すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「優しさとは何だろう」


落ち着かない日々を過ごしています。


……………

※とあるエッセイを読み10年前に書いたものを一部加筆修正し、投稿させていただきます。


保健所から「まる」を引き取った筆者。

年齢不詳の冴えない雑種犬で
何処をうろついていたのか痩せておどおどしていた。
出会った最初の頃は、目を合わせようとすると顔を背けた。

グライダーの羽のように水平に広がった耳はちょっと無様だが
歩くたびにそれがひらひらと揺れる姿は愛嬌があった。

自宅のマンションが飼い犬禁止だったので
4年半の間、筆者は「まる」と一緒に会社で寝泊まりし
毎朝、神田明神までの散歩を楽しんだ。

ある朝、散歩しようとしたら突然歩かなくなり
病院へ運んだが、その晩、あっけなく死んでしまった。

食うことと、走ることだけに貪欲な、取りえのない犬だったが、ただひとつだけ美点があった。
それは底抜けに優しいということであった。
どんなに犬に寄せていっても、吼えたり、噛みついたりすることはなかった。
吼える犬の前を通るときは、見て見ぬ振りをしていた。
噛みつかれたこともあったが、反撃することはなかった。
「まる」が吼える声を聴いたのは四年半で数えるほどしかない。


優しさとは何だろう。

レイモンド・チャンドラーではないが、強くなければ優しくはなれないというのは尤もな気がする。
しかし、「まる」に限っていえば、どこをどう見積もっても強い犬ではなかった。
ハードボイルドとは無縁な、臆病を絵に描いたような負け犬ぶりであった。
臆病なものには、臆病者の領分というものがある。
征服欲や上昇志向などは、はなから断念している。そんな風であった。
それはこの犬の意図せぬ美徳であると言ってもよいと思えた。


わたし(たち)は、どこかで勇気のある強い男になりたいと思って生きている。
しかし、もし臆病であるがゆえに、優しさを獲得できるのだとすれば、勇気など必要ないのかもしれない。


臆病もまた力になりうる。

それが、「まる」の遺言であったと思う。


書かれたのは、平川克実(ひらかわ・かつみ)氏 1950年東京生まれ。事業家、文筆家。


優しさとは何だろう

わたしも思います。

強くなければ優しくはなれない

昔流行った言葉ですが、確かに尤もでもあるでしょう。
他人に優しくできる人は本当の意味で強い人だというのもよく言われることですが
確かにそれもそうだと思う。


ただ、わたしの周りには
自分自身に甘くて、だらしなくて、しょっちゅう人に迷惑かけて、ネガティブを全身にまとっているようなのに、
他人に優しい人がいます。
自分自身に自信が無いからか、他人を責めたりけなしたりすることがほとんど無く、
他人の過ちでもいたたまれなくなって先に謝ってしまうような、
状況判断がきっちり出来ないことはいつものことで、
なされるがまま他人の愚痴に付き合い続け、自分はまた約束の時間に遅れるような、
そしてだらしないと言われちゃうような、
そんな人です。


それは優しさとは違うと言う人もいるかもしれませんが、
(もしかしたら違うのかもしれませんが…)
わたしはそんな人に仕方ないなあと思いながら、
いつも底抜けの優しさを感じるのです。

しかも、
きっとその人は自分が優しいなどと思ってもいない。
優しくしようという、何か積極的な(或いは義務的な)意識や意図もなくて、
だから余計、その優しさがこちらの心に沁みわたるのです。


臆病もまた力になりうる

だらしなくてネガティヴであることも、
時に何処かで誰かを救っているのかもしれないと、
けっこう本気で思っています。


🐾🐾🐾


それにしても
自分は動物絡みのこういった話につくづく弱いです。
読み終わる頃には涙と鼻水が出ていて。
ひっそりと生きて、とある晩にあっけなく亡くなった「まる」の姿が思い浮かび切なくなります。


と同時に、
そんな何の取りえもないような、
世の中にこれっぽっちの影響も与えなかったような、
冴えない雑種犬の「まる」にも
後に残った者たちに遺したものがあるということに心打たれるのです。


どんなものでも、どんな小さなものでも
生かされるべく生きている。

そして、
その命は間違いなく必要とされるものとして
この世に存在しているのだなぁと…




サンシュユの実。つやつやして美味しそうなんだけど、実際は渋くて美味しくないらしい^^;


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