すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

1年2ヶ月ぶりのミュージカル♪『アリージャンス~忠誠~』

 

先日、ミュージカルを観てきました。

昨年の1月以来なので、なんと1年2ヶ月ぶり。

娘たちの影響もあり50代からはまったミュージカルなどの観劇。

今や、おのれの精神を癒し整える栄養素として欠かせません。

そのような趣味を得られたこと、娘たちに感謝でもあります。

 

それが新型コロナウイルス感染拡大の影響で、昨年はほとんどの舞台が中止となりました。

私もせっかく取れたチケットがキャンセルになるたび、残念な思いを嚙みしめました。

(5月、6月と奇跡的に取れた『ミス・サイゴン』のチケット。舞台中止と決まった時は本当に悲しかった)

“不要不急”と言われればそうなのかもしれません。(自分はそうは思いませんが)

ですが、芸能、音楽、スポーツなどが姿を消した社会は、自分にとってあまりにも寂しく色さえも失われたように思えたものです。

不急はまだしも、不要と呼ぶことに正直納得がいかなかったな( ˘︹˘ )

 

屋内・屋外ともに5000人以下、かつ屋内においては収容定員の50%以内の参加人数にすること、

というような制限はありながらも、少しずつ各イベントの開催が行われつつあります。

嬉しいです。有難いです。

当然のことながら、そこに参加する私たちはマスクをして、三密を避け、手指消毒を徹底しなければなりません。

大きな声ではなく、拍手で応援し称える。

せめてそんなふうに自分の出来ることで大好きな芸能や音楽やスポーツを守りたいと考える次第です( ̄ー ̄)ゞ

 

 

前置きが長くなりました。先日観たミュージカルです。

 

『アリージャンス~忠誠~』

 

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自由の国でアメリカ人として生きていた彼らは、ある日突然“日系”という理由だけで国家の敵とされ、強制収容所に移送されてしまう。
アイデンティティを否定された中で、何に忠誠を誓い、何に信念を持って生きるのか― 葛藤しながらも、希望を見つけ前に進んでいく人々を描く。
忠誠やアイデンティティというテーマと共に、本作の根幹で描かれているのが“家族愛”。
それぞれの信念を貫いたがゆえの家族の分裂、そして再生を描いた感動のストーリー。
ブロードウェイでも高く評価され、アジア系ミュージカルの金字塔と呼ばれた本作の記念すべき日本初演。(公式サイトより)

 

日系アメリカ人の強制収容所移送

アメリカへの忠誠を問う忠誠登録質問票(Loyalty Questionnaire)

強制収容と徴兵の不当性を訴え、日系人の人権を求める運動

日系人で構成された第442部隊

史実や実話に基づいた内容です。

 

ちなみに、エンタメ特化型情報メディアスパイスの兵藤あおみ氏によると

『アリージャンス~忠誠~』は、「スター・トレック」のヒカル・スールー役などで知られるベテラン俳優ジョージ・タケイの実体験をもとに、第二次世界大戦中、強制収容所へ送られた日系アメリカ人の姿を描いた社会派人間ドラマ。2012年秋にサンディエゴでトライアウト(試演)を実施したのち、2015年秋にブロードウェイ入りを果たした同公演で、タケイ自身が主人公の青年サムの祖父カイトと年老いたサムの二役を務めた

 

主役の姉弟を演じた濱田めぐみさんと海宝直人さんが本当に素晴らしかった。

共にミュージカル界を牽引する実力派。華もあり。

今回、特に濱田めぐみさんの歌声には何度も涙が頬を伝いました。

1年2ヶ月ぶりのミュージカルの舞台。

序盤、彼女の歌声を生で聴けた瞬間、知らず知らず零れる涙。

美しくて、美しくて。圧倒される美しさでした。

そして、こんな幸せを味わえることに感謝せずにはいられず。

失われた期間があったからこその感慨深さもひとしおでした。

 

それまで当たり前だった日常が失われて、その当たり前だったことがどれほど幸せであったか、改めて思うばかりです。

 

