すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

いつもなら………

 

昨日、夫は実家へ。定例の別居生活(笑)。今回は6日間。

 

夫婦そろってプータローの年金生活者ゆえ、いつも朝はゆっくり。

夜、早く眠くなる夫は小学生並みの早寝なので、本当は朝の目覚めも早い。

起きて動き出したいところだろうけど、眠たがりの妻が寝ている間は気を遣ってか鳴りを潜めている(^^;

朝ドラの始まる(7時半NHKBS、又は8時NHK総合)時間までには起き、朝食の準備を済ませ、食べながら朝ドラを観る、という妻のルーティンに従ってくれているm(__)m

 

夫のいない今朝。

ブラインドの隙間からの光で目が覚めると、5時半

いつもならそのままぐずぐずと布団の中で微睡むのだけど、なーんか目が冴えちゃって。

トイレに行き、リビングのカーテンを開け、唐突にウォーキングしよう!と思い立った。

 

歯を磨き、パジャマ替わりのスポーツウェアの上にパーカーを羽織る。

深めの帽子とマスクで寝起きの顔を隠し、いざ出発。

その間5分ほど。自分ではないくらいスピーディー⊙.☉

ひんやりと清々しい空気の中、20分程のウォーキングは気持ち良かったなぁ。

はい、20分です(;^ω^)

朝から体を動かした自分自身に今日の合格点をあげたい気分になった。

はい、自分に甘い人間です(*´з`)

 

家に戻るとまだ6時前だった。

朝活とやらをしたい気分になり、ひとしきりヨガで体をストレッチ。

うーーん、いい感じ。

そして、ゆっくりと朝食。

7時半からの朝ドラを字幕付きで観て

なんと、7時50分から網戸の掃除を始めた自分。

 

自分でもよくわからないが、何かに突き動かされたかのようにやる気が漲って来る。

ワタシってこんなにやれる人間だった??(あくまでもいつものワタシ基準です)

 

ところが、リビングの網戸を終わらせ、和室の網戸を拭き始めた途端

網が破れる、の巻…………( ̄_ ̄|||)

 

いつもならここでテンション激下がり。

でも、今朝はいつものワタシではなかったようで

 

ならば張り替えるのみ!( ̄ー ̄)!

 

前回の網の残りがちょうど使えて、ゴムや道具もあるので、早速網戸の張り替えに着手。

久しぶりなので少し苦戦したけど、まあまあの出来で仕上がった。

その後、リビングの出窓と勝手口の網戸の清掃に取り掛かり(夫の部屋は夫にやってもらう^^)

な、なんと9時過ぎには完了したじゃあーりませんか。

いつもならこれぐらいの時間からもそもそと家事を始めるというのに。

 

その後、不用品の片づけ。

衣類やバッグ、靴など、“こんまりさん”に教えていただいた通り

「ありがとう」と感謝してお別れの準備を整える。

他にも食器類や日用品、趣味のモノなどごちゃっとあるが、今日は確認して次回に。

 

最後に掃除機をかけ、軽く床を拭いて、10時半に終了。

 

いやーー、スゴイぞ。

正直、ちょっと面倒で、いつもならなんだかんだと後回しにしちゃう作業なのに

サクッと終わらせることが出来た。

あくまでもいつものワタシ基準だが、上等!!(ちむどんどん風に^-^)

 

いやーーー、ヨカッタ(´▽`)

 

ホントはレンジフードもとチラッと考えていたけど、今日はもういいや。

また今度^m^

 

 

実家のツツジが満開だと夫が送ってくれました

 

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明菜ちゃんのライブ、そして聖子ちゃん

 

中森明菜さんのライブ映像を観た。

1989年4月、デビュー8周年を記念した野外ライブ。

風の中、髪が乱れ、衣装のスカートがめくり上がりそうになりながらも

本当にライブの音源?と思ってしまうほどの安定した歌声。寸分の狂いも無い。

当時から歌唱力バツグンと言われていた彼女だったが

いやぁ、上手だわ……と改めて深く感じ入った。

 

