いつもお邪魔しているブログでテレビの字幕表示について書かれていた。
テレビで映画を観ていたところセリフが聴き取りにくく、字幕表示にしたら明確にセリフを把握できた、というお話。
そのすぐ後、BSで高倉健さん主演の『鉄道員(ぽっぽや)』を観た。
すると健さんのセリフが聴き取りにくい。健さんに問題があるのではない。
近頃、自分の耳はテレビの中の男性の低く渋い声が聴き取りにくく、ボソボソと喋られると更にダメ。
つまり自身の加齢によるものなのだ。
健さん演じる主人公は“ぽっぽや”一筋に生きてきた朴訥な男。
低音の渋い語り口が魅力だが、その渋いセリフが聴こえなければ意味が無い。
そこでハッと思い出したのが件(くだん)の字幕表示。
すぐさまONにしたところ、健さんのセリフが一言一句つぶさに見える。
日本語を耳で聴きながら日本語の文字を追うことに違和感があるかと思ったが、少なくとも自分は無かった。
それどころかスムーズにセリフが入ってきて、耳を殊更そばだてる必要が無いのも楽。
「今、なんて言った?」「聴こえないから静かにして」と軽く苛立つストレスも無い。
今後は字幕表示、活用しようと思う。
ちなみに夫も聴こえが悪い。
夫も私も今のところ聴力検査で異常が認められるには至っていないが、やはり加齢によるものだろう。
2歳年上の夫は私よりも聴こえないようだ。
テレビの音量も知らないうちに大きくしていて、突然の大音量に驚かされることも度々。
妻「音、大き過ぎない?」夫「えー、大きくないよ」でバチバチ。
字幕表示することで夫婦の諍いが一つ減るとすれば何よりである(苦笑)
……………
母方の祖母は私が物心ついた頃には既に高齢で、耳が遠くなっていた。
子どもの頃、母の実家に行き祖母と話すのが少し苦手だった。
一生懸命話してもおばあちゃんに伝わらない。
それが嫌でだんだん祖母と話さなくなり、祖父とばかり話していた気がする。
祖父はいつも祖母の耳元に大きな声で話しかけていた。
私の話もそうして伝えてくれると、祖母はようやくにっこり笑ってくれるのだった。
祖母は常に穏やかな表情で家族の中にいたが、家族の会話が理解できていたかはわからない。
今さらだがどんな気持ちだったのかなと思うと、祖母に優しく寄り添えなかったことが申し訳なくて、
ほんと今さらながら心が痛む。
その娘の母も早くから聞こえにくくなっていたと思う。
母の二人の兄もそうだったので、遺伝的?体質的?なものがあるのかもしれない。
高齢になりいよいよ聞こえなくなり補聴器を作ったが、使いづらいこともあったのか、あまり功を奏さなかった。
入れ歯で活舌が悪い父と耳の遠い母との会話はなかなか繋がらず、父の癇癪で強制終了することもしばしば。
その頃、1ヶ月に一度、一週間ほど手伝いに通った私。
滞在中、母に何かを伝えようとする度に、大きな声を出す為の肺活量と同じことを言い続けるくじけない心を求められた。
あまりにも伝わらなくて、時には声を荒げたこともあった。
帰りの新幹線ではいつも、母にキツイことを言った後悔で悲しくなった。
いつしか、家族の会話の中でお喋りだった母は口を出すことが減り、わからないことを諦めたかのようだった。
受話器越しの声はよく聴こえるようで、電話ではたくさん話したのがせめてもの母の楽しみだったろうか。
テレビの声が聴こえないと嘆いていた母に字幕表示を教えてあげられたらよかった。
私もいつか聞こえなくなるかもしれない。
その時初めて、祖母や母の耳に起こっていたことを知るのだろう。
そして、戸惑いや悔しさや切なさを知るのかもしれない。
目に見えないことを想像するのは難しい。
それでも、見えないものに寄り添い理解しようとする気持ちは忘れずにいたい。
祖母や母にもそうでありたかった。
『鉄道員(ぽっぽや)』1999年公開なので、健さん68歳の時でしょうか。かっこよすぎる( *´艸`)
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