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カーテンコールの際に写真撮影OKの時があって…

 

 

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義母と「紙パンツ」のこと

 

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、介護施設に入所している義母に直接面会出来なくなって1年以上が経過しています。

その間、リモートや施設の玄関ドア越しの、いわば間接で面会をしてきました。

ですが、そもそも愛想のない義母のボソボソと小さな声は聴きとりにくく、また、義母は義母で耳が聞こえにくくなっている。

というわけで、意思の疎通がスムーズとは言えず、もどかしいばかりの面会に夫などはついイラつくようです(苦笑)

 

そんな中、義母にとっても家族、主に息子である夫の面会が制限されていることが何かしらの不安となっているのでしょうか。

施設のスタッフの方々にそれまでは口にしなかった我儘や不満を言うらしく、話を聞いてちょっと驚きました。

スタッフの方々にはよくして頂いていると思いますし、義母も自分なりのペースや生活スタイルを維持出来ていると思っていましたから。

それでも、考えたらそりゃそうなんでしょうね。

身内でもない大勢の年老いた人(もちろん義母のその一人)たちの中で、ある意味ただ一人で暮らしているイメージでもあるのでしょうから。

寂しさや虚しさで呼び起こされる不平不満なのかもしれません。時には我儘だって言いたくなる。

月に数度面会出来ていた時は、家族に言うことで不満を晴らしていたでしょうし、或いは説得されたり励まされることで前向きに考えることも出来ていたでしょう。

今はそういったやり取りができにくく、話を聞いてあげられないことが義母を頑なにしているようにも思えます。

あとは、やはり少し老化が進んでいるのかな、とも。

 

 

在宅介護をしている頃から、義母は下着を少し汚してしまうことがありました。

木綿の下着に尿漏れパッドをあてがっていたのですが、それでも少し。

ただ、年齢を考えれば許容範囲でしたし、その都度手洗いして、義母にはことさら言うことはしませんでした。

やがて頻繁に汚すようになり、尿だけにとどまらず、その範囲も大きくなって。

ある時、夫がそのことを口にしたら「そんなはずはない」とキッパリ否定した義母でした。

施設に入所してからも木綿の下着と尿漏れパッドのスタイルは崩さず。

けれど、あまりにも汚すので洗濯が大変だと、紙パンツを使用するように施設から勧められたのですが、断固拒否。

義母のプライドだったと思います。

自分はオムツを当てられるほど老いぼれていない。あくまでも下着をきちんとつける、という。

「オムツじゃないよ。パンツだよ。みんな普通に穿いてるよ。」

私の両親が既に穿いていることも伝えました。「尿漏れを気にしないでいいから安心だって」「もし失敗して汚しても洗わなくていいから楽だって」

トイレが近いのが心配な夫などは飛行機に乗る時やコンサートなどに行く時はこっそり穿いているそうですが、いよいよそのこともカミングアウト。「俺だってたまに穿いてるよ」

そうして義母を説得しようとしましたが、頑なに拒否でした。

 

 

ずっと面会できなくて、義母の衣類を確認できないのが気になっていたところ、スタッフの方が補充してほしい物をリストアップ。

ポロシャツやズボンや靴下。肌着やズボン下…。「あれ?パンツは?」

夫に尋ねると「紙パンツ、使ってるんだって」

 

ああ…そうなんだ。おばあちゃん、折れてくれたんだね。

 

ちっとも話を聞いてあげられないうちに義母自身で踏ん切りをつけたんだなぁと思うと、なんだか可哀想で胸が痛くなりました。

でも、ありがとうとも思ったし、立派だなとも思ったのでした。

 

 

