すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

義母のこと


義母は今年で88歳になる。


若い頃の写真を見るとほっそりとスマートだが
夫と結婚前に挨拶に行った時には
既にふくよかな義母だった。

モリモリ食べガシガシ動く様は生命力の旺盛さを物語り
体調が悪いことなど無いように見えたが
家系的に腎臓が弱いことは義母本人から度々聞かされた。


義母70歳の時に義父が亡くなった。
夫に尽くした義母だったので、一人になりしばらくは寂しかったと思うが
逆に言えば、常に気遣い、重しとなっていた存在が失われ
やがて義母は気軽になり身軽になったのかもしれない。

好きな物を好きなだけ食べる。
欲しい物を次々と買う。
誰に文句を言われることもない。
義母にすれば生まれて初めての自由気ままな暮らしを満喫しているかのようだった。


しかし、その結果
ふくよかの限度を超え、こちらが心配になるほど丸々と太ってしまった体。
膝を痛め、顔にはいつも大量の汗をかいていた。
腎臓が弱いと言いながら、義母が好む食べ物は腎臓に負担のかかる物ばかり。
義母の顔は見るからに不健康に黒ずんできた。
「お医者さんにかかっているんだよね?」と訊くと「薬飲んでるよ」と言うけれど
本当に大丈夫なのかと私一人が不安だった。

また、義父が存命中も家の中は雑然としていたが
片付けられない性分に加え、根気よく探すことをしないので
必要な物が見つからなければすぐ購入。
衣類や日用品、食材など、大きな一戸建ての全ての部屋が物で溢れた。


そんな義母が実家の玄関で転んだのは一人暮らしになり10年ほど経った頃。
物が折り重なるように置かれた、玄関とは名ばかりの危険極まりないその場所で転ぶのは必定だった。
(我々も片付けることを何度も進言し、少しずつでも片付けようとしたが、義母は頑なに拒否し、「片付けようとすると気分が悪くなる」と泣かれたこともある。)

転倒して肋骨を骨折。即入院となった義母。
医師には骨折の所見以外に、腎臓がかなり悪いことを指摘された。


その後、9ヶ月間の入院生活を送る中で必要な食事制限がなされ
義母の体はみるみるすっきりとしてきた。
骨折で痛い思いをしたのは可哀想だったが、内臓が整えられたのは幸いだった。
一回り小さくなった義母を見て、義妹は「痩せちゃったね」と心配したが
「いや、逆に健康になったんだ」と夫は言った。
黒ずんでいた顔もきれいな肌色になった。


肋骨の骨折も癒え、リハビリに励んだ義母だったが
入院中、ベッドに腰を下ろした時、あろうことか背骨を圧迫骨折。
結局、自立歩行が叶わぬまま車椅子生活となり退院した。
介護度4。夫と二人で実家で介護することとなった。


隣県の自宅から毎週通いながらの遠距離介護は大変だったが
デイサービスやショートステイを利用しながら何とかやり繰りした。
私に特に課せられた任務は義母の腎臓をこれ以上悪化させない為の食事。
タンパク質を取り過ぎない、塩分は控え目に、カリウムの多い果物や野菜も制限した。
エネルギー量をしっかり摂取することは必要だが
それまでの義母の食事量は多過ぎたので、そこも適度に。

けれど、それはつまり
食べること大好き、塩辛い物大好き、果物大好きの義母にはきっとあまりにも物足りない食事だったはず。
義母の心中を思うと可哀想だが、これ以上腎臓を悪くするわけにいかない。
義母にもそれはわかっていたのだろう。不満を口にすることは一切無かった。
毎回の食事をゆっくり嚙みしめるように食べ、いつも最後には「おご馳走さま」と言ってくれた。
決してご馳走などではない。
以前の様に好きな物を思い切り食べさせてあげられないことが切なかった。


やがて在宅介護に行き詰まり、義母は施設に入所することになった。
とても良い施設で穏やかに過ごせているのが有難い。
食事の面も腎臓病にしっかりと対応していただき、体調も安定している。
それら全てのおかげで義母は長生き出来ていると思える。

