すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

未だに。。

 
ハタチを少し超えたばかりの娘が
「自分が本当にやりたいことが何なのか分からない」と言う
「何がやれるのかも分からない」とも
 
しかし娘よ
自慢じゃないが半世紀と少し生きた母も未だ己の行く道が定められずにいる
この先、出来れば自分にも生きがいと呼べるものがあればと人並みに願うのだけど
その前に、何が自分の生きがいとなるのか恥ずかしながらその形すら見えてはおらず
いやそれ以前に中年期、老年期をどう生きていくのか、それすらも朧ろげだし
ただただ見えない先のことを胸の中で転がすばかり
長く生きてきた者として余裕の顔で聞いてはいるが
就活真っ只中にいるキミと同じ焦りを、実は抱えている母である
 
もっと言えば
若い頃よりさらに焦っているのかもしれない
残りの歳が少なくなってきたせいか・・
だが長い年月の間、あれもやってきた、これもやってきた
あんなこともやってみたし、こんなこともやってみたのに今、まだ何かを求めている気がする
本当に自分のやりたいことを探している気がする
その時々で自分のやりたいことをしてきたはずなのに、あれは自分の中で心から満足することではなかったのか
自分の本当にやりたいことではなかったのかしらと、振り返りながら考えるのだ
 
自分が本当にやりたいことは何なのか
この歳になっても求め続けるとは想像していなかった
けれど、それは現実なのだなぁ
 
 
 
ところで、あらかじめ言っておくのだが
自分自身は立派だとか徳があるというような人間とは程遠い
そんな自分だが、近ごろ「本当にやりたいこと」が分からないうちは人や社会のために動いてみようと考えるようになった
正直なところ、その思考方向は能動的とは言えず下手すると何だか消去法のような、へんちくりんな発想である
しかし、何がやりたいのか分からず、不毛な時間の中にうずくまっているのなら
何かの「為」になっているというその明確な目的で体を動かそうと思ったのだ
些細で取るに足らないことでもいいから
繰り返すが
その行動は己の行く先が見つけられず落ち着かない心を静めるためでもあるから、何も褒められるものではない
 
 
若い頃は悩みに抗うようにして頑張ってもきた
歳をとればそんな悩みもなくなる日がやってくる、気もしていた
しかし、現実は想像したよりもあっさりと現実的
そうであるなら悩みと上手く付き合うことそこんとこが大事なのかとまあ、現実問題として思うわけで。。
 
 
 
朝ドラ ごちそうさん
今週は、あの関東大震災が起こりました。
東京から避難してきた人たちに炊き出しをする大阪のめ以子たち。
 
「こういう時は 人の気持ちに寄り添ういうんは 難しいこっちゃ」
 
人のため、社会のためであっても決して独りよがり、自分本位にならないように
難しいけれど、心したいです。