今週のお題「大人になったなと感じるとき」
二十歳になり(堂々と)お酒を飲めるようになった時?
社会人になり親の扶養から外れた時?
確かにそれらも大人になったことを意識した瞬間でしたが、
本当の意味で大人になれたのは、親の家を出て自活、たった一人の暮らしを経てようやくだったかもしれません。
……………
はるか昔。
就職して2年目の春、唐突に家を出ることを決めた私。
このまま親の家に居続けたら、父のことを大嫌いになると思ったからです。
父娘で向き合うといつも、強く出すぎる自我と自我が闘っていました。
顔を合わせれば何かしら諍いが起こり、そんな私たちを見ていると気分が悪くなると母が嘆くほどでした。
だから、少し大げさだけど、野生の生き物の世界で子別れの儀式があるように、ある意味本能的に別れようとしたとも言えます。
生き物の成長の過程としてなるべくしてなったというような。
それにしたって、あまりに突然に家を出ることを宣言し、そのすべてを決めてきてしまった私の行動は、
自立とは程遠いまるで当て付けのような幼稚な反抗であり、親の気持ちを無視したものでした。
しかし父と母は唖然としながらも、非難めいたことをほとんど言わず、さほどの心配も見せずでした。
当然自分ひとりで引越しをするつもりだったのに、世間知らずな娘に代わり次の日にはトラックを手配してくれた父。
当日は荷物を一緒に運んでくれました。
母は、いつもの様におにぎりと卵焼きをお弁当にしてくれました。
そして、三人で運転席に座り、環七を東京へ向かって走ったのです。
偉そうなことを言っても、結局親がかりな旅立ちでした。
引越しが済んで別れ際、父と母の顔を見ながら、既に親の有難さとあまりに幼稚な自分自身を思い知らされていました。
思春期の頃、私は家の中で横暴な(その頃の私にはそう見えた)態度の父が許せなかった。
人間は平等でしょと憤る私に母はいつも、パパとあんたは違うと繰り返しました。
人間は平等であるけれど、家の中でのその立場は違う。
だから、はっきり言ってしまえば親と子は平等ではないと。
今思えば、甘やかされて育ち、幼稚なことで盾突き、親の有難みを思わない私に、
母は、おのれが安心して暮らせることの有難さや親を敬い子としての立場をわきまえることの大切さを教え、求めたのだと思います。
それはまさに自分が大人になる為に必要なことであったと今はわかります。
けれど、その頃の自分に母の思いを理解できようもなく、親子の不平等を納得出来ようはずもなく、
どんなに世間の正論を吐いても、ただ親と子は違うと言い放たれ、あっけなく退けられる毎日に、家を出ることを決意したのです。
そうして、たった一人になり、ようやく親の有難さと幼稚な自分自身を思い知った時、
大人へと一歩踏み出せたのではないかと思います。
ずい分経ってから、父が感慨深い顔で
「お前が出て行ってから、車のラジオで金八先生の“贈る言葉”を聴いた時には涙が出た」
と言ったことがあります。
父は妙に芝居がかって勿体をつけるところがあり、それも又思春期の私をイラつかせたのですが、
その時の父のちょっとクサイ台詞を優しい気持ちで受け入れることが出来たのは、少しは大人になれていたからかもしれません(笑)
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