とは言え、
腎臓病を考慮しての食事はやはり義母にとって物足りなく
義母自身仕方ないとわかっていても、ふと不満を漏らすこともあった。
味噌汁が出ない。(在宅では超超薄味にして出していた)
果物を食べさせてもらえない。
甘い物もほんの少しで物足りない。
在宅介護の頃、私には言わなかったが、本心はそうだったのだと改めて思った。
そんな自分の状況に折り合いをつけ
出された食事を黙って食べるのみの義母だったろう。


そんな折、施設に来られる訪問診療の医師が変わり、先日義母を診ていただいた。
検査データや義母の年齢などから
今後、腎臓の悪化が進んでも人工透析はせずに体調を診ながら対処療法をしましょうとおっしゃった。
そして、「少しなら好きな物も食べさせてあげてください」とも。
それを聞いて、義母がどんなに喜ぶだろうと嬉しかった。


腎臓の症状が改善されたわけではない。
良くなることはないけれど、これ以上悪くならないようにと続けてきた食事制限。
7年前に転倒し入院してから、義母はずっと頑張ってきた。
食べること好き、塩辛い物好き、果物大好きだった義母が不満も言わず立派だった。
もちろん義母自身の体の為。
そのおかげで88歳の今日まで体調を崩すことなく生活出来たのも確か。


それでも、
88歳まで生きてきて
食べたいものも我慢して生きることが
そうして生き永らえることが
いったいどうなんだろうと
自分自身に置き換えて、時々わからなくなったりした。
義母にとって幸せな生き方は何だろうと考えることもあった。

自分の中で答えは見つけられていなかったが
「好きな物を食べさせてあげて」と言ってくれた医師の言葉に思わず胸が熱くなり
感謝したい思いが溢れた。


仮にそれで多少寿命が短くなったとしても
義母には好きな物を食べ満足する気持ちで日々を送ってもらいたい


今の義母に対してそのように考えることが正しいのか間違っているのかわからない。

それに、義母が好きな物を我慢してでも長生きしたいと考えているとしたら
私の思いは、所詮、嫁という立場の他人の独り善がりでしかないわけで。


ただ、
義母の残りの日々が少しでも喜びに満ちたものであるように。

それを願っている。



医師からのお墨付きをいただいて、早速バナナを少し食べたそうだ。
腎臓病にはバナナはダメと言われ、ずい分と長い間食べていなかった。
とても喜んでいたと施設の職員の方が話してくれた。

近ごろは滅多に笑わなくなった義母の、満面の笑みが見える気がした。



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「10年で変わったこと、変わらなかったこと」

 

さて、もう一つ

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

10年で変わったこと

・実の両親が故郷の島を出て兄の近くに移住。3年前に母が、昨年に父が亡くなる

・義母が家の中で転倒し骨折。手術とリハビリを繰り返し、9ヶ月間の入院生活を経て車椅子で退院。在宅介護の後、施設入所、で今に至る

・三女が就職し家を出ると同時に、夫婦二人の暮らしになる

・二女が結婚。義理の息子と三人の孫ができる

・夫、60歳ですっぱりリタイア。ただ今、夫婦共にプータロー

・20年近く続けたバドミントンから足を洗い、ヨガを始める。今も継続中

・体力、筋力、視力(老眼)、記憶力等々の衰え

 

こうして挙げていくと、この10年は身近な家族の激動期でもありました。

それに伴い自分の状況も変わった10年でした。

 

10年で変わらなかったこと

・無職…(;^ω^)

 

 

自分の人生、10年刻みでタイトルを付けるとすれば

・親に庇護され、子ども時代を自由気ままに過ごした0~9歳代

・自意識が芽生え、コンプレックスに苦闘した10代

・社会で働き、自分の家庭を持った20代

・専業主婦として家庭を守り、子どもを育てた30代

・再就職し、仕事、趣味、家事にフル稼働の40代

・親の生活支援や介護の為に、実家と義実家を飛び回った50代

 

そして60歳を過ぎ、自分の60代は何処へ向かうのか

それとも、何処にも行けず此処に留まるのか

 

子どもは自立し、実両親は見送りました。

義母のことは責任がありますが、在宅介護時の大変さを乗り越え、入所した今は有難いほどに穏やか。

最近は夫が実家や義母のことを主に担ってくれているので、私の負担は圧倒的に減りました。

そんなわけで、以前のように縛られるものがほとんど無い今。

何か新しいことを始めても良いし、何処か初めての場所に行っても良いのでしょうが、

親のことで忙しかった50代の反動なのか、ぼんやり止まっていても許される日々が心地良くて…(*´з`)