30年以上前のライブ。

1965年7月生まれの明菜ちゃんはこの時23歳だったのか。

歌いながら苦し気な表情を浮かべて涙ぐんだり。

かと思うと、無邪気な笑顔でファンに口パクで話しかけたり。

そうそう、そんなだったな。

安定した歌唱力の反面、彼女の心と表情はいつも不安定に揺れて見えていた。

それが魅力でもあったのは間違いないけれど。

 

アイドルの当たり年と言われた1982年にデビュー。

ちなみに、花の82年組と呼ばれた同期には、小泉今日子さん、早見優さん、堀ちえみさん、松本伊代さん、薬師丸ひろ子さん、原田知世さん、シブがき隊などがいる。

「スローモーション」がデビュー作で、2枚目の「少女A」がヒット。

晦日のテレビでレコード大賞新人賞にノミネートされた中森明菜という女の子を見たのが最初だった。

「少女A」という楽曲を聴いたのもその時が初めて。

愛くるしい顔で、しかし何だかふて腐れたように淡々と歌う姿を覚えている。

アイドルの殻を既に破っていたかのようで印象的だった。いや衝撃的と言うべきか。

その後、瞬く間に彼女はスターになり、“歌姫”と称されることになる。

 

数々の楽曲をヒットさせ、テレビの歌番組では常連だった。

いくらか年上の私だが、今回、彼女の歌をほとんど歌えることに驚いた。

何気によく聴いていたんだなあ。

歌詞はおぼろげだが、メロディラインが沁みついている。

 

……………

 

ところで、

中森明菜 と 松田聖子

 

あの頃、アイドル界で人気を二分していたふたり。

(という見解に異論のある方もございましょうが、お許しを)

アイドルに留まらない群を抜く歌唱力は多くの人が認めるところであり

彼女たちの言動や生き方、ファッションは社会に大きな影響を与えたと言えるだろう。

 

そんなふたりは、今思えば対極にあった気がする。

(ここからは私個人が感じたことで、異論は多々ございましょうが、どうかお許しを)

 

アイドル(偶像)であることに抗い、ありのままの自分でいようとした明菜ちゃん。

はっきりものを言い、自由奔放に振る舞ってもいたが

内面は繊細で傷つきやすく、偶像と実像の狭間でいつも苦しんでいたイメージがある。

 

片や、

アイドルであることを自分の天職とし、今なおアイドルであり続ける聖子ちゃん。

デビューした時、清涼感溢れる稀有な歌声とはにかんだような笑顔が天使の様で、これまた衝撃的だった。

やがて、どうやらそれだけではないと(主に女性たちに)「ぶりっ子」と揶揄されもしたが

そんなことは独特の笑い声で吹き飛ばす逞しさ(としたたかさ)に

いつしかそれがアイドル聖子ちゃんなのだと納得もさせられた。

いいじゃない、何より歌が上手なんだもの、と。

 

プライベート、特に恋愛に関してもふたりの選んだ道は違っていたのかな。

 

一途に人を愛し、自分自身を傷つけた明菜ちゃんと

人を傷つけても、自分の思いに貪欲に愛を獲得した聖子ちゃん

 

あくまでも芸能ネタで知り得た範囲であり、実際のところはわからない。

が、申し訳ないが、そんなふうに残っている。

 

……………

 

記事を書くにあたり、中森明菜という人を検索してみて

何度か芸能活動休止、復帰を繰り返しながらゆっくりと音楽活動を続けている、

ということに、正直、少し驚いた。

何年か前の紅白歌合戦スペシャルゲストとして歌う姿を見た。

その時もずい分と久しぶりだったが、それを最後に彼女の歌を聴いたことがなかったから。

 

カバーアルバムをいくつかリリースしているそうだ。

収録曲のリストに目を通しながら、彼女はどんなふうに歌うのだろうと想像する。

 

いつか、今の彼女の歌を、出来れば彼女の歌う姿を見ながら聴いてみたい。

 

 

