相手の為に良かれと思って、気遣ったり、動いたり、言葉を発したりすること
誰しもあるのではないでしょうか。
ただ、自分的には良かれと思ってでも、相手には嬉しくない時があるのは事実で
嬉しくないどころか、否定されたようで傷ついたり、怒りで反発したり。
そんな時、こちらは良かれと思ってしたことの、相手の反応がそんななので
こちらも内心「なんでそうなるの?」となる。
相手への気遣いが始まりだったはずなのに
結末は何故か険悪。
そんなこと、ありませんか?
実は、私たち夫婦間にはそういうことが頻繁にありまして。ええ、そりゃもうしょっちゅう。
つい先日も、もめました。
今思えば、本当にくだらないことで。
その日の朝、「明日カラオケに行こうか」と私が提案。
「お、イイじゃん」と夫。
その日、夫は寒中見舞い製作に勤しんでいました。
昨年末、こちらから出すべきはずの喪中はがきが間に合わず、年賀状を下さった方々にご報告がてら。
100枚近くを3種類に分けてそれぞれ文章を考案。印刷。
手書きの一言も添えて。
夕方になってもまだ終わらず、私にはなかなか大変そうに見えました。
ふと、軽い感じで
「もし大変なら、カラオケ明日じゃなくてもイイしね」と言いました。
夫がプレッシャーを感じないようにと、気遣ったつもりでした。
その瞬間、夫の態度から明らかにイラッとしたのが分かりました。
そして私も、「なんでそんなことでイラつくの?」と。
いや、いつもの事とスルーすれば良かったのかもしれないけど
そんな些細なことにいちいちイラつく夫に、その時の私はプチッ!(▔皿▔;)
夫に気を遣って言ったことなのにという思いも、自分を腹立たしくさせました。
後はもう、いつもの大討論会(と言えば、知的な意見の応酬のようだけど、単なる言い争い^^;)でした。
夫が言うには、
翌日のカラオケを楽しみに、今日急ピッチで頑張ってるのに水を差された気分だったようです。
言い出したのはお母さんなのに、今になってどうしてそんなことを言うのか、とも言われ。
はぁ…そうなんだ……(ーー;) でした。
自分ならそのように言われたら
「ありがとう、でも大丈夫だよ。明日カラオケ行きたいから頑張るよ」と、気遣いに感謝しつつサクッと応えますが
夫には私の言葉は気遣いとは受け取れず、全くの余計なお世話だったんですね。
何なら、「大変なら」と言われることにもプライドが傷つくのかも、とは末娘の考察。
こんなこと俺にはちっとも大変じゃないのに、みたいな。
私は大変な時、「大変だね」と言われると、わかって貰えた~と慰められた気分になるのですが
夫はそうじゃないんだろうな。
全てにおいて真逆な夫と私ですが
ここでも全く食い違っているわけで
でも、どちらが良い悪いとか、正しい正しくないとかではないのだろうなと思います。
そして、夫も私も変わらない。変われない。
それを分かった上で、上手く付き合っていかねばなりません。
👨👩👧
「良かれと思って」は要注意。
それが本当に相手の求める言動となっているのか。
そうでなければ、つまり「余計なお世話」に他ならない。
自分の「良かれと思って」が相手に上手く伝わらない時
「良かれと思ってしているのに」とか「気遣ってるのに」と腹を立てたくなりますが
それを口にすれば、相手にとっての「余計なお世話」感は増々アップする。
自分の「良かれ」が相手の「良かれ」ではないことが十分有り得ること。
しかも、そのことはわかっている気でいて、つい忘れがちなので
お節介焼きの私はしっかり心に留めておかなければと反省したことでした。
も一つ、末娘に言われたのですが、
「お互い、甘えてるんじゃないの?」
確かに、自分
大人になった娘たちや、当然他人にはそのボーダーラインを注意深く探ろうとするのに
夫には何故か「良かれと思って」がたいてい通じると思っているところ、あるかもしれない(;^ω^)