 

いつか動き出すのかな

どんなタイトルがつく60代になるのかな

 

我が事ながら他人事のような気分で、実はちょっと楽しみです。

 

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ヨガを始めてから家でもよく胡坐をかくようになりました。

骨盤を立たせ、股関節を柔軟に、です。

 

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「好きな洋画の定番10選」


はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選


映画鑑賞が趣味の一つです。
なので、「好きな映画10選」。


それを考えることはとても楽しいことですが
考えれば考えるほど次から次へと候補が浮かび
ネットなどでちょっと調べてみたりなんかすると
そうそう、あれも良かったと
忘れていたものまで思い出し、絞り切れません。


ならば、先ずは洋画に絞り、とりあえずどんな時でもパッと浮かぶ
「好きな洋画の定番10選」にします。

何度観てもストーリーや結末がわかっていても飽きるということがなく
毎回同じ幸せや感動を味わうことが出来る
微かなマンネリ感ですら発酵し幸福感に昇華しているかのような
自分の映画好きの原点でもある
そんな映画たちです。

ちなみに、番号は順位ではありません(^^)


E.T.(1982年アメリカ)

地球に取り残された異星人と子どもたちの交流を描いたスティーブン・スピルバーグ監督によるSFファンタジー

以前、『E.T.』について書きました。

私は少なくとも上映時間の半分、ただただ泣いていた。
お月様に少年とE.T.が乗った自転車のシルエットが浮かんだ瞬間
不意に無垢な清らかさに胸を突かれ、号泣。
少年たちとE.T.が大人たちに追いかけられながら自転車で空を飛んでいる場面では
ずっとハンカチで口を押さえながら嗚咽。
自分でもどうしてこんなにと、わけが分からなかったが
何しろ泣けて泣けて仕方なかった。
E.T.が少年と別れて宇宙に帰る時には、もう涙も出し尽くした感じで
ぼーっとしながら、ただ涙がこぼれていたのを憶えている。

あの時、自分の中に満杯になって溢れ出した感情は
自分が子どもだった頃そうとは気づかず
大人へと向かう道程でいつしか手離したかけがえのない大切なものへの
愛しくて切なくて苦しくなるほどの思慕だった気がする。
そして同時に、
求めてももうあの頃には戻れないという条理が、ひどく寂しかったのだと思う。


ライフ・イズ・ビューティフル(1997年イタリア)

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イタリアの俳優ロベルト・ベニーニが監督・脚本・主演。
強制収容所に送られたユダヤ人の家族。父親が幼い息子の命を守るため意外な行動に出る。息子に悲惨な現実を悟られないよう、ひたすら陽気に振る舞いながら嘘をつき続けるが……。

とにかく、主演のロベルト・ベニーニが素晴らしかった。それに尽きます。
どう素晴らしいかを自分の稚拙な表現では伝えられそうにありません。
まだご覧になっていない方は是非ご自身の目と心で受け取っていただきたいです。
悲惨な歴史の真実に、胸に大きな穴が空くかのような痛みを覚えながらも
ライフ・イズ・ビューティフル(人生は美しい)」とタイトルが付けられた意味を心の底に感じながら泣きました。
激しく悲しいのに、深く温かい。そんな涙でした。


スミマセン💦この調子で書いていくととんでもないことになりそうなので
も少し簡単にあっさりとやっていきます(;´Д`)


『グッバイガール』(1977年アメリカ)

アメリカン・グラフィティ(1973年アメリカ)

どちらも大好きなリチャード・ドレイファスが主演です。
これらについてはやはり以前記事にしたので、ご興味があれば覗いていただくと有難いです。
思いの丈を綴っております(;^ω^)

komakusa22.hatenablog.com


バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ(1985年、1989年、1990年アメリカ)

言わずと知れた大ヒット作。
スティーブン・スピルバーグ製作総指揮のもと、ロバート・ゼメキス監督が手掛けたSFアドベンチャー
1985年のカリフォルニア州の架空の都市・ヒルバレーに住む高校生マーティ・マクフライが、親友でもある科学者エメット・ブラウン(通称ドク)が発明したデロリアン改造のタイムマシンで過去・未来へと飛び、そこで巻き起こる騒動を描いています。

