すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

ぼた餅作り、嫁姑問題に発展⁈

 

昨日はいつになく近所を走る車が多く、狭い道のあちらこちらで詰まっていた。

そんな渋滞に巻き込まれいったいどうしたんだろう?と頭を傾げる。

お寺に向かう路地に何台もの車が入り、ああ、今日はお彼岸のお中日だと気づく。

近くにお寺や大きな霊園があり、お彼岸やお盆には車で溢れるということをうっかり忘れていた。

ようやく渋滞を抜け、目的のスーパーへ。

店内に入ると真正面に仏花が並び、大勢の人が買い求めていた。

 

昨年の9月、祖母の納骨(分骨して故郷の島から父が持って来ていたもの)と母の三回忌(父の逝去と重なり延期していた)と父の百箇日法要を同時に行った。

それ以来、両親の墓参りが出来ていない。

コロナ禍の中、新幹線で遠方に行くことが憚れていたからだが、どうしても行けないわけではないと思うと、申し訳なさがずっとある。

母はそれほど信心深い人ではなかったが、それを補うように神仏を大切にした父は、子どもや孫たちに何かある度に、祖母から引き継いだ観音様に祈ってくれていた。

「観音さんによおくお願いしたからきっと大丈夫や」と、その言葉は確かに私を安心させてくれてもいた。

そうして、生前、事あるごとに世話になっていながら、ちっともお参りに来ない娘を苦々しく思っているかもしれない。

先祖をご供養すべくお彼岸の準備で賑わっている人たちの中にいて、やっぱり少し責められる気がした。

5月には父の一周忌がある。

5月には行くからと、すぐ近くにいるかのような父に心の中で呟いた。

 

 

ところで、春のお彼岸と言えばぼた餅。(秋彼岸はおはぎ。それぞれ春の花である牡丹、秋の花である萩にちなんだもの、というのは皆さんご存じでしょう)

そのスーパーでは日常的に並んでいるが、昨日はいつもにも増して大量に売られていた。

自分にとってぼた餅(或いはおはぎ)と言えば義母で、また思い出すのである。

実母と真逆に信心深い義母は、お彼岸やお盆の行事を大切にし、ご先祖様と真摯に向き合う人だった。

日々の仏壇のお世話や墓参りなども怠らなかった。

そんな義母がお彼岸に手作りするぼた餅は絶品だと親戚内で評判。

見た目豪快なそれはぼてっと大きく、周りの餡子も決して美しく整えられてはいないが、初めて食べた時、評判通りの美味しさに思わず顔がほころんだものだった。

春と秋のお彼岸には義母のぼた餅目当てに親戚たちが集まった。

たくさんの数を一人で作るので大変だったと思うが、「やっぱり違うねぇ。美味しいねぇ」と皆が喜ぶ顔を見るのが嬉しい義母だった。

そして何より、絶賛され誇らしかったのだと思う。

 

夫と結婚して数年経ったあるお彼岸の日。

たまにはと「ぼた餅作り手伝います」と言ったところ、「え?いいよ。大丈夫だよ」と義母。

そこで引き下がれば良かったのだが、すぐ引き下がって口だけと思われるのもなんだからと「あら、手伝いますよ」と私。

少し間があって「そうかい?じゃあやってみるかい?」と、あまり気乗りしないふうの義母。

これをこうしとくれ、と義母の指導は意外とあっさり。

これをこうすればいいのねと餡子で餅を包んだ。

それほど難しくはなく自分なりに丁寧に取り組み、義母と一緒に数十個を完成させた。

例年のように親戚が集まり、さあお待ちかねのぼた餅をと運びながら、義母が一言。

 

「これ、手伝ってもらって作ったから美味しいかどうかわからないよ」

 

(⊙_⊙)?

 

(どいうこと?)

(え?そいうこと??)

(私に手伝ってもらうことでいつもの自分の美味しさが損なわれるようで嫌だった?)

(それで、もしいつもより美味しくないと思われたとして、それが自分のせいじゃないことを予め明白にしたかった?)

(って、餡子も餅もお義母さんが作って、私はただ包んだだけなのに?)

(え?包み方で美味しさが損なわれるってこと??)

(もしそうなら申し訳ないけど、でも、フツウそんなこと人前で言う?)

(言うのか……………)

 

一瞬、義母の言葉の意味がわからず頭が真っ白になった後、これだけの思いが駆け巡った。

かと言ってそれを口に出来るはずはなく、ふと横を見ると義母の姉である伯母と目が合った。

全てを察したかのようにハッとした顔で、その後ごめんなさいねぇと目で伝えてくれる伯母に、いえいえ気にしてませんと無言の作り笑いで応える私だった。

自分の誇りでもあるぼた餅作りを未熟者に邪魔され、結果汚されることになるのは義母にはたまらなく心外だったのだろう。

そんなことがあり、二度とぼた餅作りの手伝いをすることはなかった。

 

 

夫はその時その場所にいて義母の言葉を聞いていたはずだが、全く記憶に無いと言う。

それは、義母の言葉に違和感を持つこともなかったから、そもそも記憶に残るほどのことでなかったのかもしれない。

義母の価値観のもと、義母の言動に触れながら育ってきた夫には大したことではなく。

最近になって初めてこの話をした時も、「えへ、おふくろ、そんなこと言ってたの?」と苦笑いでお終い。

 

まあ、そんなものだろう。

価値観の違いである。夫や義母が特別鈍感だとか無神経だとかは思わない。(いや、嘘。個人的にはやっぱりちょっと思う)

ただ、多分私の母なら「○○さん(嫁)と一緒に作ったのよ。美味しいから食べてね」と言うと思う。

そういう意味で、義母と真逆とも思える母に育てられた私には義母の言葉はかなり衝撃的だった。

 

タイトルの「嫁姑問題」には発展しなかったが、こういうことって、いつまでも忘れないのだ( ̄▽ ̄;)

 

f:id:komakusa22:20210320211131p:plain

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ

よろしければポチ頂けると嬉しいです(^^)/

PVアクセスランキング にほんブログ村