昨日7月7日は飲料のカルピスが販売開始された日だそうだ。
1919年というから今から106年前からカルピスはあったのか。
ということもあってか、朝のバラエティ番組で「カルピスに一番合う食べ物は何?」をやっていた。
大きなコップにたっぷり入ったカルピスを飲みながら試食している。
何なら、飲み残してもいるじゃないの(~_~;)
そんな様子に思わず「あんなに贅沢にカルピス飲んだことないわーー(◎_◎;)」とワタシ。
わかるわかるといった顔の夫。
いつカルピスに出会ったか憶えていないが、ものごころついた時にはその魅惑的な甘さの虜になっていた。
甘い飲み物が今のように溢れていなかった時代。
当時の子どもたちにとってカルピスは突出した憧れの飲み物だったのではと思う。
親に買ってもらった記憶は無く、お中元などでカルピス詰合せが届くと文字通り狂喜乱舞した。
当時、カルピスは希釈して飲む一択だった。
原液を水で割りながら楽しみでたまらないと同時に、瓶の中の原液が減っていくのが恐かった。
だから、可能な限り原液は少なめに。だから甘さもちょい薄め。
おかわりだってしたいけど、己の欲望に負けて貴重な原液を減らすのは幼心にも罪に思えた。(例によって大袈裟^^;)
本当は、規定量の原液で真っ当な甘さを味わいたかった。
無くなることなど不安に思わず、たっぷり飲みたかった。
でも、カルピスを細く長く楽しむことを選んだ。
と言えば聞こえはいいが、まあ単なる貧乏性。或いはケチ?(;^ω^)
同じような葛藤をした仲間は実はけっこういたのでは?
夫も原液を節約し薄~いカルピスを飲んだ一人。
ところで、夫は「カルピスよりプラッシーをよく飲んだ」そうだ。
「当時、おふくろが米屋で働いててさ」と言うのを聞いて
「そうそう!プラッシーってお米屋さんで売ってたよね」と思い出が蘇る。
プラッシーも美味しかった。
しかし、カルピス同様、親がプラッシーを買ってくれたことはなく、飲むのは同じ社宅の幼なじみの家で。
遊びに行くと台所にプラッシーがケースごと置かれていて、その光景が内心羨ましかった。
今思えばそんな私の心情を察してくれたのかな。(そんなことないか)
幼なじみのお母さんはいつも「プラッシー飲む?」と言いながら冷蔵庫から出してくれた。
瓶の底に何か(あれは何だったんだろう?←みかんの絞りかすだそう)が沈んでいて、よく振った後コップに注いでくれた。
プラッシーも自分にとって憧れの飲み物だったな。
じゃあウチの家には何があったの?と言うと、渡辺のジュースの素。
粉末のジュースの素を水で溶かして飲む、アレ。
オレンジ味(色?)と、グレープ味(いや、色か?)もあったのかな。
夫もよく飲んだらしい。粉末を指につけ舐めたりもしたそうだ。
ほほいのほいともう一杯♪ 渡辺のジュースの素ですもう一杯♪ と当時のCMソングがスラスラ出てくる。
甘い物への欲求を気軽に満たしてくれる有難い存在だったのは間違いない。
それでも、カルピスやプラッシーへの憧れは幼心にあり続けた。
そして、ようやく我が家にも瓶入りの、粉を水で溶かさなくていい、甘い飲み物がやって来る。
キリンレモンである。
近所の酒屋さんに頼むとケースで運んできてくれる。
なんて豪勢な!ウチの親もそういうことしてくれるんだと驚いて、嬉しかった。
少し強めの炭酸は幼い喉にかなり刺激的だったが、コップの中に次々と湧き上がる泡をうっとり眺めながらチビリチビリ飲む至福の時。
いかにも昭和のお茶の間での、そんな自分の姿が思い出されて懐かしい。
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私の親、特に母親は我が子に甘いおやつや飲み物をあれこれと買い与える人ではなかった。
おそらく子どものおやつが買えないほど貧しくなかったと思うし、贅沢や無駄を嫌う節約家だったとも思えない。
我が子の健康を気遣ってとか、虫歯にならないように親心、というのも違う気がする。
多分だが、甘い物を買って我が子を喜ばせようという発想が無かったのではと思うのだ。
母が我が子を喜ばせるのはそれとは違う方向性だったなあ。上手く説明出来ないけど。
そういうとこ、一般的な母親像の枠を外れた人だった。
そう夫に言うと「なんかわかる気がする」と頷いていた。