テレビの昼のロードショーで『日々是好日』を観ました。
以前、原作の本について記事にしたことがあります。
映画を観るのは初めて。
「お茶」の一つ一つの所作や背景を彩る季節の移ろい。
原作の味わいを損なわない美しい映像に心は自ずと静まって。
樹木希林さん演じる武田先生の言葉や、発見を重ね成長していく黒木華さん演じる典子の姿にも、
しみじみとした感動を覚えました。
最後、典子のイメージの中での、急死した父との別れの場面。
海岸の波打ち際に穏やかな笑顔で立ちこちらを見ている父親と、
「ありがとう!」と叫ぶ娘(典子)のシーンでした。
不意に、亡くなる4ヶ月前に会いに行った時の、別れ際の父の姿が思い出されました。
父は退院したばかりでしたが、まだ元気で、歩いて外まで見送ってくれました。
1月の寒さの中、もう中に入ってと言うのに、いつまでも直立不動で見送ってくれて、
私は振り返りつつ歩いては手を振り、もう見えなくなるという所で最後に振り返ると、
父は私に向かって深々とお辞儀をしてみせました。
まるで、これが最後でも心残りの無いように、精一杯の別れの挨拶をしたかのようでした。
途端に涙がこみあげて、私もまた、大きく手を振りながら「また会いに来るからね!」と叫ぶのが精一杯でした。
不安で電話で兄にそんな話をすると「そんな心配せんでも大丈夫や」と笑っていましたが、
その後少しして父は再び入院し、新型コロナウイルス騒ぎの中、私は面会も出来ず、
結局、退院出来ないまま父は亡くなりました。
私は、亡くなる1週間前にベッドに横たわる父にほんの少しの時間会えたのが最後で、
仕方の無い状況だったと自分に言い聞かせましたが、
きちんと別れの挨拶も出来ず、娘として看取ってあげられなかったのが今でも本当は心残りです。
ただ、父の方はあの時何かを思い、私に最後のサヨウナラを伝えてくれたのかなと…。
そう思うと、生まれてから60年余りの父と娘だった年月が有難くも切なく、
そして、血を分けた肉親こその愛しい温もりが私の心を満たしてくれるのを感じて、
なのに十分に親孝行しなかった悔いが悲しく、
あの時の父の姿を思い出すとやっぱりまだ泣いてしまいます。
両親を撮った写真データがパソコンにたくさん残っていて、時々見返すのです。
それで、
ああ、これは亡くなる10年前だなぁとか、5年前だなぁとか、3年前だなぁとか思うわけです。
そして、(少し変かもしれませんが)
この時は〇年後に亡くなるなんて本人も私も思ってないんだよなぁって思うんです。
写真の中のまだ元気だった両親の顔を見ながら、
でもいつか別れるのは必定なのだから、そう分かっているんだから、
本当はもっともっと大切にしなきゃいけなかったな…って、今さらですが思うんです。
ホント、今さらです。
失ってから気づくって、よく言われることだし、
今までの人生でだって何度か経験しているはずなのに、
やっぱりいつも失ってみないと気づかないって、
学ばないなあ…。
2009年9月 父と母、二十四の瞳映画村にて
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