前回、夢で父と電話で話した記事を投稿した後、少しして兄から電話がありました。
まさか…と一瞬悪いことを思いながら出ると、
退院が延期されてから2週間、抗生剤投与の治療を続けてきたが数値が改善されず、
今後も病状が良くなる可能性が極めて低いこと、
これ以上抗生剤を投与し続けることは父の体に負担が大きく限界であること、
なので主治医と相談の上、抗生剤投与を止めることにしたという話でした。
つまり後は父自身の治癒力、生命力に委ねて自然に…ということだねと訊くと、兄は「そうだね」と。
少し前から私自身覚悟はしていて、動揺しながらも「仕方ない」と受け入れる他ありませんでした。
それに、父がしんどい思いをする時間をいたずらに長引かせるのも可哀そうでした。
その日、兄は父と面会しましたが、会話らしい会話も出来ず、苦し気に横たわる父だったそうです。
その1週間前は見舞いに行った兄と私に憎まれ口を叩いた父でしたが。
そんな兄の電話から2日後、父は亡くなりました。
真っ先に思ったのは、これで母とまたずっと一緒に居られるねということでした。
母が亡くなってちょうど2年。その間、寂しがりやの父の心はいつも少し空ろだった気がします。
楽しいこと大好き、美味しいもの食べること大好き、お金を使うこと大好き。
二人は常に一緒に、時にハチャメチャになりながら人生を楽しんできたので、
突然独りになった父の寂しさを思うと私も辛かったです。
若い頃は派手な夫婦喧嘩をいっぱいして、幼かった私は二人の間に割って入り一生懸命止めようとしたものです。
「ケンカしないで」と泣く私。「これはケンカじゃないの。議論してるの」と母。
そんな母の言い草にまたカチンとくる父。
そんな時兄は子ども部屋から一切出てこなかった(笑)
歳を重ねてもよく言い争いをする父と母でしたが、お互いかけがえのない存在であったことは確かで、
足りないものを補い合い、駄目なところを赦し合い、ようやく一人前の夫婦だった。
しかもキャラの濃い二人だったから、違う相手では多分成立しない夫婦だったのではと思います。
昨年末の緊急入院から始まり、1月中頃に無事退院したものの、3月中頃に再びの緊急入院。
それも何とか3月末に退院したと思ったら翌日に再入院。
40日間の入院を経て5月中頃に退院予定が、体調悪化で延期。そのまま回復叶わず。
その間、新型コロナウイルス感染拡大の影響で病院での面会禁止が続き、時折電話で話すのが唯一のコミュニケーション。
亡くなる1週間前に主治医の配慮で面会できたのが最後でした。
1月中頃に父の住まいに会いに行きましたが、あの時は普通に元気だったのが嘘のようです。
最期、しんどい思いをしましたが、父は十分に生きた人生だったのではと思います。
身近な人たちに見送られ、花に囲まれ、旅立ちの時、
目を閉じた父の顔に触れると、幼い私を猫可愛がりしてくれた父との思い出が蘇り泣けました。
それでも、既に母や祖母たちとの再会を賑やかに喜んでいる父の様子も浮かび、
久しぶりに晴れ晴れと、且つ浮き浮きとした父の笑顔に心がクスッとなるのでした。
良かったね、ママのそばに行けて。やっぱりママがいいんだね。でも又、ママに振り回されるね。
そんなこと思いながら。
遺品整理する中で、買い物の際に使っていたデイバッグの中身を確認してみると、レシートが数枚。
昨年6月の日付で、買った物は日本酒、焼酎、紹興酒。そして、煙草2箱。
根っからの大酒飲みでヘビースモーカーだった父。
その頃、買い物は兄が代わりに行くことが多くなっていたのですが、
兄に頼むのは気が引けるから自分でこっそり買っていたのでしょう。
だってお酒はまだしも、肺がんの手術をし肺炎を繰り返す身で喫煙は絶対許されませんから。
全くもう~~!(ーー;) 最後まで悪ガキ親父だった父め。
空の上で、もはや許された煙草を吸いながら「えへへ」とばかりに舌を出している父の顔が見えるようです。
父の部屋に残されたカレンダー。ふと見ると何か書いてあり…
妻法事 AM9:30迎え と。
5月12日は母の三回忌の予定でした。
当然父は自分も出席するつもりで、兄から聞いて忘れないように記入したのでしょう。
結局、父の入院が長引いたのとコロナの影響で延期となりました。
父の絶筆と思うと切なくもあります。