すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

母に似た人を見かけて

 

先日の事。

信号待ちの車の中から、ホームセンターの駐車場を歩く高齢の女性に目が止まった。

背中を丸め、杖を頼りに一人で歩いておられる。

店の入り口に向かい一歩ずつ歩みを進めている姿に、亡き母を思い出し目が離せない。

じんわりと胸に切なさが沁みた。

 

両親が生きていた頃からそうだった。

高齢となり、でも私は両親の住む瀬戸内の島から遠く離れていて、簡単には手助けをしてあげられない。

それでも何とか年に二、三度帰省し、あれこれと手伝い暮らしを整えるが

年々進む両親の衰えを目の当たりにし、逆に心配が募る。

毎回、後ろ髪を引かれつつ自分の暮らしに戻った。

だからか、

例えばスーパーで、駅で、道端で、父や母と似ている年格好の人を見かけると

一瞬にして両親への心配とリンクし、つい目で追ってしまうのだった。

何か困っているのではないかしら?

あの荷物、重そうだけど持てる?

ずいぶんとしんどそうだけど歩いて行ける?

 

父によく似た男性が、暑い最中、足元がおぼつかない感じでトボトボ(というふうに私には見えた)歩いているのを見かけた時

思わず車を止めて、目的地までお送りしようかと考えたことがある。

同乗していた娘に「あの人はあの人のペースで歩いているんじゃない?大丈夫だと思うよ。それに急にそんなこと言われたらビックリするんじゃない?」と止められた。

確かにそうか…。足元がおぼつかないなんて勝手に判断して、失礼な話かもしれない。

 

スーパーのレジで母によく似た女性を見かけた時には、その動向が気になり動けなくなってしまった。

店員さんの問いかけが聴き取れず、何度も聴き直しておられる。

耳が遠くなった母がそこにいるようで、つい駆け寄り助け舟を出した。

「ありがとう」と言ってはもらえたが、突然頭を突っ込んできた私に驚かれもしただろう。

そんな様な表情だったので。

 

あの頃は両親への心配がピークだったんだろうと思う。

たくさん心配をし、精神的にもきつかった。

 

でも、両親はまだ生きていた。

 

そのことがどれほど自分を支えていたかを今になって思い知っている。

 

4年前に母、2年前に父が亡くなり、今、二人の心配をすることも無くなった。

もう二度と会えないのは寂しいが、心配しないでいいことは精神的にも穏やかでいられる。

ただ、

ふとしたきっかけで、両親がもうこの世にいないことを突き付けられると

足元がふわふわとする不安定な、落ち着かない気分になる。

 

自分を産み出してくれた人たちがもうこの世にいないということ。

地に足がついた繋がりが断ち切られたような感覚。

自分が何処から来たのか、見えて証明されるものが無いことが

自分という存在を頼りなく不安にさせる。

 

晩年の両親を助けながら、たくさん偉そうなことを言ってきたが

両親が生きていることで支えられていたのは私の方だったと気づいた。

 

孫も生まれ、ばあば(ばばあ?^^;)と呼ばれるような歳をして情けないが

無意識に甘えられた存在が今もういないことが、時折ひどく寂しくなる。

 

親とはそうしたものなのだなと、改めて有難さを噛み締めている。

 

……………

 

ウォーキングの途中で……🚶‍♀️

 

 

 

母の日に紫陽花の鉢植えを贈ったことがある。

「あんた、紫陽花が届いたで」と、納得がいかないような声で母から電話が来た。

「そりゃそうよ、紫陽花を贈ったんだから」と言うと「へえ~」と微妙な反応。

へえ~じゃなくて先ずは「ありがとう」じゃないの?と内心イラっとしつつ、母の思いは想像出来た。

母の日の花なら薔薇とか蘭とか、でなければカーネーションでしょう。なのに紫陽花?

そんなところだろう。

 

母の無神経発言には何度もイラっとさせられたが

今はそんな母をネタに夫や娘たちと笑い飛ばして(やって)いる^m^

 

 

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