すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

義母のこと、今


もう少しで89歳になる義母。
8年半前に家の中で転倒し骨折。
入院、手術、リハビリ、在宅介護を経て
現在、特養老人ホームに入所し6年が過ぎた。


1年程前から認知症の症状が出始め
今年の7月には、急激に症状が進んだと施設長から連絡を受けた。


夫は、義母が所望するヤクルトを月に何度か施設に届ける。
その際、玄関のドア越しに義母に声掛けすることもあったそうだが
半年くらい前からは
何を言っても、聞こえているのか聞こえていないのか
「大丈夫だよ」と繰り返すだけで
目の前の息子がわかっているのかわかっていないのか
すぐ部屋の方に戻りたがったそうだ。


7月、連絡を受け、居ても立っても居られない思いで義母に会いに行った。

それまでもリモート面会はあったが、施設で面会するのは本当に久しぶりだった。
施設の方が気遣って下さり、少しの時間だったが外で直に義母と会うことが出来た。

認知症の進んだ義母がどのようになってしまったのか不安もあったのだが
手を振る私に「あ!」という顔で手を振り返してくれ
自分の方から私に話しかけてくれた。

komakusa22.hatenablog.com


その後、義妹夫婦が会いに行った時も義母はとても元気だったらしい。
義妹のことはわからないのか何も言わなかったが
義妹の旦那さんの顔を見て名前を呼んだものだから、皆びっくり。


私が面会に行った時、元気だった頃のように会話をしてくれた義母。
伯母(義母の姉)と間違えているのかなと夫と話したが
もしかしたら私のことを分かってくれていたのだろうか。
そうだったとしたら嬉しい。


……………


義母はもともと拘りの強い人だった。

例えば衣類、ズボン一つ、ベスト一つにしても、これはダメ、ここはこうでなければと義母ならではの拘りがあり
気に入らないと全く身につけない。
在宅介護していた頃、義母指定のものを探してあちこちの店を探し回ったものだ。

暑いとか寒いとか
痒いとか痛いとか
微妙な加減にも細かく拘り
こうはどう?ああはどう?と、私たちは義母の丁度良い加減を見つけようとした。


入所してからもそれは変わらず
自分の拘りに固執
良かれと思う介護スタッフの提案などを素直に受け入れなかったりして
ちょっと厄介なところもあったようだ。

他の入居者の不満を口にし
自分の要求を明確に訴えた。

頭がクリアだった分、誤魔化しもきかなかっただろうから
スタッフの方々にしたら、ちょっと面倒なお婆さんだったかもしれない。


それが認知症が進んでからはすっかり素直なお婆さんになったらしい。

出される衣服を身につけ
出される食事を食べ
促されるままに動き
何でもはいはいと受け入れる。

あれだけあった拘りがまるで無くなったようだと。


自分で考えることが困難になり、周囲の言うことに任せるようになったのかもしれないねと夫と話した。
意地悪婆さんが素直で可愛いお婆さんになったのかな、と夫は冗談を言い、私たちは笑った。

でも本当のところ、そのことは私たちを寂しくさせた。


在宅で介護している時、正直言えば大変なことの方が多かった。

車イスとなった義母の身体介助よりも、私にとって大変だったのは
私自身が馴染んだ価値観や感情とまるで異なる義母のそれに振り回されること。

それこそ、私には無意味にも思える義母の拘りにうんざりしたこともある。


そんなふうだったけど
それが義母だったのだ。


そんな義母がすっかり素直なお婆さんだなんて
なんだか寂しいじゃないの

そんなふうになった義母がなんだか可哀想で、切なかった。


……………


少し前から、義母自身が望んだヤクルトを飲まなくなり

そして今、
あれだけ食べることが好きだった義母は何も食べられなくなっている。

一日のほとんどをベッドで寝て過ごす。


コロナ禍だが、施設側の配慮で一日5分の面会が許可された。
ただ、実の子ども、夫と義妹のみ。

義母との別れが近づいていることを思い知らされる。


もう一度会って、義母の声を聞きたいと願うが
自分は諦めるしかなく

こうして義母のことを思うと
鼻の奥がツンと痛い…



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