すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

飛んで飛んで飛んで……(⊙_⊙;)


今日の朝ドラ『舞いあがれ!』で
主人公舞ちゃんのお父ちゃんが、実は飛行機好きということが明かされていましたね。

舞ちゃんも飛行機に魅せられ
やがて空を飛ぶ夢に向かって進むようだから
そういうとこ、お父ちゃんの遺伝だったのかなとちょっと思ったり(^^)


お父ちゃんが子どもの頃に作ったグライダーを舞ちゃんに見せるシーン。

あ…⊙.☉ と目が止まり
懐かしい想い出が浮かびました。


……………


昭和の30年~40年代に子ども時代を過ごした男の子たち(女の子も?)なら
手作りで模型飛行機を作ったことある人、多いのではないでしょうか。

↓こういうの


動力はゴムで、ゴムをねじりその反動でプロペラを回すんですよね。

今もキットが販売されているようなので
作る人いるのかな。


昔はキットなんて親切な物は無かったと思うので
竹ひごや紙、プロペラやゴムなんかを一つ一つ自分で用意して
一から作っていたんじゃないかなぁ。

実は私は作ったことはなくて、父や兄が作るのを横で見ていたのですが

ロウソクの火であぶりながら竹ひごを曲げたり
指に乗せて翼のバランスをはかったり
けっこう大変そうだったです。


もともと兄はモノ作りが好きで
模型飛行機作りも好きでやっていたと思うのだけど

すぐそばで口も手も出す父にはいつも閉口していたみたい(^^;

実際のところ、出来栄えは父の方が良いわけだけど
そうじゃなくて、兄にしたら最初から最後まで全部自分で作りたかったんだろうなと
今思い出しても苦笑してしまいます。

「そうじゃない!」と父が大きな声で怒って
兄が泣きべそをかく、というのがお決まりでした。



子どもの頃住んでいた地域では
模型飛行機を飛ばす大会というのがあり
毎年、兄は自作(半分以上は父作^^;)の飛行機を携え参加していました。
母と私は応援隊。

ゴムを十分に巻き上げ、気合いも十分構える兄なれど
飛ばしたと思ったらすぐ落ちるのが毎年のことで
帰り道は口数少なく、まあ、こんなものだろうと凹んだ気分の私たちでした。


ところが、ある年の大会。
本番前、練習で飛ばしてみようと母が言い出して。
練習で機体が傷ついたりするのを恐れ、それまではしなかったことでしたが
兄は少し躊躇いつつも、母の気迫に押され、そうすることに。

いつもの様にゴムを巻き上げ
前に押し出しながらそっと離す兄。

果たして、

兄(と父)の力作の模型飛行機はこれまでになくスムーズに飛び始め
すぐに上昇気流に乗ってか、ぐんぐんと空高く舞い上がるではありませんか。
そして、
青い空に映え実に気持ち良さそうに飛距離を伸ばしていく飛行機。

ヤッター!!と一度は歓声を上げた私たちでしたが
どんどん遠ざかっていく飛行機に、これはマズイと慌てて追いかけました。

けれど、こんな時に限って飛行機はちっとも落ちてくれない。

丘陵地の大会会場の丘の向こうへ消え去ってしまったのです。

諦めきれず丘を越え探しに行きましたが、飛行機は見つからず
結局、肝心の本番を棄権せざるを得ませんでした。


その日の帰り道、いつもにも増して気分は落ち込み
兄などは一言も発さず、うなだれていましたっけ。

母があんなこと言い出さなければと
なんだかんだといつも厄介ごとの元になる母を
恨めしく思ったものです。(多分、兄も)

なのに母はケロっとして「残念やったねえ」なんて言ってるもんだから

何より兄が可哀想でした(;´Д`)


そんな事があって
その後、大会に参加することもなかったと思います。


それにしても、あの日、練習で飛ばした飛行機は本当によく飛んで
本番だったら大記録だったろうなぁと、今でもちょっと残念です(;^ω^)



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