全シリーズ、息つく暇もなく終始ハラハラさせられっぱなしの展開と
全てを回収する見事なラストに
わかっていても毎回、胸のすく思いで満たされます。


『めぐり逢い』(1957年アメリカ)

私の生まれる前の映画なので、テレビの洋画劇場とかで観たのだと思う。
主演はケーリー・グラントデボラ・カー
運命的な恋に落ちた男女のすれ違いの行方を描いた名作ラブストーリーです。
デボラ・カー演じるヒロインのいじらしい強がりが切なくて可愛くて。
ラストシーンへの流れにときめきました。


『マンハッタン物語』(1963年アメリカ)

主演はナタリー・ウッドスティーブ・マックィーン

フリーの音楽家ロッキーは、一人の女性に呼び止められた。彼女は、かつて彼に抱かれ妊娠してしまった、堕胎するから金を半分持ってくれ、という。彼女につきあって堕胎医を探すうち、彼は彼女との結婚を望み始めるが……。男女の微妙な仲を描いた恋愛劇。(Yahoo!映画より)

恋愛劇と言いながらプロローグはなかなかヘビー。高校生くらいの頃テレビで観たのかな。
ただ、ラストシーンのロッキーがなんだかとても素敵だったんですよね。
人目もはばからず思いを貫く。あんなふうにされたら嬉しいだろうなと当時の自分は憧れたものです。
実はスティーブ・マックイーンも大好き。
『荒野の七人』『大脱走』『パピヨン』『タワーリング・インフェルノ』など、彼の映画はいろいろ観ましたが
『マンハッタン物語』は彼の繊細な一面が見えてキュンでした。


イカイカン!また長くなってる(>人<;)


トイ・ストーリーシリーズ(1995年、1999年、2010年、2019年アメリカ)

ただただ、大好き。
登場するおもちゃ達の全てが個性豊かで、笑っちゃうような人間味(?)も愛しくてたまらない。
ディズニーお得意のスリル満載のストーリーにはドキドキワクワク。
大切な仲間と心を通わせ、仲間の為に皆で協力し困難に立ち向かうおもちゃ達の姿に
明るい勇気と切ないほどの温もりを覚えて、最後はいつも幸せに包まれます。


『三匹荒野を行く』(1963年アメリカ)

カナダの作家シーラ・バーンフォードが1961年にイギリスで出版した児童書が原作です。
それを基にディズニーが実写で製作。
固い絆で結ばれた犬2匹と猫1匹が主人公で、彼らが協力して300キロ以上離れた飼い主の元に戻るまでの冒険物語です。

公開当時、幼稚園児だった私。歳の離れた従姉と映画館で観ました。
2匹の犬と猫1匹の冒険の旅。
危険や困難に遭いながらもひたすら飼い主の元へと走る姿に引き込まれました。
ラストシーンも感動的で、子どもながらに思わず泣いてしまったこと憶えています。
映画を映画館で観た最初でした。

その頃、母は体調を崩しベッドで寝ていることが多く、まだ幼い私は寂しかったのかもしれません。
そんな私を可哀想に思い、従姉が連れて行ってくれたのだと思います。
とても感動した私は、帰宅後ベッドの上の母に物語を興奮気味に話して聞かせました。
母はずっと嬉しそうに聴いてくれました。
その時の光景は今でも思い出せます。


そして最後は、大好きなクリント・イーストウッドの映画を一つ挙げたい(*´з`)。

グラン・トリノ(2008年アメリカ)

クリント・イーストウッド監督・主演作です。

朝鮮戦争の従軍経験を持つ元自動車工ウォルト・コワルスキーは、妻に先立たれ、愛車“グラン・トリノ”や愛犬と孤独に暮らすだけの日々を送っていた。そんな彼の隣家にモン族の少年タオの一家が越してくる。ある事件をきっかけにして心を通わせ始めたウォルトとタオだったが、タオを仲間に引き入れようとする不良グループが2人の関係を脅かし始め……。(映画.comより)