そして、聖子ちゃん。

心なしか聖子ちゃんに対し、少々意地悪目めに述べてしまったきらいがあるが

聖子ちゃんの歌にはいつもキラキラとした光の粒が見えるようで大好きだった。

大人の女性になりおすまししても、不意に飛び出るギャハハという笑い声が可愛かった。

「ぶりっ子」と言われながらも、つい素顔が見え隠れするところが何とも正直で

アイドル(偶像)を貫きながらも、実はそうした実像が聖子ちゃんの魅力だったのかもしれない。

 

彼女にとって耐え難い大きな悲しみがあった。

母親でもある実像の彼女の悲痛を思うと、同じ母親として胸が苦しくなる。

今、彼女は少しずつ活動を再開したそうだ。

これからは亡くなった娘の沙也加さんと一緒に歌っていきたいと語っている。

単純でありきたりにも思える言葉だが

それこそが母親としての彼女の紛れもない真実の思いなのだろうと

やはり同じ母親として共感した。

 

いつか又、彼女の歌を聴けることがあった時

自分はきっと泣いてしまうだろうと今から思っている。

 

 

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「ときめき」を感じますか…?(*^^*)

 

昨夜のテレビに“こんまり”さんこと、近藤麻理恵さんが出演されていた。

幼な子の様な可愛らしいお顔立ちとお名前は以前から存じ上げている。

確か、お昼のワイドショー的な番組で何度か、片付けられないお宅を魔法の様に片づけてみせてくれた。

 

今や世界的にも有名だそうで、彼女のファンも世界中にいるらしい。

 

Wikipediaから引用

2010年に出版した『人生がときめく片づけの魔法』は世界40ヵ国以上で翻訳され、シリーズ累計1,300万部を超える世界的大ベストセラーに。

2015年に米『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出

2019年よるNetflixにて公開された『KonMari~人生がときめく片づけの魔法~』エミー賞2部門にノミネートされ、同年で最も人気のあったノンフィクション番組1位となる。

 

なーんてことはもはや世間的には周知の事実なのだろうが

申し訳ないことに、私はそこまでの認識は無かった(;´Д`)

 

今回、“こんまりメソッド”なる、彼女が独自に編み出した画期的な片づけ法に初めてきちんと触れた。

 

「一度片づけたら、絶対に元に戻らない」である。

 

「こんまりさんのこと、今さら何を」と仰る人がおられるのを承知の上で

自分自身に響いた部分をまとめてみた。

 

まず、こんまりさんの公式ホームページの言葉から。

片づけを通して自分の内面をみつめることで「どういうものに囲まれて生きたいのか」自分の価値観を発見し、キャリアや人間関係など、人生におけるすべての選択において変革をもたらします。

 

内面をみつめるとか、人生におけるすべての選択において変革をもたらすとか

正直、自分には少々立派過ぎて、いやいやちょっと無理でしょうとそれだけで片づけに逃げ腰になりそう(~_~;)

しかし、その具体的な方法は意外ととっつきやすいように思う。

 

STEP1 理想の暮らしを考える

自分が「片づいた部屋で生活している様子」がありありとイメージできるくらい、具体的に考える。

 

STEP2 「モノ」別に片づける

片づけられないのは、モノが多いから。モノの量を把握するために、カテゴリー別に収納から出して見てみることが重要。片づけるときは、場所別ではなく、モノ別に片づける。

 

STEP3 触った瞬間に「ときめき」を感じるかどうかで判断する

片づけの極意は「何を捨てるか」ではなく「何を残すか」。ときめくモノは残し、ときめかないモノは手放す。こうすることで、自分にとって「持っていて幸せになる」「心がときめく」モノだけに囲まれた生活を手に入れることができる。

 

STEP4 正しい順序で片づける

片づけするときは、衣類→本類→書類→小物類→思い出品の順序で。この順序で片づけることで「ときめき感度」が少しずつ磨かれ、スムーズに進められる。

 

STEP5 家にある「あらゆるモノの定位置」を決める

 

 

