今日は東日本大震災が起こった日。
あの日、高校3年生だった末娘の卒業式に出席し、帰宅後、ゆっくりテレビを観ていたところに、突如として起こった揺れ。
震度5弱。生まれて初めて味わう大きくて、延々と続くかと思われるような長い揺れでした。
やがてテレビは津波の状況を映し出し、信じ難い映像を観ながら声を発することが出来なかったこと、今も胸が苦しくなる記憶です。
おのれの無知を思い知らされ、不安と無力感でいっぱいになった。
あれから10年。
10年を節目のように語ることに意味は無く、
10年経っても悲しみはきっと癒えることはないのだと思います。
何も失っていない自分が簡単に口にすることではないと重々わかっていますが、
ひとや町や、そこに確かに在った愛してやまない温もりがもう無いという厳然たる事実。
その過酷さをほんの僅かでも想像出来たとしたら、悲しみや苦しみが消えることなど無いのだろうと思うばかりです。
癒えぬ悲しみの中、それでも前を向こうとする被災地の方々からの願いは
亡くなった命を無駄にしないでほしい
これらの現実を自分のこととして考えてほしい
そんな祈りにも似た思いで震災遺構が遺され、伝承施設が作られています。
伝えなければいけないという当時の大人たちの後を継ぐ若い人たちもいます。
そんな切実な思いに真摯に応えることが、何も出来ない自分に少しでも出来ることなのかもしれません。
東日本大震災2年後の夏、二泊三日で東北を旅しました。
塩釜から遊覧船に乗り松島へ行った時のことを、以前、記事に書いています。
塩釜港の建物には「ここまで津波が来ました」との印があり、あっ・・と胸が突かれる思いがしました。
海の近くの家々は新しく建てられたものも多いです。
道路もこころなしか広々と整備されている気がします。
あの津波は確かに現実だったんだと、改めて思わされました。
遊覧船で案内してくださった女性もご家族を亡くされたとのことでした。
でも、明るく生きていこうとなさる瞳は強く前を向かれていて。
何も言うことができない自分に、こうして来て下さることが嬉しいとおっしゃられて・・。
松島に着いてまず向かった瑞巌寺では、港から真っ直ぐ伸びた参道に「3.11 津波到達地点」の札が立っていて、ここまで来たのか⁉と思わず海の方を振り返りました。
それでも、松島湾の島々のおかげで、10メートルもの津波が海岸に到達した時には2メートルほどになったのだそうです。
現地を訪れて、実際に目で見たものから受ける真実味や現実味は身に迫るものがあると実感したことでした。
現地に来て、実際に自身の目で見て欲しい
それも被災地からの願いであるのでしょう。
雪混じりの映像が映し出された10年前のあの日、どんなに寒かったことでしょう。
穏やかに晴れて、こんなにも暖かい今日の日。
せめて、亡くなられた方々の魂がどうか安らかでありますよう祈りたいと思います。