すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

明菜ちゃんのライブ、そして聖子ちゃん

 

中森明菜さんのライブ映像を観た。

1989年4月、デビュー8周年を記念した野外ライブ。

風の中、髪が乱れ、衣装のスカートがめくり上がりそうになりながらも

本当にライブの音源?と思ってしまうほどの安定した歌声。寸分の狂いも無い。

当時から歌唱力バツグンと言われていた彼女だったが

いやぁ、上手だわ……と改めて深く感じ入った。

 

30年以上前のライブ。

1965年7月生まれの明菜ちゃんはこの時23歳だったのか。

歌いながら苦し気な表情を浮かべて涙ぐんだり。

かと思うと、無邪気な笑顔でファンに口パクで話しかけたり。

そうそう、そんなだったな。

安定した歌唱力の反面、彼女の心と表情はいつも不安定に揺れて見えていた。

それが魅力でもあったのは間違いないけれど。

 

アイドルの当たり年と言われた1982年にデビュー。

ちなみに、花の82年組と呼ばれた同期には、小泉今日子さん、早見優さん、堀ちえみさん、松本伊代さん、薬師丸ひろ子さん、原田知世さん、シブがき隊などがいる。

「スローモーション」がデビュー作で、2枚目の「少女A」がヒット。

晦日のテレビでレコード大賞新人賞にノミネートされた中森明菜という女の子を見たのが最初だった。

「少女A」という楽曲を聴いたのもその時が初めて。

愛くるしい顔で、しかし何だかふて腐れたように淡々と歌う姿を覚えている。

アイドルの殻を既に破っていたかのようで印象的だった。いや衝撃的と言うべきか。

その後、瞬く間に彼女はスターになり、“歌姫”と称されることになる。

 

数々の楽曲をヒットさせ、テレビの歌番組では常連だった。

いくらか年上の私だが、今回、彼女の歌をほとんど歌えることに驚いた。

何気によく聴いていたんだなあ。

歌詞はおぼろげだが、メロディラインが沁みついている。

 

……………

 

ところで、

中森明菜 と 松田聖子

 

あの頃、アイドル界で人気を二分していたふたり。

(という見解に異論のある方もございましょうが、お許しを)

アイドルに留まらない群を抜く歌唱力は多くの人が認めるところであり

彼女たちの言動や生き方、ファッションは社会に大きな影響を与えたと言えるだろう。

 

そんなふたりは、今思えば対極にあった気がする。

(ここからは私個人が感じたことで、異論は多々ございましょうが、どうかお許しを)

 

アイドル(偶像)であることに抗い、ありのままの自分でいようとした明菜ちゃん。

はっきりものを言い、自由奔放に振る舞ってもいたが

内面は繊細で傷つきやすく、偶像と実像の狭間でいつも苦しんでいたイメージがある。

 

片や、

アイドルであることを自分の天職とし、今なおアイドルであり続ける聖子ちゃん。

デビューした時、清涼感溢れる稀有な歌声とはにかんだような笑顔が天使の様で、これまた衝撃的だった。

やがて、どうやらそれだけではないと(主に女性たちに)「ぶりっ子」と揶揄されもしたが

そんなことは独特の笑い声で吹き飛ばす逞しさ(としたたかさ)に

いつしかそれがアイドル聖子ちゃんなのだと納得もさせられた。

いいじゃない、何より歌が上手なんだもの、と。

 

プライベート、特に恋愛に関してもふたりの選んだ道は違っていたのかな。

 

一途に人を愛し、自分自身を傷つけた明菜ちゃんと

人を傷つけても、自分の思いに貪欲に愛を獲得した聖子ちゃん

 

あくまでも芸能ネタで知り得た範囲であり、実際のところはわからない。

が、申し訳ないが、そんなふうに残っている。

 

……………

 

記事を書くにあたり、中森明菜という人を検索してみて

何度か芸能活動休止、復帰を繰り返しながらゆっくりと音楽活動を続けている、

ということに、正直、少し驚いた。

何年か前の紅白歌合戦スペシャルゲストとして歌う姿を見た。

その時もずい分と久しぶりだったが、それを最後に彼女の歌を聴いたことがなかったから。

 

カバーアルバムをいくつかリリースしているそうだ。

収録曲のリストに目を通しながら、彼女はどんなふうに歌うのだろうと想像する。

 

いつか、今の彼女の歌を、出来れば彼女の歌う姿を見ながら聴いてみたい。

 

 

そして、聖子ちゃん。

心なしか聖子ちゃんに対し、少々意地悪目めに述べてしまったきらいがあるが

聖子ちゃんの歌にはいつもキラキラとした光の粒が見えるようで大好きだった。

大人の女性になりおすまししても、不意に飛び出るギャハハという笑い声が可愛かった。

「ぶりっ子」と言われながらも、つい素顔が見え隠れするところが何とも正直で

アイドル(偶像)を貫きながらも、実はそうした実像が聖子ちゃんの魅力だったのかもしれない。

 

彼女にとって耐え難い大きな悲しみがあった。

母親でもある実像の彼女の悲痛を思うと、同じ母親として胸が苦しくなる。

今、彼女は少しずつ活動を再開したそうだ。

これからは亡くなった娘の沙也加さんと一緒に歌っていきたいと語っている。

単純でありきたりにも思える言葉だが

それこそが母親としての彼女の紛れもない真実の思いなのだろうと

やはり同じ母親として共感した。

 

いつか又、彼女の歌を聴けることがあった時

自分はきっと泣いてしまうだろうと今から思っている。

 

 

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