今年のお正月は例年3日に行う家族新年会を取りやめた、と前記事に書きましたが
実は元日早々、同じ市内に住む次女と孫たちの襲来に見舞われたのでした。
実業団駅伝を観ながらまったりしていた最中、突如鳴り響く次女からのLINE電話。
「これはもしや?」夫と顔を見合わせながら既に苦笑い。「来るのか?💦」
ビデオ通話の画面に切り替える前から聴こえて来た孫の声。
「ばあばー!お顔見せてーー!」
そんなふうに言っておきながら顔が見えるとちょっと照れてはにかむ上の孫。
代わりに下の孫が大きな声でお構いなしに話してくれるのだけど、残念ながら8割方意味不明(苦笑)
再び上の孫が「じいじとばあばのおうち、行っていい?」
娘は声も姿も無く、スマホの後ろで状況をうかがっているのか?(笑)
孫の一声でとどめを刺されたじいじとばあばはこう言うしかない。
「いいよー( ̄▽ ̄;)」
まあ、大勢で集まるわけじゃないからいいか。
お年玉もあげたいし。
それに新年会は中止したけど、そう言えば少し前のクリスマス会はこのメンバーでやったんだった。
コロナ禍の中、いろいろ考えて決めた新年会中止だったけど、イマイチ信念と行動に一貫性が無い私たちです(^^;
「今日はあんまりゆっくりできないよ。ちょっとだけね」とじいじに言われ、「わかりました!」と真っ先に応えたのは次女でした。
ちょっとだけじゃ済まないだろうとは思っていましたが、案の定、いつも通りたっぷり遊んだ孫たち。
帰りの車中は爆睡だったようです。
お年玉をあげた時のこと。
孫たちに手渡すのは初めて。
彼らにとっては初めて見る「お年玉」です。
喜んでもらおうと選んだアンパンマンのポチ袋に入れて、「これはお年玉っていうのよ。じいじとばあばから。どうぞ」と差し出しました。
上の孫はママに促されながら「ありがとう」と笑顔で受け取ったのですが、下の孫はうつむいて手を出しません。
「どうぞ」と何度か繰り返しても頑なに下を向いて暗い顔。
ママ曰く、「お年玉」が何なのかわからないから多分不安で手に持てないのだと。
「じゃあママが代わりにもらっておこうか?」と言われ即座に頷いたので、欲しいのは欲しいんですよね(;^ω^)
どちらかと言えば、上の孫の方が繊細で怖がり、下の孫は拘りが無く図太いという印象でしたので、とても意外でした。
こう見えてけっこうナイーブなのよねと次女。
わからないものです。
でも、面白い(*´▽`*)
孫たちのそんな意外性が愛しくさえあります。
夫が「子どもなのに微妙にナイーブなことに驚いた」と言いました。私も確かに驚いた。
ただ、改めて思うんです。
逆に「子どもだから」じゃないのかなと。
たくさんの経験をしていない分、心の表面は無垢で純粋なまま。
大人のようなずる賢さやいいかげんさ、図々しさを持たないから、その心は思いのほかナイーブで傷つきやすく。
恐れや不安にも敏感で、意外なほどに複雑。
実はそうであるのに、大人は無意識のうちに子どもの心が単純で鈍感であるとさえ思ってしまっているところ、あるかもなぁ。
つい頭ごなしだったり失礼だったりするもの。
子どもと言ったって小さな一人の「ひと」だから、大人と同じようにいろいろな感情、きっとあるのよね。
小さいからと言って彼らの感情が大人と比べて単純で幼稚と思うのは間違いなんだろうな。
たくさんの言葉をまだ知らない小さい人たちの
伝えられない気持ちを汲み取ってあげられたらなと思います。
来年は笑顔でお年玉受け取ってくれるかな?(*´▽`*)
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