ところで、「紙パンツ」

今、いろいろな人がコマーシャルで穿いてみせてくれていますよね。

最初に印象的だったのはチェリッシュのお二人かな。

それからキャシー中島さんや岸本加世子さん。

菊池桃子ちゃんはまだ自分では使っていないけどお母さんに、という設定。

そして、最近ではあの草彅剛さんも実際に穿いて出演されています。

センセーショナルでありながら、彼のキャラクターが為すところでしょう、温かくて素敵なCMだと思いました。

草彅剛さんのセリフにはご自身の高齢化社会やオムツに対する考えが反映されているとか。

彼を起用した紙おむつの「アテント」は、大人用紙おむつを下着の総称であるパンツと呼び、“かくさないパンツ”をキーワードに「おむつを恥ずかしいものとして隠すのではなく、オープンにしてみんなで考えていけるポジティブなものに変えていきたい」と呼びかけているそうです。

 

私たちの世代はもしかしたら「紙パンツ」にそれほどの抵抗感を持たないでいられるのかな。

(って、私だけ?(^▽^;))

いわゆる昔ながらの「オムツ」という用途以外にも、普通に下着代わりに使えそうだし。

災害時の洗濯できない時など、役立つ場面がありそう。

自分にもいずれ紙パンツが必要な日が来るでしょうが、そうなる前に経験してみようかな。

それで便利だったこととか良かったこととかを周囲に伝えたりして、紙パンツがもっと普通のことになるといいなと(´▽`*)

 

 

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「アナザー・ワールド 王国その4」よしもとばなな~自然とともに揺れる心

 

よしもとばななさんが好きで、『王国』シリーズを夢中になって読んだ時期がある。

シリーズの最後は「アナザー・ワールド 王国その4

 

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『王国』シリーズその1、その2、その3、は、特別な力を受け継ぐ“雫石(しずくいし)”という名の女の子の物語。

小さな山小屋で祖母と自給自足の暮らしをしていたが、ある時、都会へと出て行き、そこで目の不自由な男性占い師“楓”と、そのパートナー“片岡さん”と出会う。

そして、その4「アナザー・ワールド」は“雫石”の娘、“片岡ノニ”の物語。

帯の言葉より

「苦しいときは、小さいときのことを思い出してね。……」

視力の弱い占い師のパパ、薬草茶作りの達人のママ、そしてパパを愛するパパ2…。

3人の親の愛を一身に浴びて育った片岡ノニは、陽光降るミコノス島で運命の出会いをした。

その相手は、<猫の王国の女王様>と死に別れた哀しみの家来・キノだった。

(不思議なお話感満載でしょ。「?」が頭に浮かぶ人、多いかな(笑)。出来れば、その1から順番に読むことをお勧めしますが、多分、思いのほか読み進めやすいのでは。私などはばななさんのワールドにあっという間に引き込まれ、その心地良さと切なさを味わいながら一気に読み終えました。あくまでもワタシ個人の感想ですが…) 

 

初めて本を手にした時、まず「あとがき」に目を通してみた。

(本文読む前に「あとがき」読みたくなるケース、たまにあるんです(^▽^;))

初めの数行を目にして驚いた。

2011年6月頃のことである。

 

これからしばらくは大変な時代が続くだろう。

直感と本能を信じ、自分を保つことをたえず続けていけないと、生きていくのが困難になるのではないか。

そんなときに、少しでも役立つツールのように、この小説が読者に寄り添えたらと思う。

彼らの奇妙なライフスタイルをまねる必要はない、ただ、自然とともに常に揺れている心、そこだけ読んでもらえれば。

(略)

 

「あとがき」には、2010年春、と日付があり、

まるでその一年後の、つまり東日本大震災後の、この国の状況を予見していたかのようだと思ったものだ。

不思議な思いのまま、「本文」の最初のページを開いた。

 

別の場所へ行きたい そこは平和だろうか?

別の世界へ行きたい この世界はほとんど滅びてしまった

それでも数え切れない夢を見る 光を見たことがない

別の世界へ行きたい 私が行ける所なら

 

海が恋しくなる 雪が恋しくなる 蜂が恋しくなる 育っていくものが恋しくなる

 

木々が恋しくなる 太陽が恋しくなる 動物が恋しくなる 君たち皆が恋しくなるだろう

 

別の場所へ行きたい そこは平和だろうか?

