すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

父、なんとか退院


昨年末、肺炎で緊急入院した父が昨日退院した。

入院期間は20日間で、大晦日も正月も病院で過ごした。
入院して10日ほど経った頃、父から電話があり
もうすぐ退院できそうやと言う。
確かにいくらか元気になった様ではあったが
声の様子からまだ無理だろうと思っていたら
やはりそれから10日ほどかかり退院となった。

昨日、午前10時半くらいに父から電話。
外出中で携帯の音に気づかず、11時にこちらから折り返すと父は眠っていたようだった。
寝ぼけているのかごしゃごしゃ喋りはっきりしない父に
「もう退院したの?」と訊くと「いや、昼ご飯食べてからや」と言う。
「今日は〇ちゃん(兄)が迎えに来てくれるんでしょ?」「ああ、そうや」
そこまでは普通だったのだが
「まだ声もしゃがれてるようだし、退院しても大事にせなあかんよ」と言った私の言葉に
どこをどうしてだか急に記憶がこんがらがってしまったようで
「旅行に行く途中やったんや」と言い出した。
「え?旅行?いやいや、自分の部屋で具合悪くなって入院したんやで」と言う私の言葉が
耳に入らないのか、入るけど自分の記憶が正しいと思うのか父は話し続ける。
「日帰りの旅行でちょっと出かけただけやったのにホテルの前でふわ~っと倒れて
そこから何もわからなくなった。やっぱり40度も熱が出たらあかんな」
全然違う。全然違うけど、
過去に実際にあった様々な出来事が父の頭の中に断片的な記憶としてあり
それらが時を無視しておかしなことに、でも成立して繋がっているのが分かった。
「いやいや、そうじゃないのよ」と、もう一度入院までの正しい経過を父に説明してみるが
娘が何を言っているのかまるでわからないかのように電話口の向こうで父が押し黙った。
そして
「お前の言うのは早口でよくわからん」と話を終わらせようとした。

そんなことを父が言ったのは初めてだった。
どちらかと言えば自分は早口ではないと思うし
年老いた父や母に話す時はゆっくりを心がけた。
耳の遠かった今は亡き母には「はあ?」と聞き返されたりもしたが
父がそんなふうに言うのは初めて。
その時自分の中に不意に寂しさが通り抜けるのを感じた。

早口でわからないのではなく
私の説明する状況が自分の頭の中からすっぽり抜け落ちていることに
父自身戸惑っているのかな・・

「ああ・・、ごめんね。とにかく今日は〇ちゃんが迎えに来てくれるからね。また電話するね」
そう言うと
「そちらの皆は元気か?気をつけてな。ありがとう」といつもと変わらぬ言葉をくれた父。

その後何だか落ち着かず、退院した父に夕方電話すると
又もや寝起きだったのか話が混線してはっきりしない。
それでも、もうすぐ夕ご飯でしょと言うと
「お前の電話で目が覚めたわ。夕ご飯の時間やのに寝てしまうとこやった」といつもと同じ。

今日昼前の電話は少しマシになっていたか。
ふと父が言った。
「なんかな、変な夢でも見とんかなあ。頭の中がおかしなってわからんくなるんよなあ」

あえて何も言わず、笑い飛ばしたけど
もしかして父自身も既にそれが何なのかわかっているのかもしれない
父の中の不安がこちらの心も鈍く刺すようで
そんな父が可哀想だった。

新年早々、90歳になった父である。
物忘れもするだろうし、記憶も混沌とするだろう。
認知症へと進み始めているのかもしれない。
私は私の出来ることで父に寄り添っていく。
父も麻雀やカラオケで脳内を活性させ、進行を少しでも遅らせる。
それだけのことである。
不安や恐れを嘆いていても仕方ない。
そうするだけと自分自身を奮い立たせている。

・・・


よくお邪魔するサイトがあるのですが、そのメンバーの方(仮にA子さんとさせて頂きます)が
認知症治療の第一人者である長谷川和夫さんについて書かれていました。

長谷川さんは、50代でアルツハイマー病を発症した患者さんとの出会いがきっかけで
さらに強い決意を持ち認知症の研究や診療を続けるようになったそうです。
亡くなるまで胸の内を明かさなかったその患者さんが亡くなった後
「僕の心の高鳴りはどこへ行ってしまったんだろうか」
と書き留められた五線紙が見つかったそうです。

A子さんご自身も認知症のお母さまを介護しておられます。
初めて介護認定を受ける際、それを拒否するお母さまをなだめすかして
なんとか訪問調査を終えられたそうです。
その後、お母さまの鞄から
「舅も姑も認知症で大変でした。自分もそうなるのではないかと不安です」
と書かれた紙きれを見つけたA子さん。
調査担当の人に伝えたいことを忘れてしまわないように母は書いた
それでも調査当日にはその紙きれの存在すら忘れていた

いまだにその紙を捨てることができない、と書かれています。

実は、長谷川さんご自身も認知症を発症なさったそうです。
日に日に口数が少なくなっていく長谷川さんが言われたこと。
「(自分が)何回も念を押して聞くから、(周りが)鬱陶しくなって・・。
今、こういうことを言っていいのか、言わない方がいいのか、自信がなくなる。
だから寡黙にならざるを得ない」

長谷川さんは、認知症になったことで「生きていくうえでの『確かさ』が少なくなってきた」と。
『確かさ』が日々失われていくのだそうです。
でも、他者とつながることで、その『確かさ』を少しでも取り戻すことができるとも。


認知症と診断された人の辛く苦しい心の内が突き刺さります。
周囲で支える人たちの苦労や困惑はこんな自分でも少しは分かっているつもりですが
何より認知症である当事者の、心の奥底に隠されている真実の思いに気づかない、
知って理解しようとしない。
そんな自分でした。

知ることができて、感謝です。
父と向き合う時に心のどこかに置いておこうと思います。
おかしなことを言う父にイライラせず優しく接することが少しは出来るかもしれません(苦笑)。