すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

子どもの頃の「朝ごはん」はパン食

今週のお題「朝ごはん」

 

子どもの頃、我が家の「朝ごはん」は決まってパン食だった。

戦前生まれの父や母自身は、多分、朝はご飯で育ったと思われる。

それぞれの祖父母の家で出される朝ごはんは常にご飯食だったし。

どういう経緯でそうなったかは知らないが、自分が物心ついた頃にはもう朝はパンだった。

 

父はポットで紅茶を淹れ、母は目玉焼きを作りパン(食パンだったと思う)を焼く。

兄は焼けたパンにバターを塗り、私はお皿などを運び食卓に並べた。

毎朝、それは決まり事のように繰り返された。

 

朝の爽やかな光の中、家族揃って「朝ごはん」の穏やかな光景と言えなくもない。

 

ただ、もう少し詳細に言えば

 

父の紅茶にはブラックニッカだかサントリーレッドだかのウィスキーがたらりと落されていて

銀行員というお堅い商売でありながら、父は朝からほろ酔いだった。

家族にも「ちょっと入れてやるか?」と嬉しそうに言った父。

兄はいつも「いらない」と不愛想に答え、母と私は「ちょっとだけ」と入れてもらった。

幼かった自分にはさすがに超微量だったが、とろりと甘さが増し、その後、ぽわんとイイ気分になったものだ。

(もちろん超微量だから良いという話ではない。幼子にウィスキー入りの紅茶を飲ませる父親っていったい…そしてそれを止めない母親もまた…)

 

そんなでも仕事はきっちりやれていたようだから、まあいいのだけど

ほろ酔いが過ぎて、ちょっとしたことでキレた父が、母や兄と言い争いになり

爽やかな朝の食卓があっという間に重苦しくなることも度々だった。

 

鉄のフライパンで焼く母の目玉焼きはたいてい焦げていた。

それをガリガリとフライパンから剥がすものだから、何回かに一回は黄身が破れた。

また、パンも、最初の頃はコンロの上に網を置き直火で焼いていたので、しょっちゅう焦がしていた。

 

そのうち、両側にパカンと開くトースターが我が家に来て、パーフェクトな焼き加減に家族で感動したものだ。

テフロン加工のフライパンが来たのはもっと先の話。

 

兄はいつもパンの上でいっこうに溶けないバターと格闘していた。

焼き上がったパンに素早くバターの塊を載せておくのだが

しっかり溶けないまま塗ろうとすると、バターナイフを持つ手に力が入りパンの表面に穴が空いた。

家族分のパンにバターを塗る役割を命じられ、上手くいかないと

「どうしてもっと早くバターを載せておかないんだ」と叱られ、ふて腐れていた兄。

 

我が家にマーガリンが登場したのはいつだったんだろう。

もう兄はバターを塗る係を卒業していたかもしれないけど

滑らかな塗り心地にやはり感動した私たち。

バターの溶け具合に神経を使うこともなくなった。

 

 

家族皆で「朝ごはん」を食べた光景が今でも思い出せる。

 

今は亡き父と母の若かりし姿や、幼かった兄や自分。

あまりにも昔過ぎて不思議な感覚になるが、幸せだったんだなあと思う。

あの瞬間に二度と戻れないと思っては、切なくなる。

 

🍞☕🍳

 

ところで、夫の実家の「朝ごはん」はご飯食一択だった。

白ご飯に味噌汁、副菜といったオーソドックな和食。

 

ただ、副菜の盛り付け方が自分には(⊙.☉?)で、結婚したばかりはひどく戸惑った。

一番驚いたのは焼き鮭。

自分の実家では一人一切れの切り身がそれぞれのお皿に盛り付けられたが

義実家では一枚の大きなお皿にまとめて盛り付けられていた。

しかも、5人の大人が食べるのに、鮭2切れだったりするのだ。

これはいったいどういうこと?2切れを5人でどうやって分けるの?

と手を出せないでいる私を気にするふうもなく

平等に分けるという思考も無いかのように

義父や義母、義妹に夫が各自のお箸で自由に突っついて食べている。

例えば、実家でも煮物や炒め物など、大皿で出す場合もあったが

そんな場合はそれぞれ取り皿に取り分けて食べていた。

しかし、この場合取り皿は無く、大皿にあるままの鮭をひたすら突いて食べるのだった。

結局、私は焼き鮭を食べることを早々に諦め、白ご飯に味噌汁とお漬物で終えた。

 

甘い卵焼きも度々登場したが、やはりこれも大皿にベロンと盛り付けられていた。

ベロンというのは、大きいまま、切り分けられていないのである。

卵焼きというよりもオムレツみたいな。

で、どうやって食べるかというと、やはり各自のお箸で自由に切り分けて食べる。

これもまた、5人の大人に3枚といった微妙な具合で、自分にはなかなか手が出せない。

平等といった概念は不要であるかのように、他の面々が思うがまま切り取った残りの

そのまた端の方をこそっといただくのがせいぜいだった。

 

 

何が普通とか、何が正しいとか、そんなことは思わないが

結婚当初、義実家の食生活は自分には何かとカルチャーショックだったなあ( ̄▽ ̄;)

 

何年も経つと、義実家のそんな適当でルーズな感じが楽チンと思えるようになるのだけど^m^

 

卵焼きって、こんなふうに切り分けられて食卓に出されるイメージだったのですが

こんなふうに大きいままドーンと出てくるのです

義母の卵焼きはもう少し平べったくて厚焼きオムレツ風でしたけど(*´з`)

 

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