その日は、生まれて初めて会場で観るフィギュアスケートの大会で、
真央ちゃんのトリプルアクセルを実際に目の前で見ることが出来、
興奮冷めやらぬままの帰りの電車だった。
もっと言えば、
同じ建物内で催されていた“ビール祭り”を昼食がてら覗いて、少々酔ってもいた。
電車に乗り込むといくつか席が空いていたが、
二駅ほどでもあるし、高揚した気分のせいもあってか、
いつもなら座っちゃうところをあえて座らずに出入り口付近に立つ。
その内、空いていた席も全て埋まって、その前に人も立ち始めた。
夫と話しながら、ふと目の端に人が動く気配がありそちらに目をやると、
若い女性が立ち上がり目の前の女性に席を譲っていた。
紅潮した笑顔でどうぞどうぞと手で勧めている。
譲られた女性は少しためらって遠慮していたようだが、
隣りにいた娘さん(だと思うが・・)に促されてようやく腰を降ろした。
その時初めて譲られた女性の顔が見えて、アッ・・と思った。
ドキッ・・、かもしれない。
確かに私より少し年上ではいらっしゃるようだが、ひっくるめれば私も同様の、いわゆる中年世代のお方。
そういえば娘さんらしき人は私の長女くらいだし。
ということは、自分もそうだからそう思うのだが、
おそらく、まだまだ席を譲られるなんて思いもしない世代・・、なのだ。
なのに、しかし、譲られた・・?
その瞬間 「?」 だったのでは。
だからあんなに辞退していたのか・・な。
思い過ごしかもしれないが、譲られた女性の顔が少しこわばっているようにも見えた。
自分だったらと考えると、その心情がよくわかるようで、
胸がチクリとした。
いや、自分も心優しい彼女の前に立っていたらきっと譲られていたことだろう。
もう、そういう歳なのだ。
もう、その覚悟をしておいた方が良いのだ。
娘たちと一緒に電車に乗り席が空けば、「お母さん、座って」と必ず言われるではないか。
そうなのだ。そういうことなのだ。
娘たちにしてもらうように、若い人たちからの好意は有難く戴こう。
その時にジタバタとみっともないことにならないよう、
「ありがとうございます」と爽やかに言えるよう、心構えをしておかなくては。
まあ実際のところは、
席を譲られた女性のあれこれは私の単なる思い過ごしや得意の妄想なのかもしれないが、
それとは別に、
決して遠くない将来に自分にもその時は来るということにハッとさせられたわけで。
真央ちゃんを見て地ビールを飲んでアゲアゲだった気分もひんやりと冷める中で、
電車が降りる駅に着くまでその時のことを考え続けていた。
譲られた女性とその娘さんは私と同じ駅で降りた。
こわばった表情のまま、娘さんとも離れて、その女性はずんずんと歩いて改札を出て行った。
もちろん彼女の真の思いはわかりえないが、
その後ろ姿を見送りながら、悲しいような残念なような気持ちが残った。
歳をとるのは切ないこともあるけど、
仕方ないって開き直って、
年長者の余裕ってやつを若い人に見せてあげたいもんです。
若い人からの精一杯の好意には「ありがとね~」と目一杯喜んであげたいもんです。
今から、自分に言い聞かせている。