すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

シンシア

 
先週末からお盆休み中の今日まで
義母の見舞いと夫の実家の片付け、お墓参り
その合い間に小旅行へと
しばらく自宅を留守にした。
さっき戻ってきて、いろいろと片付けをした後
ホッとした気分でパソコンに向かう。
 
ずい分と間が空いたから
そういや拓郎、アレ更新してるかな?と開いてみると
してた。
 
 
タイトルは 「早春の港」
 
南沙織さんの歌った曲である
「ふるさと持たないあの人の 心の港になりたいの」
「いつかは私もあの人の いいふるさとになりたくて」
当時コンサートで全国を毎日のように旅していた
僕の耳にこの歌が入ってきた
アンサーソングを作りたい」と思った
僕もいつかは旅を終える
そんな時の心境を歌にしたい
そうやって「シンシア」が出来た
 
 
そうだったんだーー! だった。
 
確かに!
「シンシア」という歌は南沙織さんの「早春の港」に応えている。
 
拓郎が
その「シンシア」こと南沙織さんの熱烈なファンであることは拓郎ファンなら周知の事実だけど
そういうことでそういうことだったとは気がつかなかったなあ・・・
 
 
なつかしい人や 町をたずねて
汽車を降りてみても
目に写るものは 時の流れだけ
心がくだけてゆく
帰ってゆく場所もないのなら
行きずりのふれあいで
なぐさめあうのもいいさ
シンシア そんな時 シンシア 君の声が
戻っておいでよと唄ってる
君の部屋のカーテンやカーペットは
色あせてはいないかい
 
人ごみにかくれて 肩をすぼめて
自分を見つめた時
過ぎ去った夢が くずれ落ちる
長い旅が終わる
夜空は町に落ち 人々が
笑いながら通りすぎる
あの日とおんなじ所を
シンシア そんな時 シンシア 君の声が
戻っておいでよと唄ってる
君の部屋に僕一人居てもいいかい
朝を待つのがこわいから
シンシア 帰る場所も シンシア ないのなら
シンシア 君の腕で シンシア 眠りたい
 
「シンシア」  by 吉田拓郎
 
 
それにしても
彼女への甘~い甘~~い思いの丈が溢れている。
 
昔昔、ある音楽番組で
拓郎と南沙織さんがお互い恥ずかしそうに初々しい面持ちで並んでいて
いや、正確にはそこにかまやつひろしさんもいらっしゃったが
横にいる沙織さんに捧げるように「シンシア」を唄う拓郎の「うへへ」ぶりが
「いやいや、まったく」であった。
 
正直言うと
南沙織さんがアイドルとして大人気だった当時
中学生の自分には彼女の魅力がイマイチわからなかった。
それよりも天地真理ちゃんのこの世のものとは思えぬ天使さに惹かれていた。
でも、最近になって昔の南沙織さんの映像を観ると
おおーーー!シンシア、かなり可愛いじゃん。 と思うわけで。
その時代の一般的な女性タレントとは何処か違う
クリクリっと輝く瞳やナチュラルな雰囲気がすっごく魅力的。 
拓郎が好きになっちゃったの、わかるかな
 
 
ところで 「早春の港」
あの人の心の港になりたい とか
あの人のいいふるさとになりたい とか
つまり
男は海を渡る船で
女はそれを待ち、見守り、温かく迎える港 みたいな
そういう女のイメージ、自分も実はちょっと憧れる。
懐深く、悠然と、明るくて。
たとえば、傷つき疲れた男の人を自分の腕の中で眠らせてあげるような。
そんな女に憧れなくもないのだけど、現実は上手くいかない。
想定外のことにすぐいっぱいいっぱいになるし
今いる所に不満は無いはずなのにすぐ何処かへ行ってしまいたくなるし
些細なことに苛立ったり不機嫌になったり
あああ・・・・・・
 
心の港だの、いいふるさとだのには
到底なれそうもない。
 
と言うか、ワタシが「心の港」ずっと探している気がする。
何処にあるんだか。。