すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「世界から猫が消えたなら」


表紙に惹かれて、ちょっと気になっていた本です。

世界から猫が消えたなら

僕は生きるために、
消すことを決めた。

今日もし突然、
チョコレートが消えたなら
電話が消えたなら
映画が消えたなら
時計が消えたなら
猫が消えたら
そして
僕が消えたなら

世界はどう変化し、人は何を得て、何を失うのか
30歳郵便配達員。余命あとわずか。
陽気な悪魔が僕の周りにあるものと引き換えに1日の命を与える。
僕と猫と陽気な悪魔の摩訶不思議な7日間がはじまった―――

消してみることで、価値が生まれる。
失うことで、大切さが分かる。
感動的、人生哲学エンタテインメント

※発行元マガジンハウスのホームページ「マガジンワールド」より


失ってみて初めてわかる大切さ
消えてしまった後で改めて気づく価値


などということは
もうすでに あちらこちらで語られ記され
自分でも体験することで
きっと大抵の大人ならそこそこわかっているのだけれど
それを常に意識することは本当に大変で
目の前を休むことなく通り過ぎる日々の現実の中では
いとも簡単に意識の外へ吹っ飛んでしまう

だからまあ こうして
時にこうした本を読んで
その大切さや価値に何度でも気づくことが必要なのかもしれない
そして改めて考えるのだろう

そう思うに至った本

・・・・・

著者の 川村元気さんは1979年生まれ。
自分の子どもであっても全然おかしくないお若さである。
帯に、作家の角田光代さんの
「小説だが、これはむしろ哲学書なのではないかと思えてくる」
という言葉が紹介されているが
確かに、作品中にはたくさんの哲学的な言葉が登場していた。
この歳にして初めて教えられた気がすること。
ドキッとして心が熱くなったものもある。
中には語り尽くされたようにも思える人生哲学のフレーズも
逆に、この歳になれば実感を持って共感し納得するのである。
そんな中で、その若さでもうそこに到達しておられるのかという驚きもあり。
しかしちょっと待てよ、
映画プロデューサーとして大活躍され
もう立派に大人でいらっしゃる川村さんには誠に失礼な言い様だと今書きながら気づくのだ。

人は “長さ”ではないなあと思う。

・・・・・

「何かを得るためには、何かを失わなくてはね」

主人公のお母さんの言葉。
これもまた、この作品のテーマであるのだろうと思う。
それが道理だとか自然の摂理だとか、哲学的に紐解くことは自分には難しい。
ただ、そのことはまさにそうだと思っている。

何かを得るためには、自分の何かを失うことも受け入れなければならない。
そのことを皆が少しでも心に留めておくことが出来たら
少しは争いが減るのではないかとふと考える。
逆の発想で、
何かを失ってこそようやく得られるものもあるのだろうなあとも思う。
何かを失わなければ得られないのは残念ではあるが、それが現実だったりする。
それはそういうこともあるとして、半ば諦め気分で納得するしかないのだろう。

「僕らは、電話ができることで、すぐつながる便利さを手に入れたが、それと引き換えに相手のことを考えたり想像したりする時間を失っていった。電話が僕らから、想いを溜める時間を奪い、蒸発させていったのだ。」


自分が若い頃、携帯電話は存在しなかった。
だから現在のように、今何処だとか、あと何分で着くだとか
歩きながらや電車の中などから連絡することは不可能だった。
そのため、約束の時間に遅れて相手を待たせることのないように神経を尖らせた。
時間になっても来ない相手を心配し、とにかく待っていた。
携帯電話一つでそんな状況も軽く解消できる今の若い人たちにしたら
なんて効率が悪いと思うだろうか。
しかし、そんな非効率(昔も今も自分はそうは思わないが)な人と人の繋がりの中で
確かに人は人のことを考え、想像する時間を持っていた。
それは尊く大切なものだと、今つくづく思う。

そういえば、駅などで待ち合わせをするとき、あったのは伝言板だった。
約束の時間に遅れた友だちには「先に行ってるよ」と書いた。
友だちはその書き込みを探し見つけてこちらの意思を受け取った。
それで良かった。
それしか方法が無いからだが、それで十分用が足りて、不便と思うこともなかった。
伝言板はたくさんの人たちの言葉で埋め尽くされていて
当然連絡事項もあるのだが、中には告白めいたものもあった。
「ずっと待っていましたが、帰ります」などというのもあって
あてもなくずっと待ち続けていたのかもしれないその人の、佇む姿が浮かんだりした。
待ち合わせの相手を待ちながら伝言版を眺めて、あれこれ想像するのも楽しかった気がする。
他人の伝言を盗み見ることはあまり良い趣味ではないのは認めるが
今考えると
個人情報満載の素晴らしくあけっぴろげのその板が
当たり前のようにきちんと存在していたこと
昭和の人間としては誇らしくもあるのだ。
そして、とても懐かしい。


因みに、
野口五郎さんの歌う「私鉄沿線」

伝言板に君のこと 僕は書いて帰ります
想い出たずね もしかして
君がこの街に来るようで


会えなくなってしまった彼女が
二人で過ごしたこの街をもし訪ねてきたときにわかるように
伝言板に彼女への伝言を書き残すという
僕の切ない想い。
電話で簡単につながることが出来ないからこそ

深まる想いがあるということ。

・・・・・


決して悪口ではない。
ただ、よく見かけると言えばそうなのかもしれないテーマの中で語られるいくつかの哲学。
深く納得する人もいれば
いかにも今風の軽いノリに違和感や「あざとさ」まで感じる人もいるようで
サイトなどの書き込みは様々で極端でもある。
でもまあ、
もし自分だったら何を消すのだろうか、何を消せないのだろうかと
我が身に当てはめて読んでいきながら
その哲学を現実に感じること
そして、自分にとって本当に大切なものが何であるのか
少しでも考えることが出来たら、この作品はもう成功ではないのだろうか。
それで十分だと思う。
(と私が言うのはちょっと違うか。エラそうだ。。)

それから、
猫好きな人たちにはきっとたまらないだろう。
あちこちに胸(猫)キュンポイントがあるから。