なるほどである。

特にSTEP3でハッとした。

 

自分の場合、「ときめく」か「ときめかない」かではなく

「使える」か「使えない」かで、残すかどうかを判断していた。

 

買った時はときめいたはずが

いざ着たり使ったりしてみると着心地がイマイチだったり使い勝手が悪かったりして

あっさり「ときめき」が失われ、次第に奥の方に仕舞われていったモノたち。

さて片づけようと引っ張り出してみると、使っていないからキレイなまま。

まだ使える、モッタイナイと、また同じ場所に仕舞い込むことになる。

そうして増えていく「ときめかない」モノたち。

 

そうか、そういう仕組みだったのだ( ̄ー ̄)

 

「使える」or「使えない」、「着れる」or「着れない」で判断していたところを

「ときめく」or「ときめかない」で判断していいんだよと言われたことが何だか嬉しい。

 

まだ着れるけど、ホントはあんまり着たくないんだよね、似合わないし着心地悪いし

でも、まだキレイだから捨てるのはモッタイナイかなあ…

と罪悪感にかられていたから。

 

「ありがとう」と感謝してお別れしましょう、とこんまりさんは教えてくれた。

 

これからは、あまり愛してあげられずお別れしたモノたちの為にも

安易にモノを手に入れるのではなく、きちんと考えてお迎えしよう。

 

 

それにしても、

「ときめく」モノだけに囲まれた暮らし、心がホッとして幸せだろうなぁ…(*´ω`*)

 

たくさんは必要ないんだな。

少しの「ときめく」モノを十分に愛しながら

残りの人生をゆっくりと大切に暮らしていこう。

 

というわけで、GWは片づけを頑張る!(^^)!

 

ご近所さんの薔薇、トキメキました(*^^*)

 

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「耳鳴り」がして「断捨離」を始めたけれど

 

昨夜、さぁ寝ようと部屋の電気を消し、襖を閉めながら耳がキーンとした。

耳鳴りだ。

掛け布団をめくりながら、

ああ、もういつどうなるかわからないのだから好きなように生きよう

あと、20年?

30年は無理だろう、下手したら10年かもしれないし

このところの時の速さを考えれば10年なんてあっという間だよ

20年だって、多分あっという間

と80歳を超えた自分を想像しながら思った。(それまで生きてるか?)

我ながら唐突。

 

つまり、

最近、耳鳴りが多くなった気がしていて。

それもちょっと激しめの。

それはおそらく加齢によるもの。

そんなことが頭の隅っこにあり、不意に自分の命の限りを思い浮かべたのだろう。

 

現実を突き付けられるというような悲壮感は無く

ああ、そうかぁ、もうそういう歳なんだなぁと淡々と思うだけだが

まぁ、せめてここからの人生は、好きなこと、やりたいこと、やっておかなければいけないことを

時間を無駄にせずやっていかなきゃなと

布団に潜り込みながらいつになく殊勝に考えた。

 

はたと、かねてからの懸案事項が浮かんだ。

バッグ類の断捨離。

衣類はそうでもないが、バッグ類は好きでつい買ってしまうことが多い。

いろいろなシチュエーションを想像し、いちいち合うものをと考えるので

同じような形でも大きさの違うものを二つ、三つと買ってしまうのだ。

「大は小を兼ねる」がバッグには当てはまらない。

そんなわけで、自分で買ったものや戴いたものが必要以上にあるのだろうなぁと自覚もしている。

 

やおら布団から起き上がり、タンスを開けた。

一応並べて置いてはあるが、量が多過ぎてグチャと押し込まれているバッグ達。

ここ数年日の目を見ず、形がすっかり歪になっているものもいくつか。

ああ、ごめんなさい

凹みや歪みを手で直し、別の場所に移した。

 

ざっと見て、どれも処分することは出来ないと思った。

まだキレイで愛着もある。買った時の思いも残っている。

そういえば何年か前に一度整理したのだ。

それで残したもの達だから。

 

