すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「じぶんが大事にされるために」やってること?


唐突ですが、
“他人(ひと)の話を取る”人っていませんか?(;´Д`)


実は学生時代からの知人にそういった人がいます。

皆で集まった時、顔見知りという気安さからかもしれませんが
他のメンバーが話し出した話題にすかさず
「そうそう!私も○○だよ~」と自分の話にすり替えて話し始めるのです。
そして「△△でね、※※なの。それでね……………」と延々と続けるので
最初に話し出した人は結局あまり話せないまま尻切れトンボで終わる。


毎度のことなので、一度思い切って
「待って。彼女の話を先ず聞こうよ」と言ったことがあります。
他人の話を取ってばかりのその人は一瞬ポカンとして「あ、うん」。


悪気は無いのでしょうね。
と言うか、自分のしていることに気づいていない?無意識?
或いは、それが宜しくないということを分かっていない、のかな?(^^;


夫もそういうところがあります(;^ω^)
「他人(ひと)の話を取る」

娘たちから始めた話題を少し聞いたかと思ったら
「お父さんは……………」と自分のケースに置き換えて話し出すのです。
昔のことや仕事をしていた頃のことを振り返り
自分はこうだった、自分はこうした。
娘たちの何か参考になればという思いもあるのでしょうが
自慢が少々混じっているのが感じられて
聞いていてあまり楽しくないのが正直なところ。
何より娘たちはそれを求めておらず
しかし夫はそのことに気づかない。
長引く話に、焦点も微妙にずれていく。

父親に話を取られた娘たちは苦笑いで生返事。
盛り上がることなくその場を離れる娘たち。
結局娘たちの言いたかったことが十分に聞けず話は終わるのです。


途中で口を挟まず最後まで聞いてやればいいのにといつも思います。
何か問われたら応えてやればいいのにと。
その際、自慢話や知識をひけらかすことを慎むのも肝要。


夫の場合も悪気はありません。
ただ、大袈裟に言えば
そうしてしまう衝動みたいなものがあるのかな。
だから、何度か注意したことがありますがあまり変わらない(*´з`)


そうでなくても娘たちが自立し家を出てから話す機会が減り
きっと内心寂しいはずの夫です。
聞き上手になれば娘たちとの会話も弾むのにと思うのですが。


……………

というようなことがあって、

いつもの糸井重里さんのエッセイ

いばっている人って、いますよね。
この人、ずいぶん自慢するなぁ、という人も見ますよね。
なんでも知ったかぶりをする人もいます。
なんか、すぐ泣こうとする人もいる。
すっとんきょうなことをして注意をひく人もいます。
こういうの、もちろん他人のことじゃなく、
じぶんがやっていることも考えにいれてですね、
そういうことをする人の、「望み」がわかったんです。

すべて、「じぶんが大事にされるために」
やってるんじゃないかと、思ったんですよ。

 

「わたしをもっと大事にしろ」という「望み」、
「わたしを大事にしてください!」という「願い」。 
それは、裏返しに見たら
「わたしが大事にされていない」という「怒り」であり、
「わたしこそが大事にされるべきだ」という「抗議」。


なんだか駅で怒っている老人だとか、
学校や会社でなにかを自慢している上司だとか、
家で知ったかぶりしている夫だとか、
思うままにならないと泣くこどもだとか、
マンガに出てくるような人たちがやっていることは、
だいたい「じぶんが大事にされるために」やってる。


アッ!と思ったんです。


「じぶんが大事にされるために」やっていること。

他人(ひと)の話を取る友人や夫も
もしかしたら無意識の中でそれを求めているのかな……


他人(ひと)の話を取ってでも
さらに盛り上げてみせて皆の中で注目を浴びたい?
他人(ひと)の話を聞くだけでなく
じぶんの知識を披露し皆の中でスゴイねと尊敬されたい?

注目を浴びスゴイと尊敬されることでじぶんが大事にされていると感じる、のかなって。


わからなくもないけど。(と一応言ってみる。ホントはよくわからない)

何をもって「じぶんが大事にされている」と感じるかは人それぞれですから。


ただ、
じぶんが「大事にされたい」と願い、それを実現させたいと思うなら
じぶんが、じぶんが、と前のめりに求めるよりも
じぶん以外の人を大事にすることが正攻法(という言い方もなんですが)ではないかなと。

例えば、
他人(ひと)の話をきちんと聞いてあげられたら
じぶんの話もきちんと聞いてもらえる

例えば、
他人(ひと)の良いところをきちんと認め尊敬出来たら
じぶんの良いところを認められ尊敬もされるかもしれない

のではないのかな…と。


あくまでも、何をもって「じぶんが大事にされている」と感じるかはまた別の問題として。



糸井さん、最後に仰っています。

他の人も、そういう「望み」を持っているんだと知って、
ちょっとでも大事にしてあげられると、
「大事は他人(ひと)の為ならず」で、
じぶんも少し大事にされるかもしれません。
「人を大事にする人は大事にされる」のも世の常ですよね。


なんだか駅で怒っている老人だとか、
学校や会社でなにかを自慢している上司だとか、
家で知ったかぶりしている夫だとか、

「人を大事にする人は大事にされる」です。
そこんとこ、ヨロシクです( ̄▽ ̄)


……………


ところで、
「じぶんが大事にされるために」
敢えてすっとんきょうなことをして注意をひく人も挙げられていましたね。
なかなかあざとい面倒臭い人です。

そこで私。
ご存じかと思いますが、ブログのタイトルにあるようにすっとんきょうを自認しています。
※すっとんきょう・・・突然、調子のはずれた声を出したり、または奇抜な言動をするさま。また、その人。
ですが、私の場合、敢えてとか狙ってとかではなく全くのナチュラル。
まして、「じぶんが大事にされるために」という思惑など図れるはずもない咄嗟の所業。
よって、あざとさは皆無ですが
周囲を驚かせたり呆れさせたりして、はた迷惑も甚だしいのは自覚しております。
別の意味で面倒臭い人間であることは間違いありません。

ということで、改めて

すっとんきょうでゴメンナサイm(__)m


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