すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

ユーミンと。

 
紅葉シーズンのドライブに備え、新しいCDをレンタルして、車のオーディオに入れる。
 
結局チケットが取れなかった昨年の拓郎のツアーのライヴ盤2枚組。
スピッツ、1997~2005のシングルベスト。
絢香のカバーアルバム。
最近ちょっと話題のクリス・ハート氏のやはりカバーアルバム。
そして、
ユーミン3枚組。デビューから今までの楽曲の中から46曲。
題して「日本の恋とユーミンと。」
 
高校生の頃からずっとユーミンの歌を聴いてきた。
中島みゆきさんもどっぷりはまったけれど
今日はちょっと軽めの気分で乙女になりたいという時にはユーミンのレコードをかけた。
 
高校3年の物理の時間に友人とユーミン談義を熱く交わしたことを今でもふと思い出す。
彼女の詩の世界のリアル感について、だった。
 
やさしさに包まれたなら」「卒業写真」「雨の街を」「12月の雨」・・・
詩の情景が自ずと見えてくる。
それは鮮やかな天然色だったり、何故かセピア色だったりもする。
そして、ユーミンの歌声と相まってまるで夢見がちの歌のようなのだけど
いやいや、すっごくリアルなんだよねっ!
そして私たち女の子の気持ちもすっごくわかってくれて、まさにリアル。。と二人で大いに共感。
 
「12月の雨」はちょっと悲しい失恋の歌である。
友人はこの歌の一節のいかにもユーミンらしい言い回しに感動し、絶賛していた。
 
時はいつの日にも 親切な友達
過ぎてゆくきのうを 物語にかえる
 
私は「海を見ていた午後」の映画のようなシーンがいつも心に沁みる。
 
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった
 
そして、
 
紙ナプキンには インクがにじむから
忘れないでって やっと書いた遠いあの日
 
セツナイ・・・・・
 
「14番目の月」では革新的?本質的?な恋のセオリーのようなものを教えてもらった気がしてドキッとしたな。
気持ちが読みきれないもどかしさがあるからときめく。
愛の告白をしたらそのとたん終わりが見える。
むむむ・・・。
 
つぎの夜から 欠ける満月より
14番目の月が いちばん好き
 
 
こんなこと、書き出したらキリがない。
どうして今日こんなこと書こうと思ったかと言うと
そのユーミンの3枚組アルバムを聴きながら家事をしていたら
思わず手が止まったフレーズがあったのだ。
 
男はいつも最初の恋人になりたがり
女は誰も最後の愛人でいたいの
 
ああ~~ あったあった。
そういえば昔聴いたわ~。
それでふ~んって思ったものだ。
 
だから所詮おんなじ気持ちで
求め合っていると思っちゃいけない
 
と諭された、1978年リリースされた「魔法のくすり」
 
大人になり立てで、恋愛なんて濃厚なものをしちゃあいなかったけど
“愛人”という言葉に多少引っかかりはあったものの
好きな人の最後の女(ひと、と呼びたい)になりたいという感覚は
な~んとなく脳みその遠い所で納得できる気がしたっけなぁ。
大した経験も無いのに頭の中で共感しちゃうあたり、なんともお恥ずかしいけど 
 
でも、これ、わりとよく聞くんだけど
実際のところ、女のひと、どうなんだろうか?
 
それに、これ、何なんだろう?
母性?
好きなことやっていても最後に私のところに帰ってきてくれればイイ的な、懐の深さ?
 
時をかける少女じゃないけれど
時を超えて、今また考えているわけ