こうなれば、今後これらのバッグ達を使い倒そう。

先々を考え、長くもつように大事大事にしてきたけど

じゃんじゃん使って、くたびれてボロボロになるまで。

自分自身よく生きても20年なら

バッグ達もその頃までには十分使い切って、納得してお別れできるだろう。

「お疲れ様」って。

 

(ああ、でも、もう新しいバッグを買わないようにしなければ)

 

バッグも靴も、残りの人生で全部使い倒そう。

好きで集めてきたモノたち。

自分なりに吟味し、本当に欲しかったモノたちだから

残りの時間で、最後まできちんと彼らの命を全うさせよう。

 

(その後で新人さんを迎えるのは良しとする^^;)

 

少しの高揚感と吹っ切れたような清々しさを感じながら再び布団に潜り込んだ。

 

 

深夜に「耳鳴り」がして「バッグ類の断捨離」を始めようとしたけれど

最終的に断捨離ではなく「使い倒す」に至ったという

僅か15分ほどの話です( ̄▽ ̄;)

 

 

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もうランドセル?⊙.☉

 

次女のところの長男孫は来年小学生になる。

好奇心の塊で目につくもの全てに関わらずにはいられず

チョロQのような予測不能の素早い動きで周囲を振り回してきた。

そんな彼が小学生になるのかと思うと

来年の話だというのに、感慨深さが押し寄せて来る。

 

今朝も小学生たちの集団登校を窓から眺めながら

ひときわ小さい新一年生がランドセルを揺らしながら歩く背中に

ふと孫のことが浮かび目頭が熱くなった。

 

ちゃんと行けるかな?

仲良し、出来るかな?

先生はボクの良いところ、わかってくれるかな?

ばあばの余計なお世話だね

みんなと同じでなくていい

ボクがボクのままでいられるといいな

 

そんなことを考えて。

 

何度も言うが、孫の入学は来年の話。

熱くなるのは早過ぎる(;^ω^)

 

かと思うと、

来年新一年生のランドセル商戦は既に始まっていて、決して早過ぎることはないらしい。

何でも早めで抜かりが無い次女はもう予約を済ませたそうだ。

先日「これにしたよ~」と長男孫が見本のランドセルを背負った写真がラインに。

入学祝でプレゼントすることになっているので報告してきたのだ。

 

おお………

様になってる

 

そうかぁ

もう一年生か

 

いや、まだ来年の話。

ウルウルするのは早過ぎる(;´Д`)

 

先ずは卒園までの一年、元気に保育園に通えますように。

 

……………

 

ところで、

父が選んで買ってくれた私のランドセルは、皆と少し違っていた。

昭和30~40年代、ランドセルと言えば男子は黒で女子は赤とたいてい決まっていた。

なのに、父が持って帰って来たのは皆の赤とは微妙に違う明るい朱色。

(あれ…?)と内心戸惑う私に、父は満面の笑みで「ほれほれ」と背負わせた。

しかも重い……(ーー;)

「これは皮やぞ」と自慢げな父をしり目に、ふて腐れ気味だった私。

 

ごく普通のサラリーマンでお金持ちでも何でもない。

それでも、モノに拘るところのあった父はきっと上等なものを選んでくれたのだろう。

ただ、あの時の6歳の私は皆と同じが良かった。

実際、一人だけ色が違うことでからかわれたりしたし。

今の自分ならそんなことどうってことなく

逆に、人とちょっと違うことを喜んだろうけど。

私の為にしてくれた父の気持ちにきちんと応えられなくて申し訳なかった。

 

今、ランドセルの色は実に様々。

男子だから、女子だからという固定観念も薄まりつつあるようで

今朝見た女の子のランドセルはシックなブラウンだった。

青いランドセルの女の子もいた。

イイなぁ。自分の気持ちに素直に、ワタシはこの色が好きって感じが。

男の子は意外とまだ黒が主流かな。

赤いランドセルの男の子。そのうち出てくるかな(´▽`)

 

大きくなったねぇ…(*´ω`*)あくまでも来年入学です^^;

 

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