すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

独りでも食事


義母が施設に入所し、誰も住まなくなった実家の管理もあり、
夫は月に1/3~半分くらい隣県の実家に暮らすように。
夫が60歳でリタイアしてから2年と7ヶ月。
学生時代からの友だちのまま、旅に出たりカラオケ行ったりスポーツしたりと、
そんなところは楽しくもあるのだけど、
朝から晩まで鼻つき合わせてはつまらない事で度々揉める夫婦でもあるので、
そのスタンスでの暮らしはちょうど良いとも言えます。

「旦那さんの居ない間は好き放題やなぁ」と友人に羨ましがられます。
確かにそう。
好きなように時を過ごすのはこの上なく気楽で、
元々、ダラダラ好きの不精者なので、この時とばかりにダラけます。
部屋が少々散らかっても、キッチンシンクが食器でいっぱいになっても、
たまにはいいさと開き直っているわけで

ただ、
食事の支度をとんとしなくなるのは自分でも良くないなぁと思っていて。
自分だけなら食事など何でもいいのです。
白ご飯に納豆や生卵をかけるだけ。副菜無し。
食パンにハムのせてマヨネーズかけるだけ。副菜無し。
そうそう、先日は非常食のわかめご飯だけだったし。
そんな食生活が続くと何だかふらついたりと直に体にきて、あらら・・
多分若い頃は多少の不摂生をしてもそうでもなかったと思うのですが、
歳をとったせいか、栄養不足がすぐ体に現れる気がします。

やはり、食は大事。健康の基本だと実感させられます。


そんな母の窮地を救うつもりか、
いやいや、己の胃袋の窮地を救う為か、
父の不在を狙うかのように娘たちがやって来ます。
そして母(私)はせっせと料理を作り、共に食べる。
夫が居る日は夫と共に。
つまりそのことで当たり前の食生活が実現し、
おかげで栄養不足を解消することが出来ているのかと、ふと思います。

娘たちが自立し、夫も半分は自立した暮らしを送るようになり、
ようやく自分だけの時間をたっぷり手に入れ、解放された気分を味わっているけど、
そんな中である意味、自分自身は自立出来ていないのかもしれないなぁ。

自分ひとりの為に、質素でも栄養を考え、きちんと三度三度の食事を作ること。
そういう食生活を淡々と続けられること。

残りの人生、自分の責任で自由に、且つ健康的に生きる為には、
そこのところしっかりと自立する必要があるのだろうなと思う、今日この頃。。