すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

父への電話


数年前に生まれ故郷の瀬戸内の島を出て
愛知県に暮らす私の兄家族の近くに転居した両親。
当時はまだ父も母も元気だったので普通の集合住宅に住み
私は毎月一週間ほど泊まりがけで出かけては暮らしを手助けした。
だが、母が家の中で転倒、骨折して歩行がままならなくなってからは
私が行けない間、老夫婦二人ではどうにもならず
サービス付き高齢者住宅でケアを受けながら生活することとなった。
兄のサポートもありつつ何とか暮らしていたけれど
昨年6月に母は亡くなり、それから父は同じ部屋で一人暮らしをしている。

父のことが気がかりで仕方なかったが
自分は関東地方に住んでおり頻繁に会いに行くことが難しく
父の世話が十分に出来ない。
兄夫婦ばかりに負担がかかって申し訳ないとも思った。
ならばせめて電話をかけよう。それが自分の務めだと自分の中で決めた。
母が亡くなった直後から毎日電話をかけた。
たわいもない話をし、母がいない寂しさを共有し
それで父が少しでも癒され元気になるならと思った。
声の調子で体調の良し悪しも感じ取れ、父本人に注意を促したり
ひどく悪そうな時は兄に連絡したこともあった。

そんなふうにして初盆を迎え、一周忌が過ぎ、今現在は
兄夫婦のおかげ、本人の心がけもあり、心身共に安定した暮らしを続けられている父。
週に一度の麻雀、月に二回のカラオケ、二日に一度の洗濯、
決まった時間に食堂に下りて行き、決まった時間に母と観音様に手を合わせる。
共同風呂には是非とも一番に入りたいし、大好きなお酒を買いにも行かねばならぬ。
父の暮らしは何やかやと忙しそうで、電話するのをふとためらうこともある。
まあヨカッタヨカッタ。
近頃は私からの電話も一日おきに移行しつつある。

父に電話をかけるのは母が亡くなった時の後悔を繰り返したくないからでもある。
母が亡くなる一ヶ月ほど前に会いに出かけ、いつもの様にお喋りをしたけれど
ずい分と衰えた姿にこれが最後かもと過ぎったのに
その後たった一度の電話もせず、何の言葉も交わさず
次に会ったのは既に亡くなり布団に横たわる母だった。
亡くなる一週間前から具合が悪かったのだと父に聞かされ
どうして何もしなかったんだろうと悔やんだ。
電話ぐらいかけられたはず。そうして母の状況がわかれば駆けつけられたのに、と。
そんな苦い思いを二度と繰り返したくなく、父に電話をかけ続けているのも事実。

そしてやっぱり兄だけに負担をかけるのが申し訳ないという思い。
少しでも自分に出来ることがあればさせて貰いたいと思っている。

ただ最近、

介護について語るサイトの中の言葉にドキッとさせられたことがある。
親の介護のキーパーソン以外の兄弟が、心配のあまりではあるが毎日電話をかけてきて
決めたことをひっくり返してしまうという悩み。
特にそれが娘だと、親自身も話しやすいし甘えやすいから勝手なことを言い出す。
というもの。
因みに介護のキーパーソンとは、最も直接的に介護に関わっている、主たる介護者。
介護をする上で、且つ緊急時にも判断、決定の中心となり
すぐに連絡が取れ、要介護者の状況をよく把握している人。

うわうわうわ・・・。そうかぁ。
キーパーソンである兄の判断に異論を挟んだことも挟むつもりもないし
父と相談してこっそりひっくり返そうなど到底考えたこともない。
それでも毎日父に電話をかけていたこと、
兄たちにしたらちょっとプレッシャーと言うか、嫌な感じに重かったかなぁ。
せめてメンタル面で父を支えて兄たちの負担を減らしたいと考えたけど
実際どうだったんだろうと急に不安になった。

それぞれの立場で思いは違う。
そんなこと当たり前で分かっているつもりだったけど
通常ではない状況に置かれた時、冷静さを欠く中で自分の思いが先走りして
違う立場の人の思いを置き去りにしてはいないか。
たとえ自分は良かれと思ってもその人はどうなのか。
相手の立場になって、その気持ちを想像して考えること、忘れないようにしなければ。