すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

忘れじの我が家

 

先日記事にしたジブリ映画コクリコ坂からがテレビ放映された。次は借りぐらしのアリエッティだそう。こちらも映画館で観て、主人公の小さな少女の健気さに目頭を熱くしたものだ。

自慢じゃないが(って自慢入ってるけど)、ジブリ映画はほとんど観ている。ちょっと確認してみたら、観ていないのは紅の豚だけだった。

孫は今、3歳7ヶ月と1歳10ヶ月。となりのトトロが大好きらしい。娘たちが幼い頃もトトロが大好きだった。毎日毎日飽きもせず、テレビから録画したVHSを観ていた。当時の私は家事、育児に奮闘し、身も心も常に目一杯。そんな中、ほんの少しの隙間に娘たちと一緒に観て、懐かしい人々や風景に心癒された。昭和30年代前半が舞台。その頃に小学生だった主人公のサツキは自分より少しお姉さんではあるが、自分も紛れもなくその時代の子どもだった。

 

サツキたち一家が暮らすようになった家を見て思い出すことがある。

その家に住むようになったのは昭和46年春。
父の転勤で兵庫県西宮市に着いて、初めて家の前に立ったときのことを今でも憶えている。
木造二階建てのそこそこ大きな家ではあったが、とにかく古い。いや、古いなんてものじゃない。
壁も屋根も板塀も朽ち果てる寸前であるかのようだったし、
建物全体がくすんだ茶色のような灰色のような、これからの新生活を始めるにはあまりにも残念な佇まい。
しかも、長い間人が住んでいなかったためか、どんよりとした気が漂い、まるでお化け屋敷に見えた。
(え、ここに住むの?ここって住めるの?)と唖然とした思いで家を見上げて立ち尽くす。
昔はさぞ立派だったろう大きな門がある。しかしそこは開かず、横の木戸をくぐって入り、磨りガラスのはめ込まれた今にも外れそうな玄関の引き戸をガタガタと開けると、中は真っ暗だった。
「何かいるかもしれないよ~怖いよ怖いよ~」と心底恐れおののく私に父は
「なんも おりゃせん!」と言って土足のまま家の中へと上がっていった。
そして次々と雨戸を開けガラス戸を開け放ち「とにかく掃除じゃ!」と気勢を上げた。
光が入った家の中を眺めると、長い年月を経て積もったであろう真っ黒な埃が此処彼処に見える。まっくろくろすけの大群である。
なるほど、確かにこれは土足じゃないと靴下が汚れる。
一瞬のうちにそれを判断した父をスゴイと思いながら、私はまだ上がれずにいた。
何とか上り框に立ったまま「ねえ~無理だよ、ここ住めないよ~」としばらく言い続けた。

掃除は本当に本当に大変だった。一日で終わらず二日、いや三日目でようやく目途が。
それでも、綺麗に磨いてあちこちを整えて、そうやって何日か経ってくると、
家の中にはすっきりと落ち着いた空気が流れるようになった。
北と南に庭があり、双方のガラス戸を開けると気持ちの良い風が通った。
それぞれ庭に面して廊下もあったので、冬は南の廊下で日向ぼっこをし、夏は北の廊下で昼寝をした。
そうそう、北の庭には小さな池もあって、確かお祭りの金魚を放した気がする。
南の庭では母が洗濯物を干していたが、物干し竿にいつのまにかが絡みついていて、
この世で蛇が一番嫌いな母はそれに遭遇し、悲鳴をあげて地面にひっくり返ったのだった。
その後、脱皮した後の抜け殻が庭の隅に落ちていることはあったが、
蛇は二度と母の前に姿を現さなかった。
「あの蛇は多分この家の主じゃ。この家を守っとる。」と父は言っていた。

しかし、何しろ古い。
母を驚かせた蛇同様、私たちが来る前の先住者がいても不思議ではなく、
汲み取り式の便所にはいつも大きな仙人のような蜘蛛がいた。
私はこの蜘蛛が大の苦手で、そうすると父は 
「あの蜘蛛は便所の主じゃ、守っとる」とまたイイカゲンなことを言うのだった。
台所はかまども残っている土間続きで、その奥には薪を置いておくスペースもあった。
もちろんガスや電気が通っているから、かまどでご飯を炊くことはなかったけど。
そう言えば、夜中に水を飲もうと水道の蛇口をひねったら、
そこに居ておそらく水を舐めていただろうゴキブリを一緒に掴んで大騒ぎしたこともある。
梅雨の時期、お風呂に入るとナメクジが4回に3回の割合で現れ、その度に母を呼んで塩をかけてもらった。ナメクジが消え行く様をまじまじと見たのは初めてだった。(ゴメンナサイ…)
家の中というのに、様々な生き物にかなりの頻度で出会うことはなかなかスリリングだった。

また、全くの日本家屋だったのに、私の部屋は微妙にモダンだった。
木製の扉にはステンドグラス風の飾り窓が施されていたし、真っ白の壁に洋風の窓枠。
押入れではなく、今で言うところのクローゼットの様な収納部分が付いていて、
何より畳ではなく木の床なのが新鮮だった。
そこにベッドを置いて、冬はモコモコのスリッパを履くのである。
その部屋でラジオの深夜放送を初めて聴き、番組宛にハガキを書いたりした。
詩を書くことを覚え、親に内緒で初めて好きな人にマフラーを編んだのもこの部屋だった。

南の庭には木戸があり、
そこから出ると両側板塀で人が一人通れるくらいの細い道がずっとつながっていて、
その道を歩くのが好きだった。
特に何もない、草が生い茂っているだけである。
運が良ければ、猫に会えた。
飼っていた白い犬は木戸の下を掘って塀の向こう側に顔を出すので、
時々、道を通る人が驚いた声を出していた。
そんな声が家の中に聞こえてくるのも、ちょっと楽しかった。


結局、2年半でまた父は転勤となり、その家とも別れることになる。
短いけれど、その家での暮らしは十分に楽しいものだった。
だから、これでサヨウナラをするのが何だか残念で、
もっとこの家に住んでいたいとも思ったけど、まあ仕方がない。
新しい場所へと向かいながら、
あのヘビ、私たちが居なくなってやれやれと思っているねと母と笑ったのだった。

忘れじの我が家である。

 

ちなみに、最近その辺りをストリートビューで見てみたら、お洒落な家々が建ち並び、当然と言えば当然だが、私たちが暮らした家は無く、当時の路地の面影もすっかりなくなっていた。

 

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