彼を知ったきっかけは10代の頃にテレビで観たマカロニ・ウエスタンでした。
「好きなクリント・イーストウッドの映画10選」が出来るくらい好きな作品はたくさんありますが
どれか一つ選ばなければいけないとすれば『グラン・トリノ』でしょうか。
終盤の衝撃的なシーンに唸りました。

暴力的なシーンの多い映画は得意ではないのですが
何故かクリント・イーストウッドの作品は然に非ず。
彼が演じる主人公の揺るぎない信念の貫きっぷりには納得させられてしまうのです。
ダーティハリー』シリーズ然り、『許されざる者』然り。

『ハートブレイク・リッジ勝利の戦場』の鬼軍曹も最高にカッコ良かった。
どの作品もそうですが、クリント・イーストウッドの骨太で圧倒的な演技にしびれるばかりです。


以上。
※長々と失礼いたしましたm(__)m


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産毛の処理とクサギカメムシ/「はてなブロガーに10の質問」


このところ新型コロナの感染者数が減少していて
あまりにも急速になので「?」と思わなくもないけど
やっぱりワクチンの効果、なのかな?


コロナ禍で自粛生活が長引き
家に籠ることが多くなりました。
当然スッピン。
たまの外出時もマスクをつけるので
目の周りのコンシーラー(シミ隠し)に軽くファンデーションで済ませています。
唯一、眉毛だけはきちんと描きます。
でなければ人の顔として認識されないので(;´Д`)


そんなわけで化粧をする回数が減り
おのれの顔をまじまじと見ることが少なくなりましたが
今朝も眉毛だけはきちんと描こうと。

と、眉毛の下、瞼にちょろちょろと毛が生えている。
どうせなら薄くなった眉毛の辺りに眉毛として生えてくれればいいものを
そうではない場所にちょろりと顔を出す。
そのまま伸ばすとおかしなことになるのでシェーバーで処理しました。

ついでに顔全体の産毛処理も軽く。
額、頬、顎、口の周り。
久しぶりだったのでけっこう剃れました(^▽^;)



そう言えば、母は小学生だった私の顔を時折カミソリで剃っていたなぁ
「オデコがツルツルよ~」などと嬉しそうに言って

当時は何とも思わずされるがままだったけど
今思うと、ちょっとどうなんだろう
それって普通なのかなあ?
額に濃い産毛を生やしたままの同級生とかいたけど
小学生ならそっちの方が普通だったんじゃないかなあ

幼い我が子の産毛を剃るって、どういう気持ちだったんだろう


そのくせ、我が子の歯磨きにはちっとも熱心でなくて
私の乳歯はほとんど虫歯だった気がする
自分で歯を磨くようになっても
夜寝る前に歯を磨くものだと教えられていなかったので
永久歯の奥歯もやがて虫歯になった


やっぱりちょっと変な母だったなぁ
普通と言われる感覚とズレてると言うか

自分が大人になり
母のそういうとこにようやく気づくのだけど

……………


洗濯日和の今日。
すっかり乾いた洗濯物を取り込みながら
ちょっと嫌な予感…。

こんな日は例の彼が来るから

クサギカメムシくん


komakusa22.hatenablog.com


実はこの記事↑を書いてからも何度もやって来たのです。
晴れて暑い日が多かった気がします。
つまり今日はカメムシ日和?


全ての洗濯物を上から下までチェックし
くっついていないことを確認。
やれやれ今日は大丈夫かと洗濯物を畳みながら
フッと目の端に何かが落ちるのが見えました。


ク・クサギカメムシ⁉ ⊙﹏⊙∥


やっぱり来たか……………o(><;)oo

ティッシュを何枚も重ね、潰さないように摘まみ上げ
そのまま包みビニール袋に。

もう臭い(>人<;)
身の危険を察知したのか、臭いの出してる~~

うっかり潰さなくてヨカッタとつくづく思った次第です。



ところで、

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

せっかくなのでお題に答えてみようと思います(*´ω`*)


ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?
ハンドルネームの由来は高校時代の想い出から。


はてなブログを始めたきっかけは?
長年続けたYahooブログが終了し、次を探してはてなブログにたどり着きました。


自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?
特にありません。たいていダラダラと長いので反省することはありますが。(あ、この記事も長い^^;)


ブログを書きたくなるのはどんなとき?
書きたいことがあった時。無理に何か書こうとした時は上手くいきません。


下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?
下書きに保存することはあまり無いです。今もありません。


