鹿児島の旅もいよいよ最終日。。
朝からまたも快晴~(嬉しいようなオソロシイような・・)
まず向かったのは鹿児島市内にある 島津家別邸『仙巌園』(国指定名勝)
仙巌園は万治元(1658)年、19代島津光久が別邸として構えたものであり、その後、歴代の当主らによって受け継がれました。21代島津吉貴は、隠居後仙巌園に居住し、磯奉行を置いて園内の整備に努め、27代島津斉興の時には庭地拡張が行われました。また、28代島津斉彬は隣接地に集成館を築くなど、島津家の長い歴史の中でも重要な意味を持つ場所となっています。さらに、明治時代には、29代島津忠義と後の30代島津忠重らが暮らしたこともある由緒ある庭園です。
仙巌園は万治元(1658)年、19代島津光久が別邸として構えたものであり、その後、歴代の当主らによって受け継がれました。21代島津吉貴は、隠居後仙巌園に居住し、磯奉行を置いて園内の整備に努め、27代島津斉興の時には庭地拡張が行われました。また、28代島津斉彬は隣接地に集成館を築くなど、島津家の長い歴史の中でも重要な意味を持つ場所となっています。さらに、明治時代には、29代島津忠義と後の30代島津忠重らが暮らしたこともある由緒ある庭園です。
正門
島津家の家紋である丸十紋と桐紋が彫り込まれています。
錫門(すずもん)
錫で瓦を葺いた朱塗りの門です。
築庭当時の正門で、庭地拡張を行なった後、仙巌園の中門となりました。
かつては、当主と嫡男のみが通る門だったと伝えられています。
門をくぐって右手に進むと目の前に桜島がくっきりと見える・・・
はずでしたが、やはりこの日も雲が掛かっていました。
御殿(磯御殿)
明治17年に大規模な改築が行われ、
明治21年から10年間あまり本邸として使用されました。
現在、その内部が公開されています。
ミーハーの私はここでパチリ!
江南竹林
21代島津吉貴が中国から孟宗竹を取り寄せて、
ここから日本各地に広がったと伝えられているそうです。
園内を川が流れていて、そこにかかる石橋もロケ地となったようです。
紅葉の頃はさぞモミジが綺麗で趣があるのでしょうね。。
~
ここでの散策も実に暑かった・・
夫の希望でここに来たものの、さすがの夫も元気がありません。
次の場所に向かう車の中も会話が途切れがち・・
加えて、
慣れないナビの案内に「わかりにくい!」と少々キレ気味に。
~
ようやく次の目的地、かごしま水族館に着いたはいいが、駐車場待ちの長い行列。
そう言えば、連休のさなかで、そりゃあ水族館は家族連れで混雑するでしょうってことです。
結局、待っていられない夫は遠い駐車場まで移動して、
そこからまた遠い水族館まで私たちは歩いたのでした。
炎天下でした。。
水族館で見た生き物たちです。ひとときの涼しさを貰いました。
見ている皆さんが口々に「キビナゴ?」とおっしゃってました。
やはり、鹿児島(笑)
実際のところは?
「イワシ」
泳ぎながら口を開けてプランクトンを食べているのだそうです。
このクラゲは子どもの頃小豆島の海でよく見ました。
目が四つあるように見えるので四つ目クラゲなどど言って。
ウニ・・だよね? まっくろくろすけみたいだ~~
~
この後のランチはやはりクーポンを使って、天文館の黒豚料理屋さんへ。
順番待ちが出るほどの人気のお店で、美味しくお腹いっぱい食べられて大満足。
おかげでパワーが充電できました。
(ぶっちゃけ、それも旅行代金に入っていると言えばそうなのだけど)
お得なクーポン付きのプラン、私たちには良かったです。
最後、霧島神社にお参りして、
旅が無事終了することと、家族の健康をお願いしてきました。。
――
今回は、南国の太陽にちょっとやられてしまった感が否めませんが、
たくましく、且つ美しい自然や風景に十分楽しませてもらいました。
食べ物も美味しかった。
宿やお店の方たちが皆さん明るくて元気だったのも印象的でした。
それに、美しい女性が多かったように思います。
これには夫も同感だと言っておりましたよ~
終わり