昨年亡くなった高校時代の友人のお墓参りに、当時の仲間6人で行った帰り
久しぶりに皆で食事をした。
お洒落なワンプレートランチを口に運びながら、話題は
自身と家族の体調のこと、
介護のこと、
子どもの結婚、
孫の成長、などなど。
同じ世代で集まるとたいていそんな話になる。
それに加えて、今回は
私以外のメンバーがそれぞれ登山を楽しんでいることがわかり驚いた。
その中の一人は60歳くらいから始めて
槍ヶ岳や穂高、立山などを登ったそうだ。
彼女は登山に備えて、ジムに通い筋力をつけたり
長距離ウォーキングをして脚力が落ちないようにしていると言っていた。
他のメンバーも定期的にスイミングやジムに通っていて
やっぱりみんな体動かすの好きなんだねと頷き合う。
ちなみに、高校時代はバスケットボールで汗と涙を流したチームメイトである。
自分も40代はバドミントンでハードな練習に励んできたが
今はヨガでゆったり無理せずがモットー(^▽^;)
今度皆で登山しようという話になり
いやいや、自分は数年前に筑波山の初心者コースでヘロヘロになったと言ったら
じゃあ先ずは初心者コースから、とニヤリ。
今後の展開に一抹の不安を感じながらも
同い年の仲間の溌溂ぶりが嬉しくもあり、大いに刺激を受けた。
🧗♀️
ところで、
そんなふうに気兼ねの無い気心の知れた大好きな仲間だが
話の中で(うん?)と違和感を覚えたことがある。
友人5人中3人は息子を持つ母親。
そのうち、二人は息子のみで娘はいない。
自分は娘3人である。
息子のみの友人二人が揃って「全然結婚する気配が無いのよ」と嘆く。
私の場合、長女と三女も結婚する気配が全く無いが
それを母親として嘆く気持ちは無い。
もちろん娘の幸せを願うけれど
結婚したら間違いなく幸せになるとは思わないし
そもそも娘自身に結婚する気が無いのだから
嘆くことはないだろう。
社会人として自立せず
いつまでも親のすねを齧っているのは嘆かわしくもあるが
一応自立出来たのだから親としてはそれで御の字。
後のことは自分がいいように自分の責任で生きていってくれと思っている。
ただ、そんなふうに考える自分は母親として変わっているのかもしれないし
「結婚する気配が無い」と嘆く彼女らの言葉は息子の幸せを願ってのことと
まあ、そんなものかなと思いながら聞いていた。
ところがその後、
同居の未婚息子がいる彼女が
「早くお世話してくれる人を見つけて欲しい。でなきゃ、いつまでも私が大変」
と言った。
「そうだよねー。いつまでも息子の世話しなきゃいけないの嫌だよねー」
と、もう一人も。
↓(ここから私の心の声)
あれ?「お世話してくれる人」って
それってつまり
お嫁さんにお母さん代わり、いやもっと言えば家政婦さん代わりを求めているってこと?
息子の世話をする為に嫁は存在する
もしかして、無意識のうちにそう思っちゃっていない?
夫に対し「私はあなたの母親じゃない、家政婦じゃない」と憤った私たちだったよね
でも、息子にはそういうお嫁さんを求めるの?
ていうか、今の若い女性で、そういうお嫁さんになる人いないかも
妻が夫の世話をするとかでなく
妻も夫も共に、家事を協力し合うのが
今の夫婦の在り方だから
そういうことを期待するから嫁姑問題は無くならないんだろうな……
彼女たち、息子を持つ母の思いはそれほど大袈裟なことではなく
発した言葉も、結婚しない我が子を抱えた親の、よく言う台詞だったと思う。
それでも、
「嫁は息子の世話をしてくれる」という無意識の発想が
私たち世代、しかも身近な友人にも思いのほか普通にあるのかもしれないという現実に
軽くショックを受けたのは確か。
その嫁の立場となる娘を持つ親として
モヤッとした出来事だった(;^ω^)