく生き切ったあとに訪れるその時を、すべてのものへの感謝の気持ちで迎える主人公の言葉に、不思議だけれど、迸る命の輝きみたいなものも感じるのでした。
読み始めてしばらくして、心にグッときた箇所です。
足をぶらぶらさせて風に吹かれたままぼんやりしていたら、正直に生きよう、と自然に思えた。これからはもっと、自分に正直に生きよう、と。ありのままの自分を丸ごと受け入れて、醜い部分も、未熟な部分もすべて認めて、素直になろう。
(略)
思い返すと、私はいつも、物事のすべてを「いい」か「悪い」かで決めてきた。それも、自分にとっての「いい」「悪い」ではなく、相手にとっての「いい」か「悪い」かで判断していた。先回りして相手の気持ちを推しはかり、相手が喜んでくれるなら自分を犠牲にすることも厭わなかった。相手が笑顔になってくれるなら、それが自分の幸せなんだと信じて生きてきた。
もちろん、それも間違いではないと思う。むしろ、ある意味ではとても正しい行いだ。
だけど、自分の感情を犠牲にしてきたのは、確かだ。
(略)
でも、私の人生はまだ終わっていない。
なんでも受け入れて、好きになる必要なんてない。
もっとわがままになっていいのだと、海が、風が、私にそう囁きかける。あるがまま、ってこういうことだったのだと、海をみていてわかった。海の水は、決して風に逆らわない。打ち寄せる波は、無抵抗な水の、あるがままの姿だった。
好きなものは、好き。嫌いなものは、嫌い。
最後くらい、心の枷を外しなさいと、神さまは私に優しく口づけしながら、そうおっしゃっている。
↑よろしければポチ頂けると嬉しいです(^^)/