自分の記事を読み返すことはある?
あります。「旅行・お出かけ」は振り返ること多いです。楽しかったなあとか。
あと「たくろう」もよく読み返しています。自己満足の世界ですが( *´艸`)


好きなはてなブロガーは?
どなたということはありませんが、お邪魔するブログからは刺激を受けたり、教えていただいたり、ほのぼのとさせていただいたりです。


はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?
どうでもいいことを長々と連ねてご迷惑かと思いますが、宜しければこれからもお付き合いいただければと存じます(;^ω^)


10年前は何してた?
2011年ですよね。父が大病をし実家の事が気がかりで思い切って仕事を辞めたのがその数年前。その頃から実家や義実家の支援に関わることが多くなりました。
今思えば親の介護・支援の始まりだったかな。


この10年を一言でまとめると?
老親(実両親・義母)の介護・支援の10年。(実父は昨年、実母は3年前に亡くなりました)



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映画『鉄道員(ぽっぽや)』健さんがカッコ良すぎる~~


NHKプレミアムで鉄道員(ぽっぽや)』を観た。
2回目である。(1回目は今年の1月だからリピート率高い⁉)

前回観た時、泣けて仕方なかった。
胸が痛くなる悲しみや切なさを味わうだろうことが辛くて観ることが躊躇われたが
結局、観て
やっぱり今回も泣けて泣けて仕方なかった。


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鉄道員(ぽっぽや)』(1999年公開)

高倉健さんが主演となれば話題にもなり
当時、多くの人がご覧になったことだろう。

(あらすじを少々……)

廃線間近となった北海道のローカル線・幌舞線の終着駅で駅長を務める佐藤乙松。
今年で定年を迎える彼は、不器用なほどまっすぐに鉄道員(ぽっぽや)一筋だった自身の人生を振り返る。
幼い一人娘を亡くした日も、愛する妻を亡くした日も、乙松は休むことなくずっと駅に立ち続けた。
そんな彼の前に、ひとりの少女が現れる。(映画.comより)


公開時、自分は40代の一番忙しい頃だったこともあり、映画館では観ていない。
20年以上の時を経て今、一年の間に2回観たことになる。
未だ感動に慣れない。
まだ観ていない人にはお勧めしたい。


浅田次郎氏の原作が先ずは素晴らしいのだろう。
そして、浅田氏の世界観が損なわれず過剰でもなくそのまま映像化されている(と感じる)。

ただ、

もしかしたら高倉健さんの“ぽっぽや”はあまりにもカッコ良く
原作の佐藤乙松はもう少し普通の年相応の“おじさん”に過ぎないのかなと思ったりする。



そうなのだ!
健さん演じるぽっぽやのカッコイイったらない。

これは、
ぽっぽやの「佐藤乙松」がカッコイイのか
健さんが演じる「佐藤乙松」がカッコイイのか
いや、「高倉健」がカッコイイのか


高倉健」がカッコイイんだなぁ……きっと。(敬称略でスミマセン💦)


誠実で朴訥。
静かで渋い佇まい。
ずしんと太き存在感。

誤解を恐れずに言えば
健さんが演じる人物はいつも「高倉健」そのもののよう。

それが良いことなのかそうでないのかわからない。
(つまりキャラが固定しているというような意味で)
しかし、
ほぼ間違いなく人物の魅力度がアップするのも事実ではないだろうか。
それって凄い。


高倉健」のような俳優、今後現れるのだろうか?


(スミマセン。言いたいことが上手く伝えられません(;´Д`))


※以前、小説についても取り上げました。
komakusa22.hatenablog.com


ところで、
劇中で乙松やその妻が「テネシーワルツ」をハミングするシーンがあるのですが
確か、健さんの奥さんだった江利チエミさんの持ち歌だったんですよね。
お二人は親族のトラブルなどで離婚。本意ではない別れに
「別れた後も健さんはいつまでもチエミさんを想っていたのよ」とよく母が言っていましたっけ。
(真実は定かではありませんが^^;)
健さんの純な気持ちに子どもながら感激した私です(^▽^;)
劇中とは言え健さんはどんな気持ちでハミングしたのかなとちょっと思ったりしました(*´з`)


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