別の場所へ行きたい この世界はほとんど滅びてしまった

 

あらゆる歌を歌う 鳥が恋しくなる 長い間私にキスしてくれた 風が恋しくなる

 

………………


心が引き寄せられるように何度も何度も読み返すと、やがて悲しくなってきた。

どうしてもっと大切にしなかったのだろう

どうしてもっと怖がらなかったのだろう

どうしてわからなかったのだろう

そんな思いに責められる気がした。

ばななさんがこの本を書かれたときには福島の原発はまだ事故を起こしていなかった。

私たちはもうずっと前から多くの重大な間違いをし続けているのかもしれない。

そんなことを考えずにはいられなかったことを覚えている。

 

 

そしてコロナ禍の今、

あとがきに記された数行に、再び問いかけられている気がする。

 

これからしばらくは大変な時代が続くだろう。

直感と本能を信じ、自分を保つことをたえず続けていけないと、生きていくのが困難になるのではないか。

 

ばななさんが読んでもらえればと言った“自然とともに常に揺れている心”

まさに私がばななさんの書くものを好きな所以であり、

今こそ、そんな心でありたいと思う。

 

 

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ガム、忘れるんです

 

以前、「物忘れがヒドイ」の記事を書きました。 

komakusa22.hatenablog.com

 

その時は忘れていて書きませんでしたが、ホントにもう何度も繰り返してきた物忘れごと。

いや、物忘れと言うか、ウッカリか…おっちょこちょいか…な?( ̄ー ̄;)

 

ガム、忘れるんです。

 

ガムは自分にとってまあまあの必需品でして。

食後など、歯磨き出来ない時に口に入れて噛み噛みし、スッキリさせたり口臭予防したり。

また、ガムを噛みながら運動するとパフォーマンスが向上するということを聞いてからは、バドミントンの練習中にも嚙み嚙みしていました。

ガムを噛むことで脳への血流が増加し集中力や判断力が高まる、ストレスや緊張を和らげ心身共にリラックスする、といった効果があるのだとか。

(バドミントンの試合中、いつもの様にガムを噛み口をモグモグさせていたら、ご年配の方に「態度悪い。失礼だ!」と注意されたこと、ありますが(^▽^;))

バドミントンをやめた今も、ウォーキングやヨガの前には口にポイッ。

そんなわけで、ガムの消費が多く、けっこうな頻度で買うのです。

 

スーパーで買い物。様々な食材や日用品を選び、カゴには商品がいっぱい。

レジに並びながら、ふとレジ周りに置かれているガムをカゴにポイッ。

そして、

忘れたんです。

今日も。

スーパーのカゴのおそらく底に

 

支払いを済ませ袋詰め。

買った物をあれこれと入れながら、へい!一丁あがり、とばかりに空のカゴを戻す。

揚々と車に戻りブイーーン💨と帰宅。

買ったものを冷蔵庫に仕舞う段になり、ようやく買ったはずのガムが無いことに気づき、そう言えばガムを袋に入れた覚えもない。

 

あーー⁉ 袋に入れ忘れた(#°Д°)

 

カゴの隅にポツンと残されたガム、の映像が浮かび、もしかしたら誰かが(あら?ラッキー♪)と持って行ったかもしれない…なんてことまで想像してへこむ。

 

そんなこと、何度繰り返したことでしょう。

多分、10回以上。いや、20回以上か…。

たかがガム。されどガム。

100円ほどのガムですが、それなりに選び、今日はこの味にしようと楽しみにして買ったわけで、それをスッポリ忘れてきたことの悔しさや虚しさは、けっこう引きずるんですよねえ…。

 

小さく細長い形のそれは、牛乳やヨーグルトやブロッコリーやジャガイモや玉ねぎやバナナや豚肉のパック詰めや………それらのものと比べると、これといった主張をせず、存在感が薄い。

袋詰めの最中におそらくカゴの底にするりと落ち、存在を消すがごとくひっそりと横になる。

ついさっきガムをカゴに入れたばかりなのに、入れたことも買おうとしたこともすっかり忘れている私。

結果、取り残されるのです。

 

わかっています。ガムの存在感の薄さがイケナイわけではない。

袋に入れ忘れが無いか、最後にしっかりとカゴの中を確認すれば良いのです。

他でもないおのれ自身の、おっちょこちょい9割と、かすみ目1割のせい。

末娘がまだ自宅にいた頃、一緒に買い物に行くと、ピタリとそばに張り付き、母親(私)のおっちょこちょいをいちいち修正してくれたものでした。

あの子がいたら「ほらほら、忘れ物」と教えてくれたことでしょう。

 

これからはスーパーで他の物と一緒にガムを買うのはスッパリ止めます!

ちょっと高くてもコンビニで買おう。

 

 

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懲りないなあ~~(;´Д`) キシリトールガムピーチ、美味しそうだったのに…

 

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穏やかに晴れた今日の日に…

 

今日は東日本大震災が起こった日。

あの日、高校3年生だった末娘の卒業式に出席し、帰宅後、ゆっくりテレビを観ていたところに、突如として起こった揺れ。

震度5弱。生まれて初めて味わう大きくて、延々と続くかと思われるような長い揺れでした。

やがてテレビは津波の状況を映し出し、信じ難い映像を観ながら声を発することが出来なかったこと、今も胸が苦しくなる記憶です。

そして、その後すぐ明らかになった津波による福島の原発事故。

おのれの無知を思い知らされ、不安と無力感でいっぱいになった。

 

あれから10年。

10年を節目のように語ることに意味は無く、

10年経っても悲しみはきっと癒えることはないのだと思います。

何も失っていない自分が簡単に口にすることではないと重々わかっていますが、

ひとや町や、そこに確かに在った愛してやまない温もりがもう無いという厳然たる事実。

その過酷さをほんの僅かでも想像出来たとしたら、悲しみや苦しみが消えることなど無いのだろうと思うばかりです。

 

癒えぬ悲しみの中、それでも前を向こうとする被災地の方々からの願いは

亡くなった命を無駄にしないでほしい

これらの現実を自分のこととして考えてほしい

そんな祈りにも似た思いで震災遺構が遺され、伝承施設が作られています。

伝えなければいけないという当時の大人たちの後を継ぐ若い人たちもいます。

 

そんな切実な思いに真摯に応えることが、何も出来ない自分に少しでも出来ることなのかもしれません。

 

 

東日本大震災2年後の夏、二泊三日で東北を旅しました。

塩釜から遊覧船に乗り松島へ行った時のことを、以前、記事に書いています。

 

塩釜港の建物には「ここまで津波が来ました」との印があり、あっ・・と胸が突かれる思いがしました。
海の近くの家々は新しく建てられたものも多いです。
道路もこころなしか広々と整備されている気がします。
あの津波は確かに現実だったんだと、改めて思わされました。
遊覧船で案内してくださった女性もご家族を亡くされたとのことでした。
でも、明るく生きていこうとなさる瞳は強く前を向かれていて。
何も言うことができない自分に、こうして来て下さることが嬉しいとおっしゃられて・・。

 

松島に着いてまず向かった瑞巌寺では、港から真っ直ぐ伸びた参道に「3.11 津波到達地点」の札が立っていて、ここまで来たのか⁉と思わず海の方を振り返りました。

 

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それでも、松島湾の島々のおかげで、10メートルもの津波が海岸に到達した時には2メートルほどになったのだそうです。

 

現地を訪れて、実際に目で見たものから受ける真実味や現実味は身に迫るものがあると実感したことでした。

現地に来て、実際に自身の目で見て欲しい

それも被災地からの願いであるのでしょう。

 

 

雪混じりの映像が映し出された10年前のあの日、どんなに寒かったことでしょう。

穏やかに晴れて、こんなにも暖かい今日の日。

せめて、亡くなられた方々の魂がどうか安らかでありますよう祈りたいと思います。

 

 

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